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旅人 JFNアナウンサー 井門宗之

      あれから1年〜新潟、再訪〜

 
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この旅の動画はこちら(05/11/12)
2005年10月21日金曜日


2004年10月23日新潟中越地方を襲った最大震度6強の地震。

僕がこの地を訪れたのは地震発生からおよそ1ヶ月後の2004年11月19日だった。
新幹線、高速道路も一部復旧せず、また川口町などでは倒壊した建物もそのままに、激しい地震の傷跡が痛々しさを
残していた。

あれからおよそ1年、あの地震から中越地方はどこまで昔の姿を取り戻せているんだろう。
報道によると、復旧が必要な道路のうち作業が進んでいるのは全体のおよそ2割に留まり、およそ9000人の方が仮設住宅での生活を余儀なくされているという。

中越地方が本当の意味での震災からの復興を遂げるのはいつなのだろうか。
観光産業やここで暮らす人たちの笑顔はどこまで取り戻せたのだろうか。
薄曇りの空の下、我々YAJIKITA一行を乗せた新幹線は一路、新潟へと向かっていた。

今回の取材は、まず佐渡島を代表する観光産業を見て回り、その後長岡市や栃尾市、そして旧山古志村の現状を取材するという日程である。

東京から新幹線でおよそ1時間半。新潟市へ到着した我々がすぐに向かったのが新潟港だった。

ここから佐渡島へはフェリーでおよそ2時間強との事。我々を乗せたフェリー「おけさ丸」には週末という事もあり本当に数多くの人が乗船していた。ゆらり凪いだ日本海をゆっくりと進む「おけさ丸」。天気も良かったせいか、乗船客はデッキに出て談笑したり、写真を撮ったりしている。

港の堤防には沢山の釣り人が釣り糸を垂れ、どんどん離れていく新潟港を西日がキラキラと照らしていた。1年前この地を襲った地震が一瞬信じられなくなる目の前の風景。港を出るまで、かもめが船のあとをついて来た。


午後6時20分

「おけさ丸」は佐渡島両津港に到着。港町の賑やかさを抜け、今宵の宿を目指す。

プロデューサーがハンドルを握る中、レンタカーは快調に進んだ(プロデューサーが運転する番組というのも珍しいが、それが
YAJIKITAの良い所)。今宵の宿には温泉もあるとの事で、異様な盛り上りを見せるYAJIKITA一行。宿に着くやいなや、僕以外の3人のスタッフはいきなり浴衣に着替えだす。

「風呂だ、風呂だ〜♪」

彼らを風呂に送り出し、僕は旅の記録を付ける。
20分ほどして彼らは戻ってきた。

「飯だ、飯だ〜♪」

…タラちゃん並である。
日本海の海の幸を充分堪能し、地酒に酔いしれ、温泉卓球に汗を流した我々は、次の日から始まる
取材への準備をしっかりとしてからぐっすりと床についたのだった。


10月22日土曜日

空は曇天。朝食を摂りながら海の様子をドギマギしながら眺める日本一ひ弱な海猿。
皆さんは三宅島での井門のダイビング姿を覚えていらっしゃるだろうか?
酸素ボンベを背負った姿は明らかに腰の引けた、日本一ひ弱な海猿だった。誰一人として救えない。
そんな男が、何故か佐渡の海を見ながら今朝もドギマギしている。

井「なんか白波立ってませんか?海。この天候で大丈夫かなぁ。」
スタッフ「大丈夫だよ、この程度なら全く問題無い。」

そうなのである。
今回の取材でも井門宗之、ダイビングにチャレンジしたのだ。しかも今度は10月の日本海。
曇天模様の空の下、日本海は荒れている…。

ここ佐渡島の周辺は日本海側ではベストスポットとも呼ばれる、ダイビングの名所なのだ。
様々な生きものがいるのは勿論、最近では巷でも噂の「エチゼンクラゲ」に出会えるそうな。
漁業に携わってらっしゃる方には、邪魔者でしかないこの「エチゼンクラゲ」。

