LEGEND OF MUSIC MASTER
時代とともに、様々な変化を続けるJ-POPシーン。今までに、たくさんの人の努力によって、今の日本の音楽業界が作られてきました。この番組では、いろんな時代の最前線で日本の音楽シーンを動かしていた音楽メーカー、プロダクション、プロモーター、アーティストなどの様々な立場のMUSIC MASTERに登場してもらい、J-POPシーンを検証していきます。
 音楽メーカーや音楽関係の団体
『レコードメーカー』

コロムビアミュージックエンタテインメント(株)
http://columbia.jp/

ビクターエンタテインメント(株)
http://www.jvcmusic.co.jp/

キングレコード(株)
http://www.kingrecords.co.jp/

(株)テイチクエンタテインメント
http://www.teichiku.co.jp/

ユニバーサル ミュージック(株)
http://www.universal-music.co.jp/

東芝EMI(株)
http://www.toshiba-emi.co.jp/

日本クラウン(株)
http://www.crownrecord.co.jp/

(株)徳間ジャパンコミュニケーションズ
http://www.tkma.co.jp/tjc/

(株)ソニー・ミュージックエンタテインメント
http://www.sonymusic.co.jp/

(株)ポニーキャニオン
http://www.ponycanyon.co.jp/

(株)ワーナーミュージック・ジャパン
http://wmg.jp/

(株)バップ
http://www.vap.co.jp/

(株)BMG JAPAN
http://www.bmgjapan.com/

ジェネオンエンタテインメント(株)
http://www.geneon-ent.co.jp/

(株)ビーグラムレコーズ
http://beinggiza.com/

エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ(株)
http://avexnet.jp/

(株)プライエイド・レコーズ
http://www.pryaid.co.jp/

(株)フォーライフ ミュージックエンタテイメント
http://www.forlife.co.jp/

(株)ヤマハミュージックコミュニケーションズ
http://www.yamahamusic.co.jp/

(株)ドリーミュージック・
http://www.dreamusic.co.jp/

ロードランナー・ジャパン(株)
http://www.roadrunnerrecords.co.jp/

(株)アイヴィ
http://www.naxos.co.jp/

(株)エル・ディー・アンド・ケイ
http://www.ldandk.com/

(株)ミューチャー・コミュニケーションズ
http://www.muture.co.jp/

(株)ジェイ・ストーム
http://www.j-storm.co.jp/


『各種団体』

社団法人 日本レコード協会
http://www.riaj.or.jp/

社団法人 音楽事業者協会
http://www.jame.or.jp/

社団法人 音楽制作者連盟
http://www.fmp.or.jp/

社団法人 音楽出版社協会
http://www.mpaj.or.jp/

社団法人 全国コンサートツアー事業者協会
http://www.acpc.or.jp/
株式会社MSエンタテインメント代表取締役 田中芳雄《第4週》
〜 アーティストマネージメントから見た80年代の音楽シーンとは 〜
2008.03.14

ミュージカルステーション設立からマネージメントに携わってきた立場から音楽シーンを振り返る。マネージメントにおいて権利ビジネスが最も注目を集めたのが80年代だった。



株式会社MSエンタテインメント代表取締役社長
田中芳雄 Yoshio Tanaka



■ 本田路津子
1970年、ジョーン・バエズの『シルキー』を歌ってハルミラフォークコンテストに優勝しCBSソニーから『秋でもないのに』でプロ歌手としてデビュー。続いて『風がはこぶもの』『ひとりの手』等のヒット曲を出し、森山良子と並んでカレッジフォークの第一人者として活躍した。NHK朝の連続テレビ小説『藍より青く』の主題歌『耳をすましてごらん』でお茶の間にも親しまれ、NHK紅白歌合戦にも2回出場。

■ 五輪真弓
1972年10月、CBSソニーより、シングル『少女』でデビュー。ファーストアルバム『五輪真弓/少女』はアメリカ合衆国カリフォルニア州のクリスタル・スタジオでレコーディングされ、このレコーディングにはキャロル・キングも参加し、五輪自身もマスメディアで「和製キャロル・キング」と呼ばれた。その後、サルヴァトール・アダモの紹介によりフランスでも人気を博す。1980年にリリースされたシングル『恋人よ』が大ヒット、彼女の代表曲となり、同年の日本レコード大賞金賞を受賞した。

■ 永井真理子
1987年にファンハウスより『oh,ムーンライト』でデビュー。1980年代後半から1990年代前半にかけ、ボーイッシュな雰囲気で人気を得て、『ミラクル・ガール』(1989年) 、『ZUTTO』(1990年) など多くのヒットを生んだ。

株式会社MSエンタテインメント代表取締役 田中芳雄《第3週》
〜 アーティストマネージメントから見た80年代の音楽シーンとは 〜
2008.03.07

ミュージカルステーション設立からマネージメントに携わってきた立場から音楽シーンを振り返る。シングル重視からアルバム重視へ、そしてコンサートに重点を置いたのが80年代だった。



株式会社MSエンタテインメント代表取締役社長
田中芳雄 Yoshio Tanaka


■プロフィール

1969年東洋大学経済学部卒業
同年12月に有限会社ミュージカルステーション設立に参加、本田路津子、五輪真弓のスタッフを務める。
1986年株式会社エムエスアーティストプロダクツ設立、代表取締役社長に就任、永井真理子、DREAMS COMETRUE、Coccoらをマネージメント。
1994年有限会社ミュージカルステーション代表取締役社長就任。2005年株式会社MSエンタテインメントに社名変更、現代表取締役社長。

株式会社MSエンタテインメント
http://www.ms-e.jp/

株式会社MSエンタテインメント代表取締役 田中芳雄《第2週》
〜 アーティストマネージメントから見た80年代の音楽シーンとは 〜
2008.02.29

ミュージカルステーション設立からマネージメントに携わってきた立場から音楽シーンを振り返る。80年代に入りラジオを通じて、アーティストのキャラクターを積極的にプロモーションしていった。



株式会社MSエンタテインメント代表取締役社長
田中芳雄 Yoshio Tanaka



■ 本田路津子
1970年、ジョーン・バエズの『シルキー』を歌ってハルミラフォークコンテストに優勝しCBSソニーから『秋でもないのに』でプロ歌手としてデビュー。続いて『風がはこぶもの』『ひとりの手』等のヒット曲を出し、森山良子と並んでカレッジフォークの第一人者として活躍した。NHK朝の連続テレビ小説『藍より青く』の主題歌『耳をすましてごらん』でお茶の間にも親しまれ、NHK紅白歌合戦にも2回出場。

■ 五輪真弓
1972年10月、CBSソニーより、シングル『少女』でデビュー。ファーストアルバム『五輪真弓/少女』はアメリカ合衆国カリフォルニア州のクリスタル・スタジオでレコーディングされ、このレコーディングにはキャロル・キングも参加し、五輪自身もマスメディアで「和製キャロル・キング」と呼ばれた。その後、サルヴァトール・アダモの紹介によりフランスでも人気を博す。1980年にリリースされたシングル『恋人よ』が大ヒット、彼女の代表曲となり、同年の日本レコード大賞金賞を受賞した。

■ 永井真理子
1987年にファンハウスより『oh,ムーンライト』でデビュー。1980年代後半から1990年代前半にかけ、ボーイッシュな雰囲気で人気を得て、『ミラクル・ガール』(1989年) 、『ZUTTO』(1990年) など多くのヒットを生んだ。

株式会社MSエンタテインメント代表取締役 田中芳雄《第1週》
〜 アーティストマネージメントから見た80年代の音楽シーンとは 〜
2008.02.22

ミュージカルステーション設立からマネージメントに携わってきた立場から音楽シーンを振り返る。70年代はレコード会社のヒットを狙う姿勢からマネージメントととして学ぶものが多かった。



株式会社MSエンタテインメント代表取締役社長
田中芳雄 Yoshio Tanaka


■プロフィール

1969年東洋大学経済学部卒業
同年12月に有限会社ミュージカルステーション設立に参加、本田路津子、五輪真弓のスタッフを務める。
1986年株式会社エムエスアーティストプロダクツ設立、代表取締役社長に就任、永井真理子、DREAMS COMETRUE、Coccoらをマネージメント。
1994年有限会社ミュージカルステーション代表取締役社長就任。2005年株式会社MSエンタテインメントに社名変更、現代表取締役社長。

株式会社MSエンタテインメント
http://www.ms-e.jp/

株式会社角川学芸出版 杉岡中《第4週》
〜 メーカー、出版から見た80年代の音楽シーンとは 〜
2008.02.15

ミディ、タワーレコードと経験した立場から音楽シーンを振り返る。月刊カドカワは当初、女性向けの小説誌だった。音楽アーティストの特集は松任谷由実が最初。



株式会社角川学芸出版
杉岡 中 Ataru Sugioka


■ 月刊カドカワ
文芸雑誌としてスタートし、編集長に見城徹氏(現 幻冬舎社長)が就任してからはアーティストの特集がメインになる。ほかの音楽誌にはないロングインタビューや連載として尾崎豊、大槻ケンヂ、矢野顕子、斎藤由貴、坂本龍一らを起用する一方、五木寛之、村上龍、林真理子、山田詠美に岡崎京子といった作家陣にも連載させる構成で注目を集めた。現在は廃刊。


■ ロンドンレコード
ロンドンレコードはロンドンレーベルとキングとの契約が1981年の9月30日で満了になったことからポリグラム系ポリドール・インターナショナル100%出資会社として9月19日 付で設立、社長はブリアースバッハ氏、副社長にインターソング社長の高島弘之氏とNEWSレコード社長の山本詔治氏が就任、販売はポリドール。


■ ミディ
RVCのシティポップス系のレーベル“ディアハート”が分離独立し1984年8月21日に設立され、10月24日に坂本龍一/アルバム「音楽図鑑」でスタートした。元YMOの坂本龍一と合体して作られた音楽専門の会社で、社長にはヨロシタ・ミュージックの大蔵博氏、専務に“ディアハート”の責任者の宮田茂樹氏が就任、販売はRVCだった。

株式会社角川学芸出版 杉岡中《第3週》
〜 メーカー、出版から見た80年代の音楽シーンとは 〜
2008.02.08

ミディ、タワーレコードと経験した立場から音楽シーンを振り返る。80年代に入り、急激に海外の音楽情報が一般の人にも届き、輸入盤が流通され始めた。



株式会社角川学芸出版
杉岡 中 Ataru Sugioka

■プロフィール


日本大学芸術学部卒業。ロンドンレコード立ち上げ時に入社。その後、ミディを経て角川書店へ。月刊カドカワの編集長を務める。
現在は角川学芸出版『短歌』編集長。

株式会社角川学芸出版 杉岡中《第2週》
〜 メーカー、出版から見た80年代の音楽シーンとは 〜
2008.02.01

ミディ、タワーレコードと経験した立場から音楽シーンを振り返る。80年代、業界のポテンシャル以上の売り上げを求めて、何かを見失った時代。



株式会社角川学芸出版
杉岡 中 Ataru Sugioka


■ 月刊カドカワ
文芸雑誌としてスタートし、編集長に見城徹氏(現 幻冬舎社長)が就任してからはアーティストの特集がメインになる。ほかの音楽誌にはないロングインタビューや連載として尾崎豊、大槻ケンヂ、矢野顕子、斎藤由貴、坂本龍一らを起用する一方、五木寛之、村上龍、林真理子、山田詠美に岡崎京子といった作家陣にも連載させる構成で注目を集めた。現在は廃刊。


■ ロンドンレコード
ロンドンレコードはロンドンレーベルとキングとの契約が1981年の9月30日で満了になったことからポリグラム系ポリドール・インターナショナル100%出資会社として9月19日 付で設立、社長はブリアースバッハ氏、副社長にインターソング社長の高島弘之氏とNEWSレコード社長の山本詔治氏が就任、販売はポリドール。


■ ミディ
RVCのシティポップス系のレーベル“ディアハート”が分離独立し1984年8月21日に設立され、10月24日に坂本龍一/アルバム「音楽図鑑」でスタートした。元YMOの坂本龍一と合体して作られた音楽専門の会社で、社長にはヨロシタ・ミュージックの大蔵博氏、専務に“ディアハート”の責任者の宮田茂樹氏が就任、販売はRVCだった。

株式会社角川学芸出版 杉岡中《第1週》
〜 メーカー、出版から見た80年代の音楽シーンとは 〜
2008.1.25

ミディ、角川書店と経験した立場から音楽シーンを振り返る。いきなり入社したばかりで「いけないルージュマジック」の大ヒットを経験。



株式会社角川学芸出版
杉岡 中 Ataru Sugioka

■プロフィール


日本大学芸術学部卒業。ロンドンレコード立ち上げ時に入社。その後、ミディを経て角川書店へ。月刊カドカワの編集長を務める。
現在は角川学芸出版『短歌』編集長。

タワーレコード株式会社 望月展子《第4週》
〜 流通、出版から見た80年代の音楽シーンとは 〜
2008.1.18

ぴあ、タワーレコードと経験した立場から音楽シーンを振り返る。80年代の読者は情報をインデックス化する事で活用していたが、現在は、なかなか自分の好みの枠を越えてまで活用しない。



タワーレコード株式会社
望月展子 Nobuko Mochizuki

■タワーレコード

1979年、アメリカのMTS社の日本支社としてスタートし、 1981年に日本法人タワーレコード株式会社となる。
2002年10月、MBOによる独立、新体制を発表。 日本国内に76の直営店舗「タワーレコード」とカフェ&セレクトショップの新形態店舗「TOWER CAFE」の展開や、 Eコマースサイト「@TOWER.JP」や総合音楽情報携帯サイト「TOWER MOBILE」の運営、 発行部数20万部のフリーマガジン『TOWER』を発行している。また、音楽情報サイト「bounce.com」、フリーマガジンでは、発行部数40万部の『bounce』、 発行部数5万部の『intoxicate』などの発行を株式会社NMNLを通じて行っている。
2006年10月より日本初の定額制音楽配信事業をナップスタージャパン株式会社を通じて行っている。
http://www.towerrecords.jp/


■タワーレコードの変遷

1960年 アメリカ・カリフォルニア州サクラメントでタワーレコード開業
1970年 アメリカのフラッグシップストアとなるサンセットブールバード店をオープン
1979年 日本上陸
1980年 日本第一号店を札幌に出店
1981年 都内初出店となる渋谷店をオープン、日本法人タワーレコード株式会社設立
1982年 日本のタワーレコード初のフリーマガジン「WESTCOAST MUSIC SCENE」(現在の「bounce」)が誕生
1985年 東北地区初出店となる仙台店オープンを皮切りに、日本全国へと店舗展開を進める
1990年 当時アジア最大規模となる心斎橋店をオープン
1995年 世界最大規模のスーパーストアとなる渋谷店を移転オープン「NO MUSIC, NO LIFE.」キャンペーンがスタート
1996年 米国のEコマースサイト「TOWER.COM」がオープン
1997年 日本でのEコマースサイ「@TOWER.JP」をオープン(2001年リニューアル、現在に至る)
1999年 初のショッピングセンター型店舗となる倉敷店をオープン
2001年 フリーマガジン「bounce」のWEB版、音楽情報サイ「bounce.com」をオープン
2002年 MBOにより米国MTS社から独立を完了、新体制にてスタート
2002年 総合音楽情報携帯サイト「TOWER MOBILE」をオープン
2002年 当時関西地区最大規模となる難波店をオープン
2004年 タワーレコードグループのマーケティング業務ならびに新規事業等を担う株式会社NMNLを分社化、設立
2004年 株式会社パルコと資本提携し、株式会社ウェィヴをグループ化する
2004年 カフェ&セレクトショップという新たな店舗形態によるTOWER CAFEをオープン
2004年 株式会社ドワンゴとの資本提携ならびに業務提携を行う
2004年 当時西日本最大規模となる福岡店を移転オープン
2004年 伊藤忠商事株式会社との資本提携を行う
2004年 25周年記念事業「TOWER AWARDS」(日本武道館)を開催
2005年 西日本最大規模となる梅田NU茶屋町店をオープン
2005年10月 米国ナップスターとの合弁で、日本法人ナップスタージャパン株式会社を設立
2005年11月 株式会社NTTドコモとの業務提携を目的とした資本提携契約を締結
2006年 2月 株式会社ウェィヴの全株式を売却
2006年10月 ナップスタージャパン株式会社が日本初の定額制音楽配信事業を開始

タワーレコード株式会社 望月展子《第3週》
〜 流通、出版から見た80年代の音楽シーンとは 〜
2008.1.11

ぴあ、タワーレコードと経験した立場から音楽シーンを振り返る。80年代、ぴあ編集部内で、音楽においてカルチャーとエンターテインメントを線引きする傾向があった。



タワーレコード株式会社
望月展子 Nobuko Mochizuki

■プロフィール

1981年、ぴあ株式会社入社。ぴあ編集部に配属、音楽担当としてライヴや新譜の情報、記事の編集に携わる。1989年春、新雑誌準備室に異動、10月の『ぴあMUSIC COMPLEX(PMC)』創刊とともに編集長に就任。チケット事業の全国展開と連動したぴあ初の全国版の音楽情報誌として奮闘するも1992年春、休刊。MOOKS編集部にて布袋寅泰、佐野元春、吉田拓郎らの書籍を担当する。ぴあ編集部副編集長を経て、1997年、公式サイト「@ぴあ」を立ち上げ、1999年からは音楽配信事業に着手する。2001年、MTVジャパン株式会社に移り、エアロスミスらの出演による開局イベント、宇多田ヒカル・アンプラグドなどに関わる。2002年、タワーレコード株式会社入社。フリーマガジン『bounce』『intoxicate』、ウェブサイト『bounce.com』等を統括する。現職は、タワーレコードと米国ナップスターの合弁会社、ナップスタージャパンのサービス企画本部長。

タワーレコード株式会社 望月展子《第2週》
〜 流通、出版から見た80年代の音楽シーンとは 〜
2008.1.4

ぴあ、タワーレコードと経験した立場から音楽シーンを振り返る。劇団四季のチケットの取り扱いからスタートした“チケットぴあ”が邦楽の売り上げまでに影響を及ぼすに至った。



タワーレコード株式会社
望月展子 Nobuko Mochizuki

■タワーレコード

1979年、アメリカのMTS社の日本支社としてスタートし、 1981年に日本法人タワーレコード株式会社となる。
2002年10月、MBOによる独立、新体制を発表。 日本国内に76の直営店舗「タワーレコード」とカフェ&セレクトショップの新形態店舗「TOWER CAFE」の展開や、 Eコマースサイト「@TOWER.JP」や総合音楽情報携帯サイト「TOWER MOBILE」の運営、 発行部数20万部のフリーマガジン『TOWER』を発行している。また、音楽情報サイト「bounce.com」、フリーマガジンでは、発行部数40万部の『bounce』、 発行部数5万部の『intoxicate』などの発行を株式会社NMNLを通じて行っている。
2006年10月より日本初の定額制音楽配信事業をナップスタージャパン株式会社を通じて行っている。
http://www.towerrecords.jp/


■タワーレコードの変遷

1960年 アメリカ・カリフォルニア州サクラメントでタワーレコード開業
1970年 アメリカのフラッグシップストアとなるサンセットブールバード店をオープン
1979年 日本上陸
1980年 日本第一号店を札幌に出店
1981年 都内初出店となる渋谷店をオープン、日本法人タワーレコード株式会社設立
1982年 日本のタワーレコード初のフリーマガジン「WESTCOAST MUSIC SCENE」(現在の「bounce」)が誕生
1985年 東北地区初出店となる仙台店オープンを皮切りに、日本全国へと店舗展開を進める
1990年 当時アジア最大規模となる心斎橋店をオープン
1995年 世界最大規模のスーパーストアとなる渋谷店を移転オープン「NO MUSIC, NO LIFE.」キャンペーンがスタート
1996年 米国のEコマースサイト「TOWER.COM」がオープン
1997年 日本でのEコマースサイ「@TOWER.JP」をオープン(2001年リニューアル、現在に至る)
1999年 初のショッピングセンター型店舗となる倉敷店をオープン
2001年 フリーマガジン「bounce」のWEB版、音楽情報サイ「bounce.com」をオープン
2002年 MBOにより米国MTS社から独立を完了、新体制にてスタート
2002年 総合音楽情報携帯サイト「TOWER MOBILE」をオープン
2002年 当時関西地区最大規模となる難波店をオープン
2004年 タワーレコードグループのマーケティング業務ならびに新規事業等を担う株式会社NMNLを分社化、設立
2004年 株式会社パルコと資本提携し、株式会社ウェィヴをグループ化する
2004年 カフェ&セレクトショップという新たな店舗形態によるTOWER CAFEをオープン
2004年 株式会社ドワンゴとの資本提携ならびに業務提携を行う
2004年 当時西日本最大規模となる福岡店を移転オープン
2004年 伊藤忠商事株式会社との資本提携を行う
2004年 25周年記念事業「TOWER AWARDS」(日本武道館)を開催
2005年 西日本最大規模となる梅田NU茶屋町店をオープン
2005年10月 米国ナップスターとの合弁で、日本法人ナップスタージャパン株式会社を設立
2005年11月 株式会社NTTドコモとの業務提携を目的とした資本提携契約を締結
2006年 2月 株式会社ウェィヴの全株式を売却
2006年10月 ナップスタージャパン株式会社が日本初の定額制音楽配信事業を開始

タワーレコード株式会社 望月展子《第1週》
〜 流通、出版から見た80年代の音楽シーンとは 〜
2007.12.28

ぴあ、タワーレコードと経験した立場から音楽シーンを振り返る。80年代は、様々なタイプのライブハウスが混在していた時代。仕事の9割が、掲載を断る仕事だった!?



タワーレコード株式会社
望月展子 Nobuko Mochizuki

■プロフィール

1981年、ぴあ株式会社入社。ぴあ編集部に配属、音楽担当としてライヴや新譜の情報、記事の編集に携わる。1989年春、新雑誌準備室に異動、10月の『ぴあMUSIC COMPLEX(PMC)』創刊とともに編集長に就任。チケット事業の全国展開と連動したぴあ初の全国版の音楽情報誌として奮闘するも1992年春、休刊。MOOKS編集部にて布袋寅泰、佐野元春、吉田拓郎らの書籍を担当する。ぴあ編集部副編集長を経て、1997年、公式サイト「@ぴあ」を立ち上げ、1999年からは音楽配信事業に着手する。2001年、MTVジャパン株式会社に移り、エアロスミスらの出演による開局イベント、宇多田ヒカル・アンプラグドなどに関わる。2002年、タワーレコード株式会社入社。フリーマガジン『bounce』『intoxicate』、ウェブサイト『bounce.com』等を統括する。現職は、タワーレコードと米国ナップスターの合弁会社、ナップスタージャパンのサービス企画本部長。

株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長 斎藤薫《第4週》
〜 メディアのメインストリームにおける80年代の音楽シーンとは 〜
2007.12.21

TBSのテレビ・ラジオで80年代にプロデューサーとディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。テレビにおける音楽番組は80年代にピークを迎え、音楽番組は減っていった。その結果、世の中に知られている曲とミリオンヒットがシンクロしなくなった。



株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長
齋藤薫 Kaoru Saito


■80年代のTBSの代表的な音楽番組

○ ザ・ベストテン
1978年1月19日〜1989年9月28日O.A.
10位までにランクインをした歌手が、スタジオで生放送で歌を披露。スケジュール上スタジオに来られない場合は生中継での出演となった。最高視聴率は41.7%を記録し、多くの歌手がこの番組で自分の曲を歌うことは目標の1つでもあった。

○ いかすバンド天国(いか天)
1989年2月〜1990年12月O.A.
深夜番組「平成名物TV」の1コーナー。アマチュアバンドが審査員によって選出され、勝ち抜いたあとグランドイカ天キングとなったバンドはメジャーデビューが約束され、多くのバンドを輩出した。出身アーティストは、FLYING KIDS、JITTERIN'JINN、BEGIN、たま、マルコシアス・バンプ、BLANKEY JET CITYなど。

○ キラリ☆熱熱クラブ
1988年〜1990年O.A.
CLUB CITTA'川崎で公開収録されたライブをオンエアー。80年代後半のロックバンドブームにより、多くのリスナーに支持された音楽番組。

○ SURF&SNOW
1985年〜1996年O.A.
番組名は、松任谷由実 のアルバムタイトルからつけられた。放送開始時は月〜金の帯番組としてスタートし、パーソナリティ松宮一彦の絶妙なDJと、幅のある選曲、また、新人アーティストをいち早く紹介するなど、TBSラジオの深夜帯を代表する人気ラジオ音楽番組だった。

株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長 斎藤薫《第3週》
〜 メディアのメインストリームにおける80年代の音楽シーンとは 〜
2007.12.14

TBSのテレビ・ラジオで80年代にプロデューサーとディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。音楽の楽しみ方の多様化によって、音楽チャート番組が80年代後半、時代に対応出来なくなってきた。



株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長
齋藤薫 Kaoru Saito


■プロフィール

1955年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒。1977年4月に(株)東京放送入社、制作局にて番組制作(音楽、バラエティー等)を担当。その後1983年にラジオ制作部に配属され、1986年に再びテレビ制作部に。「ザ・ベストテン」「加トちゃんけんちゃんごきげんテレビ」などのディレクターを経た後に「王様のブランチ」「レコード大賞」「有線大賞」などのプロデューサーを担当。その後、 TBSエンタテインメント制作6部長、TBSラジオ&コミュニケーション編成局長、TBSテレビ映像事業部長(映画、DVD、アニメを担当)を歴任。
2005年7月からはTBSテレビアナウンス部長を担当、現在に至る。

主な担当番組
テレビ、「クイズ列車出発進行」「アップルシティ500」「加トちゃんけんちゃんごきげんテレビ」「ザ・ベストテン」「キラリ熱熱CLUB」「M・NABI」「王様のブランチ」「日本レコード大賞」「東京音楽祭」「日本有線大賞」

株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長 斎藤薫《第2週》
〜 メディアのメインストリームにおける80年代の音楽シーンとは 〜
2007.12.7

TBSのテレビ・ラジオで80年代にプロデューサーとディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。邦楽、洋楽ともにテレビや映像の影響が大きく、またライブパフォーマンスが重要になっていった時代だった。



株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長
齋藤薫 Kaoru Saito


■80年代のTBSの代表的な音楽番組

○ ザ・ベストテン
1978年1月19日〜1989年9月28日O.A.
10位までにランクインをした歌手が、スタジオで生放送で歌を披露。スケジュール上スタジオに来られない場合は生中継での出演となった。最高視聴率は41.7%を記録し、多くの歌手がこの番組で自分の曲を歌うことは目標の1つでもあった。

○ いかすバンド天国(いか天)
1989年2月〜1990年12月O.A.
深夜番組「平成名物TV」の1コーナー。アマチュアバンドが審査員によって選出され、勝ち抜いたあとグランドイカ天キングとなったバンドはメジャーデビューが約束され、多くのバンドを輩出した。出身アーティストは、FLYING KIDS、JITTERIN'JINN、BEGIN、たま、マルコシアス・バンプ、BLANKEY JET CITYなど。

○ キラリ☆熱熱クラブ
1988年〜1990年O.A.
CLUB CITTA'川崎で公開収録されたライブをオンエアー。80年代後半のロックバンドブームにより、多くのリスナーに支持された音楽番組。

○ SURF&SNOW
1985年〜1996年O.A.
番組名は、松任谷由実 のアルバムタイトルからつけられた。放送開始時は月〜金の帯番組としてスタートし、パーソナリティ松宮一彦の絶妙なDJと、幅のある選曲、また、新人アーティストをいち早く紹介するなど、TBSラジオの深夜帯を代表する人気ラジオ音楽番組だった。

株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長 斎藤薫《第1週》
〜 メディアのメインストリームにおける80年代の音楽シーンとは 〜
2007.11.30

TBSのテレビ・ラジオで80年代にプロデューサーとディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。「日本レコード大賞」「ザ・ベストテン」など音楽番組を制作していたTBS。80年代は音楽を情報として扱った番組がブレイクした。



株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長
齋藤薫 Kaoru Saito


■プロフィール

1955年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒。1977年4月に(株)東京放送入社、制作局にて番組制作(音楽、バラエティー等)を担当。その後1983年にラジオ制作部に配属され、1986年に再びテレビ制作部に。「ザ・ベストテン」「加トちゃんけんちゃんごきげんテレビ」などのディレクターを経た後に「王様のブランチ」「レコード大賞」「有線大賞」などのプロデューサーを担当。その後、 TBSエンタテインメント制作6部長、TBSラジオ&コミュニケーション編成局長、TBSテレビ映像事業部長(映画、DVD、アニメを担当)を歴任。
2005年7月からはTBSテレビアナウンス部長を担当、現在に至る。

主な担当番組
テレビ、「クイズ列車出発進行」「アップルシティ500」「加トちゃんけんちゃんごきげんテレビ」「ザ・ベストテン」「キラリ熱熱CLUB」「M・NABI」「王様のブランチ」「日本レコード大賞」「東京音楽祭」「日本有線大賞」

ミュージシャン・プロデューサー 伊藤銀次《第4週》
〜ロックの根本はいつの時代も変わらないが、スタイルは時代とともに変化する〜
2007.11.23

佐野元春、沢田研二、ウルフルズのプロデュースワークをした立場から80〜90年代当時の音楽シーンを振り返る。80年代は音楽をやっている人たちにとって、恵まれた時代だった。アメリカやイギリスの音楽シーンに触発されて、日本も活性化していった。



ミュージシャン・プロデューサー
伊藤銀次 Ginji Ito

■プロフィール


1950年大阪生まれ。はっぴいえんどに影響され、バンド“ごまのはえ"を結成。ライヴ活動を続けるうちに大瀧詠一、山下達郎らと出会い、その後シュガー・ベイブやナイアガラ・トライアングルに参加。ソロ・アルバムをリリースしたり、佐野元春のバック・バンドに参加したりと幅広く活動。80年代にはフジテレビ系『笑っていいとも』のテーマ曲「ウキウキWatching」を作曲、『イカ天』の審査員としてテレビに出るなどお茶の間にも進出。90年代以降はプロデューサーとして活躍、ウルフルズをプロデュースし、彼らを「ガッツだぜ」の大ヒットへと導いたことは記憶に新しい。現在もギタリスト/プロデューサー/アーティストとして精力的に活動しており、日本のロック史を語る上でなくてはならない存在となっている。

「BABY BLUE」 all about GINJI ITO <伊藤銀次>
http://sound.jp/itoginji/



10.24 IN STORES
Solo Debut 30th Anniversary Since 1977
ソロデビュー30周年記念  80〜90年代のソロアルバム8タイトルがボーナス・トラック追加の紙ジャケ/24bitデジタル・リマスターで再発!



BABY BLUE
MHCL-1192/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1982年4月に発表した通算2枚目となるフル・アルバム。全曲歌メロを重視した作品。



SUGAR BOY BLUES
伊藤 銀次
MHCL-1193/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1982年9月発表の通算3枚目となるフル・アルバム。佐野元春がコーラス、楽曲提供で参加!!



STARDUST SYMPHONEY '65-'83
伊藤 銀次
MHCL-1194/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1983年4月にリリースされた、通算4枚目となるソロ・アルバム。60年代のポップセンスを83年流に表現。



WINTER WONDERLAND
MHCL-1195/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1983年10月にリリースされた、通算5枚目となるソロ・アルバム。これまでにない落ち着いたウィンターソングを収録。



POP STEADY #8
MHCL-1199/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1984年3月にリリースされた、自身初となるミニ・アルバム。



BEAT CITY
MHCL-1196/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1984年7月にリリースされた、通算6作目となるフル・アルバム。初の海外レコーディング、セルフプロデュース作品



PERSON TO PERSON
MHCL-1197/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1985年9月にリリースされた、通算7作目となるフル・アルバム。杉真理、佐野元春等がコーラスで参加、ファンクロックに傾倒した作品。



LOVE PARADE
MHCL-1198/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
ソロ活動を休止しプロデューサーとして活躍していた伊藤銀次が、Ki/oonへ移籍し発表した通算13枚目となるフル・アルバム。

ミュージシャン・プロデューサー 伊藤銀次《第3週》
〜ロックの根本はいつの時代も変わらないが、スタイルは時代とともに変化する〜
2007.11.16

佐野元春、沢田研二、ウルフルズのプロデュースワークをした立場から80〜90年代当時の音楽シーンを振り返る。日本の街並みが変わっていくとともに、そこにフィットする音楽も変わっていく。



ミュージシャン・プロデューサー
伊藤銀次 Ginji Ito

■プロフィール


1950年大阪生まれ。はっぴいえんどに影響され、バンド“ごまのはえ"を結成。ライヴ活動を続けるうちに大瀧詠一、山下達郎らと出会い、その後シュガー・ベイブやナイアガラ・トライアングルに参加。ソロ・アルバムをリリースしたり、佐野元春のバック・バンドに参加したりと幅広く活動。80年代にはフジテレビ系『笑っていいとも』のテーマ曲「ウキウキWatching」を作曲、『イカ天』の審査員としてテレビに出るなどお茶の間にも進出。90年代以降はプロデューサーとして活躍、ウルフルズをプロデュースし、彼らを「ガッツだぜ」の大ヒットへと導いたことは記憶に新しい。現在もギタリスト/プロデューサー/アーティストとして精力的に活動しており、日本のロック史を語る上でなくてはならない存在となっている。

「BABY BLUE」 all about GINJI ITO <伊藤銀次>
http://sound.jp/itoginji/



10.24 IN STORES
Solo Debut 30th Anniversary Since 1977
ソロデビュー30周年記念  80〜90年代のソロアルバム8タイトルがボーナス・トラック追加の紙ジャケ/24bitデジタル・リマスターで再発!



BABY BLUE
MHCL-1192/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1982年4月に発表した通算2枚目となるフル・アルバム。全曲歌メロを重視した作品。



SUGAR BOY BLUES
伊藤 銀次
MHCL-1193/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1982年9月発表の通算3枚目となるフル・アルバム。佐野元春がコーラス、楽曲提供で参加!!



STARDUST SYMPHONEY '65-'83
伊藤 銀次
MHCL-1194/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1983年4月にリリースされた、通算4枚目となるソロ・アルバム。60年代のポップセンスを83年流に表現。



WINTER WONDERLAND
MHCL-1195/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1983年10月にリリースされた、通算5枚目となるソロ・アルバム。これまでにない落ち着いたウィンターソングを収録。



POP STEADY #8
MHCL-1199/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1984年3月にリリースされた、自身初となるミニ・アルバム。



BEAT CITY
MHCL-1196/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1984年7月にリリースされた、通算6作目となるフル・アルバム。初の海外レコーディング、セルフプロデュース作品



PERSON TO PERSON
MHCL-1197/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1985年9月にリリースされた、通算7作目となるフル・アルバム。杉真理、佐野元春等がコーラスで参加、ファンクロックに傾倒した作品。



LOVE PARADE
MHCL-1198/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
ソロ活動を休止しプロデューサーとして活躍していた伊藤銀次が、Ki/oonへ移籍し発表した通算13枚目となるフル・アルバム。

ミュージシャン・プロデューサー 伊藤銀次《第2週》
〜ロックの根本はいつの時代も変わらないが、スタイルは時代とともに変化する〜
2007.11.9

佐野元春、沢田研二、ウルフルズのプロデュースワークをした立場から80〜90年代当時の音楽シーンを振り返る。日本において70年代に神格化されていたロックが80年代に入り、いい意味で大衆化していった。



ミュージシャン・プロデューサー
伊藤銀次 Ginji Ito

■プロフィール


1950年大阪生まれ。はっぴいえんどに影響され、バンド“ごまのはえ"を結成。ライヴ活動を続けるうちに大瀧詠一、山下達郎らと出会い、その後シュガー・ベイブやナイアガラ・トライアングルに参加。ソロ・アルバムをリリースしたり、佐野元春のバック・バンドに参加したりと幅広く活動。80年代にはフジテレビ系『笑っていいとも』のテーマ曲「ウキウキWatching」を作曲、『イカ天』の審査員としてテレビに出るなどお茶の間にも進出。90年代以降はプロデューサーとして活躍、ウルフルズをプロデュースし、彼らを「ガッツだぜ」の大ヒットへと導いたことは記憶に新しい。現在もギタリスト/プロデューサー/アーティストとして精力的に活動しており、日本のロック史を語る上でなくてはならない存在となっている。

「BABY BLUE」 all about GINJI ITO <伊藤銀次>
http://sound.jp/itoginji/



10.24 IN STORES
Solo Debut 30th Anniversary Since 1977
ソロデビュー30周年記念  80〜90年代のソロアルバム8タイトルがボーナス・トラック追加の紙ジャケ/24bitデジタル・リマスターで再発!



BABY BLUE
MHCL-1192/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1982年4月に発表した通算2枚目となるフル・アルバム。全曲歌メロを重視した作品。



SUGAR BOY BLUES
伊藤 銀次
MHCL-1193/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1982年9月発表の通算3枚目となるフル・アルバム。佐野元春がコーラス、楽曲提供で参加!!



STARDUST SYMPHONEY '65-'83
伊藤 銀次
MHCL-1194/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1983年4月にリリースされた、通算4枚目となるソロ・アルバム。60年代のポップセンスを83年流に表現。



WINTER WONDERLAND
MHCL-1195/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1983年10月にリリースされた、通算5枚目となるソロ・アルバム。これまでにない落ち着いたウィンターソングを収録。



POP STEADY #8
MHCL-1199/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1984年3月にリリースされた、自身初となるミニ・アルバム。



BEAT CITY
MHCL-1196/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1984年7月にリリースされた、通算6作目となるフル・アルバム。初の海外レコーディング、セルフプロデュース作品



PERSON TO PERSON
MHCL-1197/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1985年9月にリリースされた、通算7作目となるフル・アルバム。杉真理、佐野元春等がコーラスで参加、ファンクロックに傾倒した作品。



LOVE PARADE
MHCL-1198/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
ソロ活動を休止しプロデューサーとして活躍していた伊藤銀次が、Ki/oonへ移籍し発表した通算13枚目となるフル・アルバム。

ミュージシャン・プロデューサー 伊藤銀次《第1週》
〜ロックの根本はいつの時代も変わらないが、スタイルは時代とともに変化する〜
2007.11.2

佐野元春、沢田研二、ウルフルズのプロデュースワークをした立場から80〜90年代当時の音楽シーンを振り返る。80年代を迎え、佐野元春を売らないと日本の音楽シーンは良くならない、という思いが強かった。



ミュージシャン・プロデューサー
伊藤銀次 Ginji Ito

■プロフィール


1950年大阪生まれ。はっぴいえんどに影響され、バンド“ごまのはえ"を結成。ライヴ活動を続けるうちに大瀧詠一、山下達郎らと出会い、その後シュガー・ベイブやナイアガラ・トライアングルに参加。ソロ・アルバムをリリースしたり、佐野元春のバック・バンドに参加したりと幅広く活動。80年代にはフジテレビ系『笑っていいとも』のテーマ曲「ウキウキWatching」を作曲、『イカ天』の審査員としてテレビに出るなどお茶の間にも進出。90年代以降はプロデューサーとして活躍、ウルフルズをプロデュースし、彼らを「ガッツだぜ」の大ヒットへと導いたことは記憶に新しい。現在もギタリスト/プロデューサー/アーティストとして精力的に活動しており、日本のロック史を語る上でなくてはならない存在となっている。

「BABY BLUE」 all about GINJI ITO <伊藤銀次>
http://sound.jp/itoginji/



10.24 IN STORES
Solo Debut 30th Anniversary Since 1977
ソロデビュー30周年記念  80〜90年代のソロアルバム8タイトルがボーナス・トラック追加の紙ジャケ/24bitデジタル・リマスターで再発!



BABY BLUE
MHCL-1192/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1982年4月に発表した通算2枚目となるフル・アルバム。全曲歌メロを重視した作品。



SUGAR BOY BLUES
伊藤 銀次
MHCL-1193/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1982年9月発表の通算3枚目となるフル・アルバム。佐野元春がコーラス、楽曲提供で参加!!



STARDUST SYMPHONEY '65-'83
伊藤 銀次
MHCL-1194/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1983年4月にリリースされた、通算4枚目となるソロ・アルバム。60年代のポップセンスを83年流に表現。



WINTER WONDERLAND
MHCL-1195/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1983年10月にリリースされた、通算5枚目となるソロ・アルバム。これまでにない落ち着いたウィンターソングを収録。



POP STEADY #8
MHCL-1199/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1984年3月にリリースされた、自身初となるミニ・アルバム。



BEAT CITY
MHCL-1196/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1984年7月にリリースされた、通算6作目となるフル・アルバム。初の海外レコーディング、セルフプロデュース作品



PERSON TO PERSON
MHCL-1197/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
1985年9月にリリースされた、通算7作目となるフル・アルバム。杉真理、佐野元春等がコーラスで参加、ファンクロックに傾倒した作品。



LOVE PARADE
MHCL-1198/アルバム/2007.10.24/¥2,500(税込)
ソロ活動を休止しプロデューサーとして活躍していた伊藤銀次が、Ki/oonへ移籍し発表した通算13枚目となるフル・アルバム。

ライター 松沢呉一《第4週》
〜 アンダーグラウンドの視点から捉えた80年代を中心とした音楽カルチャーとは 〜
2007.10.26

80〜90年代に音楽、映像、広告、放送、ライターなど様々な仕事に携わった立場から当時の音楽シーンを振り返る。カラオケボックスは、今や音楽プロモーションの場となっている。音楽が聴くものから歌うものへ変化した。



ライター
松沢呉一 Kureichi Matsuzawa


■80年代カルチャー

○ パルコ
エンターテインメントやカルチャー色が強いファッション専門店。
1969年に1号店を池袋に開店。以降、渋谷をはじめ、全国に 店舗を展開していく。
カルチャーやアートとをクロスオーバーさせたテレビCFやポスター等 の広告は常に注目を集めた。

○ ビックリハウス
1975年に、劇団天井桟敷出身の萩原朔美らを中心として、パルコ出版から創刊したサブカルチャー誌。
糸井重里が主宰した「ヘンタイよいこ新聞」や、「御教訓カレンダー」 など、数々の名企画が生まれ、一時代を築いた。
常連の投稿者には、鮫肌文殊、大槻ケンヂ、ナンシー 関などのちに活躍する者が数多くいた。
1985年休刊。

○ ぴあフィルムフェスティバル
“映画の新しい才能の発見と育成”をテーマに、1977年にスタートした“ぴあ”主宰の映画祭。
自主制作映画を一般公募し、映画監督を目指す者たちの登竜門的存在として、多くの映画監督を世に送り出している。
現在では、単なる映画祭の枠に留まらず、映画コンペティション 「PFFアワード」を中心に、“新しい才能”を発見し、紹介し、育成していくなどの活動を行い、更にその活動を通じ、日本映画の活性化を推進している。
[過去の主な入選者(敬称略)]
森田芳光、犬童一心、手塚 眞、飯田譲治、松岡錠司、利重 剛、中島哲也、塚本晋也、篠原哲雄、矢口史靖、熊澤尚人、李 相日、荻上直子  他多数

○宝島
1973年に晶文社より『WonderLand』として創刊。
3号目で「宝島」と誌名を変更後6号目で休刊となるが、1974年に復刊。
精神文化などのマニアックな内容が多いサブカルチャー誌だったが、80年代に入ると、ミュージシャンを取り上げ、ファッション、音楽、文化などのポップカチャーの掲載が中心となった。バンドブームが終わると、90年代はアダルトな内容が多くなり、2000年以降はビジネス誌としてビジネスや新製品の情報が中心となっている。

ライター 松沢呉一《第3週》
〜 アンダーグラウンドの視点から捉えた80年代を中心とした音楽カルチャーとは 〜
2007.10.19

80〜90年代に音楽、映像、広告、放送、ライターなど様々な仕事に携わった立場から当時の音楽シーンを振り返る。80年代にはオヤジの象徴であったカラオケ文化、そのカラオケの存在の変化が、今の音楽シーンに大きな影響を与えている。



ライター
松沢呉一 Kureichi Matsuzawa


■プロフィール

1958年生。音楽、映像。広告、放送などの仕事に携わったのち、30代になってからライター専業に。広いジャンルを手掛けていたが、やがてはエロ専門になり、さらには風俗専門に。2005年、風俗ライターを廃業。
現在は、有料メルマ ガ「マッツ・ザ・ワールド」で、風俗史、社会問題、生活文化などなどについて、月刊 800枚から1000枚程度の原稿を配信中。
著書は『魔羅の肖像』(新潮OH!文 庫)、『ぐろぐろ』(ちくま文庫)など、多数あり。

ライター 松沢呉一《第2週》
〜 アンダーグラウンドの視点から捉えた80年代を中心とした音楽カルチャーとは 〜
2007.10.12

80〜90年代に音楽、映像、広告、放送、ライターなど様々な仕事に携わった立場から当時の音楽シーンを振り返る。80年代は音楽や映像や芝居がボーダレスに関わり、大学を活動の中心にとして、カルチャーを作り上げていた。



ライター
松沢呉一 Kureichi Matsuzawa


■80年代カルチャー

○ パルコ
エンターテインメントやカルチャー色が強いファッション専門店。
1969年に1号店を池袋に開店。以降、渋谷をはじめ、全国に 店舗を展開していく。
カルチャーやアートとをクロスオーバーさせたテレビCFやポスター等 の広告は常に注目を集めた。

○ ビックリハウス
1975年に、劇団天井桟敷出身の萩原朔美らを中心として、パルコ出版から創刊したサブカルチャー誌。
糸井重里が主宰した「ヘンタイよいこ新聞」や、「御教訓カレンダー」 など、数々の名企画が生まれ、一時代を築いた。
常連の投稿者には、鮫肌文殊、大槻ケンヂ、ナンシー 関などのちに活躍する者が数多くいた。
1985年休刊。

○ ぴあフィルムフェスティバル
“映画の新しい才能の発見と育成”をテーマに、1977年にスタートした“ぴあ”主宰の映画祭。
自主制作映画を一般公募し、映画監督を目指す者たちの登竜門的存在として、多くの映画監督を世に送り出している。
現在では、単なる映画祭の枠に留まらず、映画コンペティション 「PFFアワード」を中心に、“新しい才能”を発見し、紹介し、育成していくなどの活動を行い、更にその活動を通じ、日本映画の活性化を推進している。
[過去の主な入選者(敬称略)]
森田芳光、犬童一心、手塚 眞、飯田譲治、松岡錠司、利重 剛、中島哲也、塚本晋也、篠原哲雄、矢口史靖、熊澤尚人、李 相日、荻上直子  他多数

○宝島
1973年に晶文社より『WonderLand』として創刊。
3号目で「宝島」と誌名を変更後6号目で休刊となるが、1974年に復刊。
精神文化などのマニアックな内容が多いサブカルチャー誌だったが、80年代に入ると、ミュージシャンを取り上げ、ファッション、音楽、文化などのポップカチャーの掲載が中心となった。バンドブームが終わると、90年代はアダルトな内容が多くなり、2000年以降はビジネス誌としてビジネスや新製品の情報が中心となっている。

ライター 松沢呉一《第1週》
〜 アンダーグラウンドの視点から捉えた80年代を中心とした音楽カルチャーとは 〜
2007.10.05

80〜90年代に音楽、映像、広告、放送、ライターなど様々な仕事に携わった立場から当時の音楽シーンを振り返る。80年代の大学での音楽イベントには、何かに例える事の出来ない熱気があり、観る側にも、ただライブを観ているだけでない参加意識を持っていた。



ライター
松沢呉一 Kureichi Matsuzawa


■プロフィール

1958年生。音楽、映像。広告、放送などの仕事に携わったのち、30代になってからライター専業に。広いジャンルを手掛けていたが、やがてはエロ専門になり、さらには風俗専門に。2005年、風俗ライターを廃業。
現在は、有料メルマ ガ「マッツ・ザ・ワールド」で、風俗史、社会問題、生活文化などなどについて、月刊 800枚から1000枚程度の原稿を配信中。
著書は『魔羅の肖像』(新潮OH!文 庫)、『ぐろぐろ』(ちくま文庫)など、多数あり。

株式会社レコミュニ 取締役 福岡智彦《第4週》
〜 歌謡曲からポップやロックに音楽が移り変わっていった80年代に音楽制作現場で起きていた事 〜
2007.09.28

渡辺音楽出版で80年代を代表するアーティストのディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。レコード業界にとって、いい時代だった80年代。でも、それは終わりの始まりだった。



株式会社レコミュニ 取締役
福岡智彦 Tomohiko Fukuoka


音楽配信コミュニティ“recommuni”
http://recommuni.jp/



■70年代後半に活躍していた渡辺プロダクションのアーティスト

○ 沢田研二
1967年2月に『僕のマリー』でザ・タイガースのボーカリストとしてデビュー。『モナリザの微笑」『君だけに愛を』などのヒット曲を生み、グループサウンズ最盛期を支えた。
1971年にザ・タイガース解散後、ソロ『危険なふたり』『時の過ぎゆくままに』『勝手にしやがれ』など、多くの楽曲が常にヒット・チャートの不位に名を連ねた。
2002年より、自主レコードレーベルとなるJULIE LABELを設立。また、役者として映画や舞台でも活躍中。

○ キャンディーズ
ベテランから注目株のアーティストまで幅広く出演をした公開収録ライブ番組。
1972年NHKの新番組「歌謡グランドショー」のマスコットガールに3人揃って抜擢され、番組プロデューサーから「キャンディーズ」と名付けられた。
翌年1973年シングル『あなたに夢中』で歌手デビュー。『年下の男の子』『春一番』『やさしい悪魔』『微笑がえし』など多くのヒット曲を生み出した。
1978年4月4日、後楽園球場に5万5千人を集めての解散コンサートが行われ、惜しまれながらも活動を停止した。


■80年代になって活躍していた渡辺プロダクションのアーティスト

○ 山下久美子
1980年にシングル『バスルームから愛をこめて』でデビュー。
82年、『赤道小町ドキッ』が大ヒットとなり、女性ロック・ヴォーカリストの草分け的存在となる。ライヴ活動も精力的に行い、そのエネルギッシュなステージで「総立ちの久美子」と称された。
2005年、デビュー25周年を迎え、敬愛するボーカリスト達との初の全楽曲デュエットアルバム『Duets』を発売。

○ 大沢誉志幸(現在は大澤誉志幸)
1983年シングル『彼女には判らない』でソロデビュー。
1985年にリリースされた『そして僕は途方に暮れる』が日清食品カップヌードルのCMソングに使用され代表曲となった。作曲家としても多くのアーティストに楽曲提供(EX:沢田研二、中森明菜、吉川晃司、アンルイスなど)。
1999年に活動を停止し、作曲家、プロデューサー活動に専念。充電期間を経て2002年より活動を再開した。

○ 吉川晃司
1984年、シングル『モニカ』で歌手デビュー。『LA VIE EN ROSE』『KISSに撃たれて眠りたい』『VENUS 〜迷い子の未来〜』など数多くのヒット曲をリリース。元BOOWY(ボウイ)のギタリスト・布袋と組んだ大型ユニット『COMPLEX』でも注目を集める。以降、ミュージシャンとして、また、俳優としても活躍中。


■A&R(“Artist and Repertoire”の略)
レコード会社の中で、アーティストの発掘、契約、育成、企画、制作、宣伝に至るまで、業務全般に幅広く携わる職務。A&Rは基本的にはレコード会社の社員が担当。しかし、なかにはフリーのA&Rも存在する。

株式会社レコミュニ 取締役 福岡智彦《第3週》
〜 歌謡曲からポップやロックに音楽が移り変わっていった80年代に音楽制作現場で起きていた事 〜
2007.09.21

渡辺音楽出版で80年代を代表するアーティストのディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。80年代はデジタルの録音機器や楽器が沢山生まれた時代。レコーディングで実験的な遊びを多用した。



株式会社レコミュニ 取締役
福岡智彦 Tomohiko Fukuoka

■プロフィール


1954年10月29日生まれ AB型
78年、渡辺音楽出版(株)に入社。原盤ディレクターとして山下久美子、太田裕美、チャクラ等を担当する。
85年、エピックソニー(現エピックレコード)に転籍し、制作ディレクターとしてGONTITI、くじら、遊佐未森、小川美潮、Killing Time等を担当。
94年にアンティノスミュージック(後にソイツァーミュージック)に異動。
98年、レーベル“Robin discs”を主催し松谷卓、明石百夏等をリリースする。
2001年、NTTドコモに社外出向。音楽配信サービス“M-stage music”に従事する。
03年にソニーミュージックに復帰し、音楽配信サービス“bitmusic”に従事。
翌04年、ソニーミュージック退社。
04年夏より、知人らと(株)レコミュニ設立。音楽配信コミュニティ“recommuni”をスタートさせる。


音楽配信コミュニティ“recommuni”
http://recommuni.jp/


株式会社レコミュニ 取締役 福岡智彦《第2週》
〜 歌謡曲からポップやロックに音楽が移り変わっていった80年代に音楽制作現場で起きていた事 〜
2007.09.14

渡辺音楽出版で80年代を代表するアーティストのディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。作詞、作曲、歌が、それぞれのスペシャリストが担当する事により、スケールの大きい作品が生まれる。等身大の作品じゃ、物足りない。



株式会社レコミュニ 取締役
福岡智彦 Tomohiko Fukuoka


音楽配信コミュニティ“recommuni”
http://recommuni.jp/



■70年代後半に活躍していた渡辺プロダクションのアーティスト

○ 沢田研二
1967年2月に『僕のマリー』でザ・タイガースのボーカリストとしてデビュー。『モナリザの微笑」『君だけに愛を』などのヒット曲を生み、グループサウンズ最盛期を支えた。
1971年にザ・タイガース解散後、ソロ『危険なふたり』『時の過ぎゆくままに』『勝手にしやがれ』など、多くの楽曲が常にヒット・チャートの不位に名を連ねた。
2002年より、自主レコードレーベルとなるJULIE LABELを設立。また、役者として映画や舞台でも活躍中。

○ キャンディーズ
ベテランから注目株のアーティストまで幅広く出演をした公開収録ライブ番組。
1972年NHKの新番組「歌謡グランドショー」のマスコットガールに3人揃って抜擢され、番組プロデューサーから「キャンディーズ」と名付けられた。
翌年1973年シングル『あなたに夢中』で歌手デビュー。『年下の男の子』『春一番』『やさしい悪魔』『微笑がえし』など多くのヒット曲を生み出した。
1978年4月4日、後楽園球場に5万5千人を集めての解散コンサートが行われ、惜しまれながらも活動を停止した。


■80年代になって活躍していた渡辺プロダクションのアーティスト

○ 山下久美子
1980年にシングル『バスルームから愛をこめて』でデビュー。
82年、『赤道小町ドキッ』が大ヒットとなり、女性ロック・ヴォーカリストの草分け的存在となる。ライヴ活動も精力的に行い、そのエネルギッシュなステージで「総立ちの久美子」と称された。
2005年、デビュー25周年を迎え、敬愛するボーカリスト達との初の全楽曲デュエットアルバム『Duets』を発売。

○ 大沢誉志幸(現在は大澤誉志幸)
1983年シングル『彼女には判らない』でソロデビュー。
1985年にリリースされた『そして僕は途方に暮れる』が日清食品カップヌードルのCMソングに使用され代表曲となった。作曲家としても多くのアーティストに楽曲提供(EX:沢田研二、中森明菜、吉川晃司、アンルイスなど)。
1999年に活動を停止し、作曲家、プロデューサー活動に専念。充電期間を経て2002年より活動を再開した。

○ 吉川晃司
1984年、シングル『モニカ』で歌手デビュー。『LA VIE EN ROSE』『KISSに撃たれて眠りたい』『VENUS 〜迷い子の未来〜』など数多くのヒット曲をリリース。元BOOWY(ボウイ)のギタリスト・布袋と組んだ大型ユニット『COMPLEX』でも注目を集める。以降、ミュージシャンとして、また、俳優としても活躍中。


■A&R(“Artist and Repertoire”の略)
レコード会社の中で、アーティストの発掘、契約、育成、企画、制作、宣伝に至るまで、業務全般に幅広く携わる職務。A&Rは基本的にはレコード会社の社員が担当。しかし、なかにはフリーのA&Rも存在する。

株式会社レコミュニ 取締役 福岡智彦《第1週》
〜 歌謡曲からポップやロックに音楽が移り変わっていった80年代に音楽制作現場で起きていた事 〜
2007.09.07

渡辺音楽出版で80年代を代表するアーティストのディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。歌謡曲からポップやロックに移り変わっていった80年代前半の音楽シーンは洋楽に影響され試行錯誤した時代だった。



株式会社レコミュニ 取締役
福岡智彦 Tomohiko Fukuoka

■プロフィール


1954年10月29日生まれ AB型
78年、渡辺音楽出版(株)に入社。原盤ディレクターとして山下久美子、太田裕美、チャクラ等を担当する。
85年、エピックソニー(現エピックレコード)に転籍し、制作ディレクターとしてGONTITI、くじら、遊佐未森、小川美潮、Killing Time等を担当。
94年にアンティノスミュージック(後にソイツァーミュージック)に異動。
98年、レーベル“Robin discs”を主催し松谷卓、明石百夏等をリリースする。
2001年、NTTドコモに社外出向。音楽配信サービス“M-stage music”に従事する。
03年にソニーミュージックに復帰し、音楽配信サービス“bitmusic”に従事。
翌04年、ソニーミュージック退社。
04年夏より、知人らと(株)レコミュニ設立。音楽配信コミュニティ“recommuni”をスタートさせる。


音楽配信コミュニティ“recommuni”
http://recommuni.jp/


ライブハウスブッキングマネージャー 鈴木淳文《第4週》
〜 80年代のバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちとは? 〜
2007.08.31

日本の音楽シーンを支えてきたライブハウスで仕事をしてきた立場からバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちを振り返る。
現在、ライブハウスの運営は厳しいが、なぜかライブハウスの数が増えている。



LIVE IN ROSA
ロサラーンド株式会社
鈴木淳文(Atsufumi Suzuki)


■RUIDO 1980年〜 主な出演者


ライブハウスブッキングマネージャー 鈴木淳文《第3週》
〜 80年代のバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちとは? 〜
2007.08.24

日本の音楽シーンを支えてきたライブハウスで仕事をしてきた立場からバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちを振り返る。
バンドブームの終焉後、ライブハウスシーンが急速に冷え込んだ時があった。



LIVE IN ROSA
ロサラーンド株式会社
鈴木淳文(Atsufumi Suzuki)


■プロフィール

1989年より原宿ルイードにてブッキングを手がける。
現在は池袋にあるライブハウス「LIVE IN ROSA」にてブッキングマネージャーを担当。

ライブハウスブッキングマネージャー 鈴木淳文《第2週》
〜 80年代のバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちとは? 〜
2007.08.17

日本の音楽シーンを支えてきたライブハウスで仕事をしてきた立場からバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちを振り返る。
ライブハウスにおいては80年代の方がファンのアーティストへの思い入れが強かった!?



LIVE IN ROSA
ロサラーンド株式会社
鈴木淳文(Atsufumi Suzuki)


■RUIDO 1980年〜 主な出演者


ライブハウスブッキングマネージャー 鈴木淳文《第1週》
〜 80年代のバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちとは? 〜
2007.08.10

日本の音楽シーンを支えてきたライブハウスで仕事をしてきた立場からバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちを振り返る。
80年代の原宿はライブハウスとホコ天と音楽的にリンクしてる事が多かった。



LIVE IN ROSA
ロサラーンド株式会社
鈴木淳文(Atsufumi Suzuki)


■プロフィール

1989年より原宿ルイードにてブッキングを手がける。
現在は池袋にあるライブハウス「LIVE IN ROSA」にてブッキングマネージャーを担当。

株式会社テレビ神奈川 住友利行《第4週》
〜 80年代に音楽アーティストの登竜門的な番組を多く制作していたテレビ局 〜
2007.08.03

テレビ神奈川で数多くの音楽番組を制作した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。応援するアーティストは、「ライブ」「ビデオ」「キャラクター」をメインとした3つの番組の中でプランニングも含めて継続的に応援していった。



株式会社テレビ神奈川
住友利行(Toshiyuki Sumitomo)


■80年代にTVKで放送されていた代表的な番組

○ ミュートマ ジャパン
J-POPの音楽番組がまだまだ少なかったため、この番組でオンエアーされるPVが、いち早く新曲が聴ける番組として人気を得、新しいアーティストの存在を知るきっかけになり、多くの音楽ファンが貴重な情報源として注目していた。
現在はMutoma Japanの流れを汲み、「Mutoma α」がON AIR中(毎週水曜日24時45分〜)
http://www.tvk-yokohama.com/mutoma/mutoma_a.html

○ ライブY
ベテランから注目株のアーティストまで幅広く出演をした公開収録ライブ番組。
頻繁にライブ会場へ足を運ぶことができない、若年層にとって、当選したチケットは大変貴重なものだった。
現在もコンサートライブ映像を中心に、ライブDVDやコンサートの情報を紹介している、「Mutoma Live」がON AIRされている。(毎週木曜日24時45分〜)
http://www.tvk-yokohama.com/mutoma/mutoma_l.html

株式会社テレビ神奈川 住友利行《第3週》
〜 80年代に音楽アーティストの登竜門的な番組を多く制作していたテレビ局 〜
2007.07.27

テレビ神奈川で数多くの音楽番組を制作した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。83年頃からMTVの影響を受けて、音楽においての映像の影響力が高まっていった。



株式会社テレビ神奈川
住友利行(Toshiyuki Sumitomo)


■プロフィール

1972 テレビ神奈川入社 報道制作局制作部配属
    音楽番組担当
    「ヤングインパルス」「ファンキートマト」
    「ハウディーカントリー」「ファイティング80's」
    「ミュートマワールド」「ビルボードTOP40」
    「SONY MUSIC TV」「ミュートマJAPAN」
    「ライブトマト」他
1987 報道制作部次長
    音楽番組担当
    「別冊ミュートマJAPAN」
    音楽イベント・番組「ONE」他
1992 報道制作局制作部長
    音楽番組担当
    「ミュージッククリーク」「メガポップキッス」他
1997 報道制作局次長兼制作部長
    神奈川県民ホール特例委員
    音楽バラエティ番組「SAKUSAKU」
1998 音楽トーク番組「アバウト30/50」
2000 (株)TVK音楽出版出向  代表取締役
2001 (株)TVK音楽出版を (株)ミューコムに社名変更

現在に至る

株式会社テレビ神奈川 住友利行《第2週》
〜 80年代に音楽アーティストの登竜門的な番組を多く制作していたテレビ局 〜
2007.07.20

テレビ神奈川で数多くの音楽番組を制作した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。78年にエピックソニーが設立され、ニ人三脚でロックミュージックを盛り上げていけた事が大きかった。



株式会社テレビ神奈川
住友利行(Toshiyuki Sumitomo)


■80年代にTVKで放送されていた代表的な番組

○ ミュートマ ジャパン
J-POPの音楽番組がまだまだ少なかったため、この番組でオンエアーされるPVが、いち早く新曲が聴ける番組として人気を得、新しいアーティストの存在を知るきっかけになり、多くの音楽ファンが貴重な情報源として注目していた。
現在はMutoma Japanの流れを汲み、「Mutoma α」がON AIR中(毎週水曜日24時45分〜)
http://www.tvk-yokohama.com/mutoma/mutoma_a.html

○ ライブY
ベテランから注目株のアーティストまで幅広く出演をした公開収録ライブ番組。
頻繁にライブ会場へ足を運ぶことができない、若年層にとって、当選したチケットは大変貴重なものだった。
現在もコンサートライブ映像を中心に、ライブDVDやコンサートの情報を紹介している、「Mutoma Live」がON AIRされている。(毎週木曜日24時45分〜)
http://www.tvk-yokohama.com/mutoma/mutoma_l.html

株式会社テレビ神奈川 住友利行《第1週》
〜 80年代に音楽アーティストの登竜門的な番組を多く制作していたテレビ局 〜
2007.07.13

テレビ神奈川で数多くの音楽番組を制作した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。1972年に開局し、東京キー局との差別化を狙い、若者ターゲットの独自の音楽番組作りが始まった。



株式会社テレビ神奈川
住友利行(Toshiyuki Sumitomo)


■プロフィール

1972 テレビ神奈川入社 報道制作局制作部配属
    音楽番組担当
    「ヤングインパルス」「ファンキートマト」
    「ハウディーカントリー」「ファイティング80's」
    「ミュートマワールド」「ビルボードTOP40」
    「SONY MUSIC TV」「ミュートマJAPAN」
    「ライブトマト」他
1987 報道制作部次長
    音楽番組担当
    「別冊ミュートマJAPAN」
    音楽イベント・番組「ONE」他
1992 報道制作局制作部長
    音楽番組担当
    「ミュージッククリーク」「メガポップキッス」他
1997 報道制作局次長兼制作部長
    神奈川県民ホール特例委員
    音楽バラエティ番組「SAKUSAKU」
1998 音楽トーク番組「アバウト30/50」
2000 (株)TVK音楽出版出向  代表取締役
2001 (株)TVK音楽出版を (株)ミューコムに社名変更

現在に至る

株式会社自由国民社 大越正実《第4週》
〜 取り残されてしまった音楽活字媒体? 〜
2007.07.06

『シンプジャーナル』編集長を経験した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。インターネットの発達によって、ミュージシャンとファンの間が縮まったが音楽文化的には‥‥。



■1980年代に創刊された音楽専門誌や雑誌など

○ Gb(CBSソニー出版/現・ソニー・マガジンズ)
1980年創刊。
ギターブックGB→GB→Gbと雑誌名、表記が変わった。テレビ出演等を拒否していたニューミュージック界やロック界のアーティストたちの発言や情報が満載され、長期にわたり売り上げ部数TOPを保っていた。2003年休刊。

○ アリーナ37℃(音楽専科社)
1982年創刊。
雑誌名は「アリーナ」席の熱気と微熱の「37℃」を合わせたもの。尾崎豊、BOφWY、アルフィーなど、常に時代の先を読んで取り上げた。

○ Pati Pati(CBSソニー出版/現・ソニー・マガジンズ)
1984年創刊。
今までの音楽雑誌より形を大きくし、カラーグラビアページを増やしたところ大きな評判を呼ぶことになった。チェッカーズやCCB等アイドル的要素を持つアーティストも積極的に取り上げ、アーティストが執筆した小説も掲載されていた。

○ 月刊カドカワ(角川書店)
1983年創刊。
創刊当初から数年間は、渡辺淳一、有吉佐和子、開高健などを掲載した文藝雑誌だった。86年頃から徐々にミュージシャンや漫画家やタレントの特集が組まれたり人気アーティストなどが表紙を飾ったた。1998年廃刊。

…other
BACKSTAGE PASS(シンコーミュージック) 1985年創刊。
ROCKIN'ON JAPAN(ROCKIN'ON) 1986年創刊。
CDでーた(角川書店) 1987年創刊。

株式会社自由国民社 大越正実《第3週》
〜 取り残されてしまった音楽活字媒体? 〜
2007.06.29

『シンプジャーナル』編集長を経験した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。80年代と今も変わらない音楽雑誌の原稿料、あまりに低くて人材が育たない!?



自由国民社
大越正実(Masami Okoshi)

■プロフィール

1953年東京都出身。
大学卒業後エレック社(出版社)入社。
1979年に音楽専門誌『新譜ジャーナル』(後に『シンプジャーナル』に改称/1968年創刊)の編集部にアルバイトとして入り、84年より90年に休刊されるまで編集長を務める。

『シンプジャーナル・ベストセレクション80's』、『セメント・フォーク大全集』、『種牡馬辞典』、『音楽的日乗 スローハンド』など多くの書籍、雑誌等を手がけ、流行語のみならず、新語・専門語・基礎知識・トリビア等が集 結されている用語年鑑『現代用語の基礎知識』の編集長でもある。

株式会社自由国民社 大越正実《第2週》
〜 取り残されてしまった音楽活字媒体? 〜
2007.06.22

『シンプジャーナル』編集長を経験した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。音楽ビジネスがアマチュアからプロフェッショナルへ変わった時代。



■1980年代に創刊された音楽専門誌や雑誌など

○ Gb(CBSソニー出版/現・ソニー・マガジンズ)
1980年創刊。
ギターブックGB→GB→Gbと雑誌名、表記が変わった。テレビ出演等を拒否していたニューミュージック界やロック界のアーティストたちの発言や情報が満載され、長期にわたり売り上げ部数TOPを保っていた。2003年休刊。

○ アリーナ37℃(音楽専科社)
1982年創刊。
雑誌名は「アリーナ」席の熱気と微熱の「37℃」を合わせたもの。尾崎豊、BOφWY、アルフィーなど、常に時代の先を読んで取り上げた。

○ Pati Pati(CBSソニー出版/現・ソニー・マガジンズ)
1984年創刊。
今までの音楽雑誌より形を大きくし、カラーグラビアページを増やしたところ大きな評判を呼ぶことになった。チェッカーズやCCB等アイドル的要素を持つアーティストも積極的に取り上げ、アーティストが執筆した小説も掲載されていた。

○ 月刊カドカワ(角川書店)
1983年創刊。
創刊当初から数年間は、渡辺淳一、有吉佐和子、開高健などを掲載した文藝雑誌だった。86年頃から徐々にミュージシャンや漫画家やタレントの特集が組まれたり人気アーティストなどが表紙を飾ったた。1998年廃刊。

…other
BACKSTAGE PASS(シンコーミュージック) 1985年創刊。
ROCKIN'ON JAPAN(ROCKIN'ON) 1986年創刊。
CDでーた(角川書店) 1987年創刊。

株式会社自由国民社 大越正実《第1週》
〜 取り残されてしまった音楽活字媒体? 〜
2007.06.15

『シンプジャーナル』編集長を経験した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。雑誌はミュージシャンの人となりを伝え、ラジオは音楽伝え、成功するとテレビへ、という住み分けが無くなった時代。



自由国民社
大越正実(Masami Okoshi)

■プロフィール

1953年東京都出身。
大学卒業後エレック社(出版社)入社。
1979年に音楽専門誌『新譜ジャーナル』(後に『シンプジャーナル』に改称/1968年創刊)の編集部にアルバイトとして入り、84年より90年に休刊されるまで編集長を務める。

『シンプジャーナル・ベストセレクション80's』、『セメント・フォーク大全集』、『種牡馬辞典』、『音楽的日乗 スローハンド』など多くの書籍、雑誌等を手がけ、流行語のみならず、新語・専門語・基礎知識・トリビア等が集 結されている用語年鑑『現代用語の基礎知識』の編集長でもある。

株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役 村田積治《第4週》 〜 時代とタイアップしたアーティストたちのマネージメントとは? 〜
2007.06.08

ジャグラー〜イーストウエストジャパンとプロダクション&音楽メーカーの両方を経験した立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。無くてもいいかもしれないが、あればハッピー! 音楽はワイン?



株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役社長 村田積治

■プロフィール

1951年生まれ。
昭和57年10月 (株)ジャグラー設立 代表取締役 就任
昭和58年7月 (有)フィラメントミュージックパブリシャーズ設立 代表取締役 就任
平成元年4月 (株)イーストウエストジャパン 取締役副社長 就任(平成7年11月迄)
平成9年4月 (株)ラストラム・ミュージックエンタテインメント設立 代表取締役に就任、現在に至る

現職:
・株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント 代表取締役社長
・株式会社ジャグラー 取締役
・有限会社フィラメントミュージックパブリシャーズ 代表取締役社長
・株式会社ベースメント 取締役

その他:
・社団法人音楽制作者連盟 理事(平成元年〜平成9年6月迄)
・社団法人音楽出版社協会 理事(平成元年5月〜平成4年6月迄)

株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役 村田積治《第3週》 〜 時代とタイアップしたアーティストたちのマネージメントとは? 〜
2007.06.01

ジャグラー〜イーストウエストジャパンとプロダクション&音楽メーカーの両方を経験した立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。ザ・ブルーハーツに見た、本当のロックミュージシャンの姿とは?



株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役社長 村田積治


○ THE BLUE HEARTS
1987年2月自主制作盤「人にやさしく/ハンマー」を発売後、同年5月、メルダックより「リンダリンダ」でメジャーデビュー。メンバーは、甲本ヒロト(Vo.、ブルースハープ)、真島昌利(Guitar、Vo.、Cho.)、河口純之助 (bass、cho.)、梶原徹也(Dr.、cho)。歌詞、サウンド、ライブパフォーマンス、全てにおいて日本の音楽シーンに衝撃を与え、「リンダリンダ」、「TRAIN-TRAIN」、「情熱の薔薇」など多くのヒット曲を残し、1995年解散。


○ ECHOES
1984年CBSソニー(現ソニーミュージックエンタテイメント)より『WELCOME TO THE LOST CHILD CLUB』でデビュー。メンバーは、辻仁成(Vo.、Guitar)、伊藤浩樹(Guitar、Cho.)、伊黒俊彦(Bass、Cho.)、今川勉(Dr.、Cho.)。1991年5月、日比谷野外音楽堂でのライブを最後に解散。2000年にフジテレビで放送された辻仁成原作のドラマ「愛をください」のエンディングに「ZOO」が使用され大ヒット。同年12月に日本武道館にて再結成ライブを行った。

株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役 村田積治《第2週》 〜 時代とタイアップしたアーティストたちのマネージメントとは? 〜
2007.05.25

ジャグラー〜イーストウエストジャパンとプロダクション&音楽メーカーの両方を経験した立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。フィッツビートレーベルから生まれたミニアルバム、その誕生までのプロセスとは?



株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役社長 村田積治


○ フィッツビートレーベル
1980年代初め、後藤次利が創設したレコード・レーベル(CBSソニー/現ソニーミュージックエンタテイメント)。シングル、アルバムを低価格で販売し、話題を集めた。その後レベッカや聖飢魔IIなどがヒットを飛ばし、通常価格、曲数のアルバム販売へ移行。他にレッドウォーリアーズ、宮原学等がこのレーベルに在籍していた。


○ キャロル
1972年12月20日シングル「ルイジアンナ」でメジャーデビュー。メンバーは矢沢永吉(Bass、Vo)、ジョニー大倉(Guitar、Vo)、内海利勝(Guitar)、ユウ岡崎(Drums)。革ジャン、リーゼント、ロックンロールといスタイルという独自のスタイルで音楽シーンだけでなく社会全体に大きなインパクトを与えた。1975年4月の日比谷野外音楽堂でのライブを最後に解散。

株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役 村田積治《第1週》 〜 時代とタイアップしたアーティストたちのマネージメントとは? 〜
2007.05.18

ジャグラー〜イーストウエストジャパンとプロダクション&音楽メーカーの両方を経験した立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。カウンターカルチャーこそインパクトがある、矢沢永吉は時代とタイアップしていた。



株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役社長 村田積治

■プロフィール


1951年生まれ。
昭和57年10月 (株)ジャグラー設立 代表取締役 就任
昭和58年7月 (有)フィラメントミュージックパブリシャーズ設立 代表取締役 就任
平成元年4月 (株)イーストウエストジャパン 取締役副社長 就任(平成7年11月迄)
平成9年4月 (株)ラストラム・ミュージックエンタテインメント設立 代表取締役に就任、現在に至る

現職:
・株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント 代表取締役社長
・株式会社ジャグラー 取締役
・有限会社フィラメントミュージックパブリシャーズ 代表取締役社長
・株式会社ベースメント 取締役

その他:
・社団法人音楽制作者連盟 理事(平成元年〜平成9年6月迄)
・社団法人音楽出版社協会 理事(平成元年5月〜平成4年6月迄)

株式会社ディスクガレージ代表取締役 中西健夫《第4週》
〜 1980年代からコンサートビジネスが変わっていった 〜
2007.05.11

時代とともに複雑になってきたコンサートビジネス。コンサートプロモーターの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。
コンピューターによるチケット配券が始まった80年代、コンサートとお客さんの距離が縮まった。



株式会社ディスクガレージ代表取締役
中西健夫


■プロフィール

1956年生まれ。京都府出身。
1972年に京都にてバンド活動を開始し、1979年にメージャーデビューを果たすが、1年間の活動後解散。
1980年に株式会社ディスクガレージにてアルバイトを始め、1981年に社員となる。以降、80年代の音楽シーンをリードする多くのアーティストとの関係を築き才覚を現す。1990年、取締役専務に就任。1993年、代表取締役副社長に就任後、1997年4月には代表取締役社長に就任した。
趣味はサッカーと暖かいところへの旅行。
モットーは、人との出会いを一番大切にする事。夢を夢で終わらせない事。

株式会社ディスクガレージ代表取締役 中西健夫《第3週》
〜 1980年代からコンサートビジネスが変わっていった 〜
2007.05.04

時代とともに複雑になってきたコンサートビジネス。コンサートプロモーターの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。
ハウンドドッグは西武球場を貸してもらえなかった !? ロックに対して、まだまだ偏見のあった80年代。



株式会社ディスクガレージ代表取締役
中西健夫


■ 80年代に行われたライブを収めた主なCD

○YMO / アフター・サーヴィス
 1983年12月に行われたラストライブ
『YMO JAPAN TOUR 1983/日本武道館公演』を収録したもの。

○レッド・ウォーリアーズ / 1988 KING'S ROCK'N ROLL SHOW
 1988年、西武球場でのライブの模様。

○HOUND DOG / 狼と踊れ〜武道館ライブ
1983年11月2日の武道館ライブ。

○レベッカ / ライブ・セレクションー1
1987年12月から1988年5月にかけての各所のライブでの演奏曲を9曲ピックアップ。

○レベッカ / ライブ・セレクションー2
1989年の東京ドームライブと、1990年の武道館ライブ(実質的解散ライブ)からの収録。

○BOOWY / LAST GIGS
1988年4月に行なわれた落成間もない東京ドームでのライヴ盤。

株式会社ディスクガレージ代表取締役 中西健夫《第2週》
〜 1980年代からコンサートビジネスが変わっていった 〜
2007.04.27

時代とともに複雑になってきたコンサートビジネス。コンサートプロモーターの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。
80年代後半に存在した汐留PIT、アイデアのきっかけはBOOWYだった !? 80年代から進化を始めた野外音楽イベント。



株式会社ディスクガレージ代表取締役
中西健夫


■1980年代に作られた主なコンサート会場

○汐留PIT
旧国鉄汐留貨物駅の跡地に期間限定で作られたコンサート会場。

○日清パワーステーション
「食事も出来るおしゃれなライブハウス」として、スペシャルディナーシートでは食事が楽しめた。1998年閉鎖。

○クラブチッタ
1988年に大型ライブハウスとしてオープン。2000年に周辺地区の再開発に伴いクローズしたが、2002年に移転し再オープンした。

株式会社ディスクガレージ代表取締役 中西健夫《第1週》
〜 1980年代からコンサートビジネスが変わっていった 〜
2007.04.20

時代とともに複雑になってきたコンサートビジネス。コンサートプロモーターの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。
80年代にメディアやライブハウス、コンサート会場などのインフラが整備されて、コンサートビジネスが変化していった。



株式会社ディスクガレージ代表取締役
中西健夫


■プロフィール

1956年生まれ。京都府出身。
1972年に京都にてバンド活動を開始し、1979年にメージャーデビューを果たすが、1年間の活動後解散。
1980年に株式会社ディスクガレージにてアルバイトを始め、1981年に社員となる。
以降、80年代の音楽シーンをリードする多くのアーティストとの関係を築き才覚を現す。
1990年、取締役専務に就任。1993年、代表取締役副社長に就任後、1997年4月には代表取締役社長に就任した。
趣味はサッカーと暖かいところへの旅行。
モットーは、人との出会いを一番大切にする事。夢を夢で終わらせない事。

ミュージシャン ムッシュかまやつ《第4週》
〜常に音楽シーンの第一線で活躍を続ける、ムッシュ。
  時代とともに変わっていく音楽との付き合い方とは?〜
2007.04.13

1950年代から現在まで、音楽シーンの第一線で活躍してきたミュージシャンの立場から1980年代を中心に、音楽シーンを振り返る。

人にしか作れないリズムがある。機械には人間が創る以上の音楽は作れない!

ミュージシャン ムッシュかまやつ
【ムッシュかまやつ・最新情報】


1960年代後半、今までにはなかった音楽が生まれた。「アングラソング」「プロテストソング」「フォーク」などと呼ばれ、既成の音楽界を打ち破る新しい流れになった。後の、ニューミュージックやJ-POP の源流になった音楽だ。

四十年近くたった今でも脈々と息づいている。「遠い世界に」「どうにかなるさ」「愛と風のように〜ケンとメリー」「さなえちゃん」「恋人もいないのに」「腰まで泥まみれ」「されど私の人生」‥‥あの名曲の数々が新録音、秘蔵音源で甦る。


参加アーティスト:
斉藤哲夫/中川五郎/シモンズ/ BUZZ /加奈崎芳太郎/ムッシュかまやつ/西岡たかし

2007年4月18日発売
¥3,000(税抜き¥2,857)
※iTune にて先行配信中

ミュージシャン ムッシュかまやつ《第3週》
〜常に音楽シーンの第一線で活躍を続ける、ムッシュ。
  時代とともに変わっていく音楽との付き合い方とは?〜
2007.04.06

1950年代から現在まで、音楽シーンの第一線で活躍してきたミュージシャンの立場から1980年代を中心に、音楽シーンを振り返る。

情報の氾濫によって、ブームが出来にくくなっている。今は、1アーティストがシーンを引っ張って行く時代。

ミュージシャン ムッシュかまやつ
プロフィール3



2000年 TBSラジオ「マクドナルド Presents ムッシュかまやつ青春交差店」ソン・フィルトルとして六本木スイートベイジルにて年5日ライブを行う。
2001年
7月 ドラマ「金田一少年の事件簿」4話出演
8月 京王プラザホテルにてムッシュプロデュースライブ。10月にはジョン・レノン音楽祭にも参加。
2002年
7月27日に小西康陽プロデュースで 「我が名はムッシュ−Je m'appelle MONSEIUR」リリース。
8月にも、「喫茶ロック〜レディーメイド編〜」に参加。
9月には、初めの自叙伝「ムッシュ!」発売。
11月には、BMGファンハウスよりセルフカヴァーアルバム「Classics」リリース。
2003年
5月 「ONE NIGHT STAND BROTHERS」同名義バンドでリリース。ライブも行う
11月 「FOREVER!野音ライブ」プロデュース。
2004年
4月、9月 「ROCK OF AGES FATHER & DAUGHTERS」と題し、ライブハウスツアーを敢行!
TBSラジオ「ムッシュかまやつ青春交差店」9月に終了。
NTV「キャンティー物語」、「クリスマスなんか大嫌い」などのドラマに出演。
2005年
3月 スマトラ沖地震チャリティーライブ「FORK AID」に参加
6月 「クロスオーバージャパン」
10月 オンエアーNHK「音楽夢くらぶ」で上戸彩さんと共演。その他、多数のライブを行なう。
2006年
TBSドラマ「輪舞曲」1話、7話出演、
4月 NTV「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」
5月 CX「僕らの音楽」、7月NHK「ビートルズトリビュート」
8月 「ブライアン・ジョーンズ」トリビュート盤、渚のオールスターズ再結成
9月 「つま恋コンサート」ゲスト出演
12月 NTV「HAPPY X'mas SHOW!」、「今井美樹20周年記念ディナーショー」ゲスト出演。

ミュージシャン ムッシュかまやつ《第2週》
〜常に音楽シーンの第一線で活躍を続ける、ムッシュ。
  時代とともに変わっていく音楽との付き合い方とは?〜
2007.03.30

1950年代から現在まで、音楽シーンの第一線で活躍してきたミュージシャンの立場から1980年代を中心に、音楽シーンを振り返る。

ジャズに大きな影響を受けていたためか、ボーカルが前に出ている音楽が苦手だった。テクノロジーと人とのバランスが重要!

ミュージシャン ムッシュかまやつ
プロフィール2



1980年代 ブルース、ロックンロール、カントリーロックのセッションシンガーとしてパラシュート、ノブ・ケイン等のバンドで活動。
1986年 スタジオミュージシャン今剛、高水健司、島村英二、難波正司とバンド「ワンナイト・スタンド・ブラザーズ」を結成、アルバムリリース。
1990年 TMネットワーク、爆風スランプ、レベッカ、高橋ユキヒロ等と「ザ・スパイダーズ・カバーズ」リリース。
1994年 ブランニューヘビーズ、D.C.リー等とロンドンセッション「ゴロワーズ」をリリースしヒット。
1995年 コーネリアスのアルバムやコンサートに参加。女性ミュージシャンとのユニット「CALLAS」結成、アルバムリリース。
1996年 カヒミ・カリイのアルバムに参加。「ウォッカ・コリンズ」再結成。
1998年 EPSONのCMやVシネマ「代官山物語」に出演。
1999年 堺正章、井上堯之らと「Sans Filtre」(ソン・フィルトル)結成。第50回NHK紅白歌合戦に「Sans Filtre」として出場。

ミュージシャン ムッシュかまやつ《第1週》
〜常に音楽シーンの第一線で活躍を続ける、ムッシュ。
  時代とともに変わっていく音楽との付き合い方とは?〜
2007.03.23

1950年代から現在まで、音楽シーンの第一線で活躍してきたミュージシャンの立場から1980年代を中心に、音楽シーンを振り返る。音楽キャリアのスタートがカントリー&ウエスタン。そしてマージービートを経てフォークの世界で活動していた時に、ショックをおぼえたのはYMOだった。

ミュージシャン ムッシュかまやつ
プロフィール1



1956年 青山学院在学中よりカントリー&ウエスタンの学生バンド結成。米軍キャンプを中心にプロとして活動開始。
1958年 「小坂一也とワゴンマスターズ」に加入。
1959年 「ウェスタン・オールスターズ」リリース、「日劇ウェスタンカーニバル」等に出演。
1960年 ジャズドラマーのジョージ大塚とフュージョンバンド「ザ・サンダーバード」結成。「殺し屋のテーマ」でソロデビュー。水原弘、守屋浩らと「ロカビリー3人ひろし」で活動。
1962年 3月よりハワイ、米本土に音楽留学。
1963年 帰国後ワイルド・ワンズの加瀬邦彦等とロックバンド「キャノン・ボール」で活動。
1964年 田辺昭知、堺正章、井上 順等とザ・スパイダース結成。「フリフリ」「ノーノーボーイ」「バン・バン・バン」「夕陽が泣いている」「サマーガール」「あの時君は若かった」等がヒット。
1970年にスパイダース解散。
1970年代 解散後再びソロシンガーとして「どうにかなるさ」「のんびりいくさ」「四つ葉のクローバー」吉田拓郎とのデュエット「シンシア」等がヒット。「第2回全日本フォークジャンボリー」出演。ロックバンド「ウォッカ・コリンズ」結成、ヴォーカルグループガロやアルフィーとのジョイント、笠井紀実子の「アンブレラ」や荒井由実のデビューシングル「返事はいらない」等のプロデュース、「第2回全日本フォークジャンボリー」、「時間ですよ」、コカコーラのCM等に出演。
1975年 「我が良き友よ」が大ヒット。

株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役 丸山茂雄《第4週》
〜80年代EPIC・ソニーの映像中心戦略のきっかけは「スリラー」だった !? 〜
2007.03.16

EPIC・ソニーを立ち上げビッグブランドに育て音楽シーンを席巻した、レコードメーカーの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。レコードからCDに変化した時代、音楽メーカーにあたえた影響とは?

株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役
丸山茂雄


■ 80年代、EPICソニーに所属していた主なアーティスト

○ THE MODS
1981年6月 アルバム『FIGHT OR FLIGHT』、シングル『崩れ落ちる前に』でデビュー。1982年6月 デビュー1周年記念コンサートとして日比谷野外音楽堂で行われたライブでは、中盤に大粒の大雨が降りだしたが、観客は誰一人帰ろうとせず、伝説のライブとなる。2002年 自らのレーベル ROCKAHOLIC を立ち上げる。2006年 デビュー25周年を迎える。9月には、“THE MODS 25周年記念出版 THE MODS コンプリート・ヒストリー・ブック「THE MODS IN THE NAME OF ROCK-THE MODS HISTORY-」”を発売。

○ 大江千里
1981年10月 関西学院大学在学中に、CBSソニーオーディション最優秀アーティスト賞を受賞。1983年5月 EPIC/SONY RECORDSより、大村憲司氏プロデュースのアルバム『WAKUWAKU』、シングル『ワラビーぬぎすてて』でデビュー。シンガーソングライターとして高い評価を得る。2006年4月 音楽活動23周年を迎える大江千里初のみんなで作るリクエスト・ベストアルバム『Sloppy Joe III』をリリース。10月7日名古屋ブルーノートを皮切りに「SENRI OE TRIO TOUR 2006」がスタート。音楽活動のみならず、エッセイスト、俳優、テレビ司会者、ラジオパーソナリティーなど幅広く活躍している。

○ BARBEE BOYS
1983年 BSソニーオーディショングランプリを受賞。1984年 『暗闇でDANCE』でメジャーデビュー。KONTAと杏子の男女掛け合い型のヴォーカルで、当時のバンドの中では異色を放っていた。代表曲『目を閉じておいでよ』『負けるもんか』など多数。日本人アーティストとして初めて単独での東京ドーム公演を行う。1992年 解散。2003年2月 エピックレコード25周年を祝して開催された『LIVE EPIC 25』にて3夜限りの復活を果たす。

○ 佐野元春
1980年『アンジェリーナ』でデビュー。『ガラスのジェネレーション』、『Someday』、『Blood』など、数々のヒット曲生み、幅広い世代に支持され、ミュージシャンとの楽曲 の共作やコラボレーションラジオ番組のDJ、雑誌『THIS』を手がけるな ど、多才な活動でも注目を集める。2004年には、EPICソニーレコードを離れ、プライベートレーベルDaisyMusic“”を立ち上げた。現在は、日本テレビ系列、音楽バラエティ番組『MUSIG』にレ ギュラー出演をしたり、4月26日には新宿コマ劇場で行われる『サンボマスター vs 佐野元春』のライブなどを予定している。

株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役 丸山茂雄《第3週》
〜80年代EPIC・ソニーの映像中心戦略のきっかけは「スリラー」だった !? 〜
2007.03.09

EPIC・ソニーを立ち上げビッグブランドに育て音楽シーンを席巻した、レコードメーカーの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。プロモーションビデオを作ったものの、映像を流す場が無かった !?

株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役
丸山茂雄


■ビデオコンサートとは?

1984年前後から、レコードメーカー各社が全国主要レコード店で開催していた。EPIC・ソニーは「Bee」というビデオコンサートを開催しており、そのビデオコンサートでしか見られない特典映像も多く、人気を博した。

株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役 丸山茂雄《第2週》
〜80年代EPIC・ソニーの映像中心戦略のきっかけは「スリラー」だった !? 〜
2007.03.02

EPIC・ソニーを立ち上げビッグブランドに育て音楽シーンを席巻した、レコードメーカーの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。フォークとラジオが結びついていた70年代から80年代初頭。その当時、ロックをプロモーションしてもラジオ業界には全く受け入れられなかった。

株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役
丸山茂雄


■EPIC・ソニーとは?

1978年に設立された、EPIC・ソニーは当時フォークやニューミュージックが全盛だった時、佐野元春やTHE MODS、シャネルズらを擁しポップ&ロックシーンを切り開き80年代の音楽シーンをリードしていった。
1980年代にEPIC・ソニーに所属していた主なアーティスト
佐野元春、THE MODS,シャネルズ、TM NETWORK、大江千里、大沢誉志幸、THE STREET SLIDERS、渡辺美里、岡村靖之、バブルガム・ブラザーズ、BARBEE BOYS(順不同)

株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役 丸山茂雄《第1週》
〜80年代EPIC・ソニーの映像中心戦略のきっかけは「スリラー」だった !? 〜
2007.02.23

EPIC・ソニーを立ち上げビッグブランドに育て音楽シーンを席巻した、レコードメーカーの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。70年代の音楽シーンはテレビの影響を恩恵を受けた時代。そして、ひと段落した70年代後半から新しいシーンが生まれる匂いがしていた。

株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役
丸山茂雄


■プロフィール

1941年生まれ。1966年早稲田大学商学部卒業。同年、(株) 読売広告社に入社。1968年に (株) CBSソニーレコード(現ソニー・ミュージックエンタテイメント)に入社。1978年には (株) EPICソニーレコード設立する。そこでEPICソニーの一時代を築き、EPICブランドを確立する。その後、1993年に (株)ソニー・コンピュータエンタテインメント設立を経て、1998年 (株)ソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役社長に就任。現在は2003年3月に (株) に・よん・なな・ みゅーじっくを設立し、代表取締役として辣腕を振るう。

社団法人 音楽制作者連盟 常務理事 上野 博《第4週》
レコード・CDの売り上げを中心に動いた80年代、レコード会社中心の時代だった
2007.02.16

オフコースカンパニ〜上野カンパニーとアーティストマネージメントの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。ライブやコンサートがCD販売のプロモーションのために存在していた。

社団法人 音楽制作者連盟 常務理事
上野 博



■社団法人音楽制作者連盟 役員構成

理事長 糟谷銑司 (株)アイアールシートゥコーポレーション
副理事長 高橋信彦 (株)ロードアンドスカイ
副理事長 佐藤 剛 ファイブ・ディー(株)
常務理事 上野 博 (常勤)
常務理事 大石征裕 マァヴェリック・ディー・シー(株)
常務理事 緒方庶史 (株)シンコーミュージック・エンタテイメント
理 事 門池三則 (株)バッド・ミュージック
理 事 菊地哲榮 (株)ハンズオン・エンタテインメント
理 事 小杉 茂 (株)ハウリング・ブル・エンターテイメント
理 事 小林武史 (有)OORONG-SHA
理 事 田島 敏 (株)ヒップランドミュージックコーポレーション
理 事 細川 健 (株)ヤングジャパングループ
理 事 森脇信治 (株)イメージクエストインタラクティブ
理 事 山口哲一 バグ・コーポレーション
理 事 川口勇吉 (株)アップフロントグループ
監 事 田中義則 (株)ベリーファーム
監 事 龍村 全 龍村法律事務所(顧問弁護士)
顧 問 安部次郎  
顧 問 寺本幸司  
顧 問 中村伊知哉 慶應義塾大学教授/(財)国際IT財団 専務理事

社団法人 音楽制作者連盟 常務理事 上野 博《第3週》
レコード・CDの売り上げを中心に動いた80年代、レコード会社中心の時代だった
2007.02.09

オフコースカンパニ〜上野カンパニーとアーティストマネージメントの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。商業主義とカウンターカルチャーの中でアーティストもマネージメントも揺れ動いた時代。

社団法人 音楽制作者連盟 常務理事
上野 博



■話の中で登場したバンド

ZELDA
80年代ニュー・ウエーブの代表的ガールズ・バンド。1980年、YMOに代表されるテクノ・ポップと共に勢力を拡大した東京ニュー・ウェーヴ・ムーブメント。その代表的ガールズ・バンドとして鮮烈にデビューした。1996年解散。

THE BLUE HEARTS
コーツとして活動していたヒロトと、かつてブレイカーズを結成していたマーシーが出会い、85年に結成された。1987年にデビュー。以降それまでにないような「劣等感」「反権力」などをテーマとした曲を作り上げ、多くの若者らを共感、熱狂させた。解散後も日本音楽界のみならず、様々な分野に影響を与えている。


社団法人 音楽制作者連盟 常務理事 上野 博《第2週》
レコード・CDの売り上げを中心に動いた80年代、レコード会社中心の時代だった
2007.02.02

オフコースカンパニ〜上野カンパニーとアーティストマネージメントの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。音楽ビジネスのあり方が変わった時代、権利ビジネスが本格化していった。

社団法人 音楽制作者連盟 常務理事
上野 博



■音楽制作者連盟(略称:FMP)とは

1986年に任意団体として設立され、1989年9月に文化庁から社団法人の認可を得る。
1986年に任意団体として設立され、1989年9月に文化庁から社団法人の認可を得る。
音楽プロダクション216社(1999年10月末現在)で構成されている公益法人。
設立のきっかけは、貸レコード(CD)店の出現であった。
1980年6月に、日本で最初のレコードレンタル店が東京・三鷹に誕生し、著作権法の隙間を狙ったアイデア商法として注目を集め、1年でその数は1,000店を超えるまでになった。今でこそCDレンタルは当たり前のように社会に認知されているが、レコード販売による印税収入が経営の重要な基盤となっている音楽プロダクション、著作者、音楽出版社、そしてもちろんレコード会社にとって、それは到底受け入れられるものではなかった。 1981年10月にレコード会社13社が、大手レンタル・チェーン4社を相手に、「複製権の侵害」に当たるとして、東京地裁に貸与の差止め請求を提訴し、日本音楽著作権協会(JASRAC)、日本芸能実演家団体協議会(芸団協)も、同様に東京地裁に提訴。その後、国会において「貸レコード規制法案」が審議され、1984年5月の著作権法改正で、貸レコード店が実演家(歌手・演奏家)、レコード製作者、著作権者への使用料の支払いを義務づける「貸与権」が新設されました。ただし、貸レコード店が使用料を個別の権利者に直接支払うことは不可能なため、それを代表して受け取る団体として芸団協が指定され、各権利者に分配する窓口として、現在でいうJ-POPアーティストのマネージメントを行う音楽プロダクションで構成されたFMPが誕生。 その後も著作隣接権擁護に関わる様々な問題に取り組み、音楽プロダクションの地位向上に努めている。


■FMPの主な活動内容

○ 音楽制作者、実演家の権利に関する業務
 1.貸レコード使用料の分配業務
 2.商業用レコード放送二次使用料の分配業務
 3.私的録音録画補償金の分配業務
 4.肖像パブリシティ権の擁護・啓蒙活動
 5.VTRの目的外使用の監視
 6.デジタル化、ネットワーク化の進歩がもたらす諸問題への対応
 7.内外の音楽権利者団体等との交渉及び交流

○ 分配業務を円滑に遂行するための支援業務
○ AMO音楽データベースの運営
○ 音楽イベントの開催
○ 会員へのビジネス情報の提供及び会員相互の交流促進


社団法人 音楽制作者連盟 常務理事 上野 博《第1週》
レコード・CDの売り上げを中心に動いた80年代、レコード会社中心の時代だった
2007.01.26

オフコースカンパニ〜上野カンパニーとアーティストマネージメントの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。1980年代に入り、エピック・ソニーの登場に新しいシーンを感じた。

社団法人 音楽制作者連盟 常務理事
上野 博


1950年生まれ、18歳の時、高石事務所(のち音楽舎)に入社。はしだのりひことシューベルツ、はしだのりひことクライマックスのマネージャーとなる。4年後、(有)サブ・ミュージック・パブリッシャーズを設立、杉田二郎、オフコース、ザ・バットボーイズ、シュリークスを手がける。その後、ベイシティーローラーズ、ロッドシュチュアート他の外国人タレントの招聘を経て、1979年(有)オフコースカン入社、1983年再び独立し、(株)上野カンパニーを設立、安倍泰弘、鈴木祥子、ZELDAを手掛ける。1991年(社)音楽制作者連盟理事・事務局長に就任、1999年常務理事に就任、現在に至る。
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 Index
・株式会社MSエンタテインメント 代表取締役 田中芳雄
ミュージカルステーション設立からマネージメントに携わってきた立場から音楽シーンを振り返る
《第1週》「70年代はレコード会社のヒットを狙う姿勢からマネージメントととして学ぶものが多かった。
《第2週》80年代に入りラジオを通じて、アーティストのキャラクターを積極的にプロモーションしていった。
《第3週》シングル重視からアルバム重視へ、そしてコンサートに重点を置いたのが80年代だった。
《第4週》マネージメントにおいて権利ビジネスが最も注目を集めたのが80年代だった。
・株式会社角川学芸出版 杉岡中
ミディ、角川書店と経験した立場から音楽シーンを振り返る。
《第1週》いきなり入社したばかりで「いけないルージュマジック」の大ヒットを経験。
《第2週》80年代、業界のポテンシャル以上の売り上げを求めて、何かを見失った時代。
《第3週》80年代に入り、急激に海外の音楽情報が一般の人にも届き、輸入盤が流通され始めた。
《第4週》月刊カドカワは当初、女性向けの小説誌だった。音楽アーティストの特集は松任谷由実が最初。
・タワーレコード株式会社 望月展子
ぴあ、タワーレコードと経験した立場から音楽シーンを振り返る。
《第1週》80年代は、様々なタイプのライブハウスが混在していた時代。仕事の9割が、掲載を断る仕事だった!?
《第2週》劇団四季のチケットの取り扱いからスタートした“チケットぴあ”が邦楽の売り上げまでに影響を及ぼすに至った。
《第3週》80年代、ぴあ編集部内で、音楽においてカルチャーとエンターテイメントを線引きする傾向があった。
《第4週》80年代の読者は情報をインデックス化する事で活用していたが、現在は、なかなか自分の好みの枠を越えてまで活用しない。
・株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長 斎藤薫
TBSのテレビ・ラジオで80年代にプロデューサーとディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。
《第1週》「日本レコード大賞」「ザ・ベストテン」など音楽番組を制作していたTBS。80年代は音楽を情報として扱った番組がブレイクした。
《第2週》邦楽、洋楽ともにテレビや映像の影響が大きく、またライブパフォーマンスが重要になっていった時代だった。
《第3週》音楽の楽しみ方の多様化によって、音楽チャート番組が80年代後半、時代に対応出来なくなってきた。
《第4週》テレビにおける音楽番組は80年代にピークを迎え、音楽番組は減っていった。その結果、世の中に知られている曲とミリオンヒットがシンクロしなくなった。
・ミュージシャン/プロデューサー
伊藤銀次
佐野元春、沢田研二、ウルフルズのプロデュースワークをした立場から80〜90年代当時の音楽シーンを振り返る。
《第1週》80年代を迎え、佐野元春を売らないと日本の音楽シーンは良くならない、という思いが強かった。
《第2週》日本において70年代に神格化されていたロックが80年代に入り、いい意味で大衆化していった。
《第3週》日本の街並みが変わっていくとともに、そこにフィットする音楽も変わっていく。
《第4週》80年代は音楽をやっている人たちにとって、恵まれた時代だった。アメリカやイギリスの音楽シーンに触発されて、日本も活性化していった。
・ライター 松沢呉一
80〜90年代に音楽、映像、広告、放送、ライターなど様々な仕事に携わった立場から当時の音楽シーンを振り返る。
《第1週》80年代の大学での音楽イベントには、何かに例える事の出来ない熱気があり、観る側にも、ただライブを観ているだけでない参加意識を持っていた。
《第2週》80年代は音楽や映像や芝居がボーダレスに関わり、大学を活動の中心にとして、カルチャーを作り上げていた。
《第3週》80年代にはオヤジの象徴であったカラオケ文化、そのカラオケの存在の変化が、今の音楽シーンに大きな影響を与えている。
《第4週》カラオケボックスは、今や音楽プロモーションの場となっている。音楽が聴くものから歌うものへ変化した。
・株式会社レコミュニ 取締役 福岡智彦
渡辺音楽出版で80年代を代表するアーティストのディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。
《第1週》歌謡曲からポップやロックに移り変わっていった80年代前半の音楽シーンは洋楽に影響され試行錯誤した時代だった。
《第2週》作詞、作曲、歌が、それぞれのスペシャリストが担当する事により、スケールの大きい作品が生まれる。等身大の作品じゃ、物足りない。
《第3週》80年代はデジタルの録音機器や楽器が沢山生まれた時代。レコーディングで実験的な遊びを多用した。
《第4週》レコード業界にとって、いい時代だった80年代。でも、それは終わりの始まりだった。
・ライブハウスブッキングマネージャー
鈴木淳文
日本の音楽シーンを支えてきたライブハウスで仕事をしてきた立場からバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちを振り返る。
《第1週》80年代の原宿はライブハウスとホコ天と音楽的にリンクしてる事が多かった。
《第2週》ライブハウスにおいては80年代の方がファンのアーティストへの思い入れが強かった !?
《第3週》バンドブームの終焉後、ライブハウスシーンが急速に冷え込んだ時があった。
《第4週》現在、ライブハウスの運営は厳しいが、なぜかライブハウスの数が増えている。
・株式会社テレビ神奈川 住友利行
テレビ神奈川で数多くの音楽番組を制作した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。
《第1週》1972年に開局し、東京キー局との差別化を狙い、若者ターゲットの独自の
音楽番組作りが始まった。
《第2週》78年にエピックソニーが設立され、ニ人三脚でロックミュージックを盛り上げていけた事が大きかった。
《第3週》83年頃からMTVの影響を受けて、音楽においての映像の影響力が高まっていった。
《第4週》応援するアーティストは、「ライブ」「ビデオ」「キャラクター」をメインとした3つの番組の中でプランニングも含めて継続的に応援していった。
・株式会社自由国民社 大越正実
『シンプジャーナル』編集長を経験した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。
《第1週》雑誌はミュージシャンの人となりを伝え、ラジオは音楽伝え、成功するとテレビへ、という住み分けが無くなった時代。
《第2週》音楽ビジネスがアマチュアからプロフェッショナルへ変わった時代。
《第3週》80年代と今も変わらない音楽雑誌の原稿料、あまりに低くて人材が育たない !?
《第4週》インターネットの発達によって、ミュージシャンとファンの間が縮まったが音楽文化的には‥‥。
・株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役 村田積治
ジャグラー〜イーストウエストジャパンとプロダクション&音楽メーカーの両方を経験した立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。
《第1週》カウンターカルチャーこそインパクトがある、矢沢永吉は時代とタイアップしていた。
《第2週》フィッツビートレーベルから生まれたミニアルバム、その誕生までのプロセスとは?
《第3週》ザ・ブルーハーツに見た、本当のロックミュージシャンの姿とは?
《第4週》無くてもいいかもしれないが、あればハッピー! 音楽はワイン?
・株式会社ディスクガレージ代表取締役 中西健夫
時代とともに複雑になってきたコンサートビジネス。コンサートプロモーターの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。
《第1週》80年代にメディアやライブハウス、コンサート会場などのインフラが整備されて、コンサートビジネスが変化していった
《第2週》80年代後半に存在した汐留PIT、アイデアのきっかけはBOOWYだった !? 80年代から進化を始めた野外音楽イベント。
《第3週》ハウンドドッグは西武球場を貸してもらえなかった !? ロックに対して、まだまだ偏見のあった80年代。
《第4週》コンピューターによるチケット配券が始まった80年代、コンサートとお客さんの距離が縮まった。
・ミュージシャン ムッシュかまやつ
1950年代から現在まで、音楽シーンの第一線で活躍してきたミュージシャンの立場から1980年代を中心に、音楽シーンを振り返る。
《第1週》音楽キャリアのスタートが1950年代、カントリー&ウエスタン。そしてマージービートを経てフォークの世界で活動していた時にショックをおぼえたのはYMOだった。
《第2週》ジャズに大きな影響を受けていたためか、ボーカルが前に出ている音楽が苦手だった。テクノロジーと人とのバランスが重要!
《第3週》情報の氾濫によって、ブームが出来にくくなっている。今は、1アーティストがシーンを引っ張って行く時代。
《第4週》人にしか作れないリズムがある。機械には人間が創る以上の音楽は作れない!
・株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役 丸山茂雄
EPIC・ソニーを立ち上げビッグブランドに育て音楽シーンを席巻した、レコードメーカーの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。
《第1週》70年代の音楽シーンはテレビの影響を恩恵を受けた時代。そして、ひと段落した70年代後半から新しいシーンが生まれる匂いがしていた。
《第2週》フォークとラジオが結びついていた70年代から80年代初頭。その当時、ロックをプロモーションしてもラジオ業界には全く受け入れられなかった。
《第3週》プロモーションビデオを作ったものの、映像を流す場が無かった !?
《第4週》レコードからCDに変化した時代、音楽メーカーにあたえた影響とは?
・社団法人 音楽制作者連盟 常務理事 上野 博
  オフコースカンパニ〜上野カンパニーとアーティストマネージメントの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。
  《第1週》1980年代に入り、エピック・ソニーの登場に新しいシーンを感じた。
  《第2週》音楽ビジネスのあり方が変わった時代、権利ビジネスが本格化していった。
  《第3週》商業主義とカウンターカルチャーの中でアーティストもマネージメントも揺れ動いた時代。
  《第4週》ライブやコンサートがCD販売のプロモーションのために存在していた。
 インタビュアー

兼田達矢 Tastuya Kaneda
1963年、兵庫県姫路市生まれ。
1986年より出版社に勤務。4年半、雑誌「FMステーション」の編集に携わる。退社後は、テレビ/ラジオの音楽番組制作、ライブ・イベントの企画/制作、そして音楽誌での取材/執筆など、さまざまな角度から音楽情報流通に関わっている。ダウンタウンとラグビーが好き。
現在、Voice Wave Broadcastで「音楽現実」のパーソナリティーを務める。
http://voice-wave.net/
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