しかし意外にも、ダイバーには結構な人気だそうな。海の中で見ると綺麗らしい。
初めて入る日本海に期待と不安を抱きつつ、僕らは小木にある「小木ダイビングセンター」に向かった。

小木ダイビングセンターで僕の今回のダイビングの先生をしてくれるのは平井さんという女性。
海に入る前に気になっていた事を投げてみる。


井「今日けっこう天気も悪いですけど(実際小雨もパラパラと)、大丈夫なんですか?」

平「天気が悪くても案外海の中は静かですよ♪この位なら全く問題ないですよ!」


…あっ、そう。そうなんだ。

という事で15分くらいのレクチャーを受けて、いざウェットスーツに着替える海猿イモン。
身長181センチ、体重64キロの身体にフィットするウェットスーツが無いらしく、若干ブカブカである。

さぁ、着替えも済んだところで、いざ日本海なのだ。
今日の水温は大体20℃くらい。水風呂よりも少し暖かく、プールよりもかなり冷たい水温だ。

船からでは無く、浜辺から入る井門と平井先生。
肩まで海に浸かって嫌な予感的中である。ブカブカのウェットスーツの隙間から、水が入る入る。
入り放題。俺ちゃん大サービス。
なんというか…、裸で泳いでいるのと一緒?
しかし、
平「潜っている間は、はぐれない様に私と手を繋いでいてくださいね♪」

井「(胸キュン)は・はい♪」

などと言うドキドキ発言に水の冷たさも忘れ、どんどん潜る井門と先生。

この時期はなんでも海流の関係で南の魚たちにも多く出会えるのだとか。かくいう僕らも、

『ここは日本海だよね!?』

と言いたくなるカラフルな魚達に、ラッキーにも出会えたのでした。
そしてそして、何と言ってもこの海の魚達はみな人懐っこい!!貝の中身を取り出して手でもつと、その手から沢山の魚が貝を啄ばんでいくのです。逃げないのね〜。イシダイとか、エビとか。

でも釣人の仕掛けには中々引っかからない。自然の摂理とはうまく出来ているもの。

空き缶の中で卵を守る魚や、浅瀬には沢山のウニ、ウニ、ウニ!なんて自然の恵みが豊かなんでしょう!!

佐渡の海がこんなにも楽しく、こんなに沢山の生き物がいるなんて。

大感動のダイビングも30分ほどで終え、凍える身体をお湯のプールで温めたあとは、この小木ダイビングセンターで楽しめる「イカの一夜干し体験」なのである。

70歳を越える元漁師のおじいちゃんの指導の下、イモンも実際にイカの一夜干しにチャレンジ!


まずはイカの胴体を真ん中から耳に向かってス〜っと包丁で裂いていく。
中から内臓を取り出し、目とクチを外し真水で洗います。

それをよく日の当たる網の上に開いて置けばもうあとは一晩待って完成。
な〜んて簡単なんでしょう。これで美味しいイカの一夜干しが出来ちゃうんですから。

僕らも実際に事前に作ってあった一夜干しを焼いていただきましたが、身の柔らかさ、甘みとちょうど良い塩っ気。もう最高でしたよ。自分で作るってのが良いですな。


そして、続いては佐渡島名物「たらい船」体験。

たらい舟と言っても大人4人ぐらい乗れちゃう大きさ。この船頭さんもイカのおじいちゃん。

グラグラ揺れるたらい舟にビビリながら、ディレクターに押されて切れながら、降りるときに大変なことになりながら
(この辺りは映像でもお楽しみください。多分映されているハズ。)、この小木ダイビングセンターでの様々な体験を楽しんだ
YAJIKITA取材班なのでした。

平井さん、おじいちゃん、本当に有難うございました。
一行はその後、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている宿根木の町へ。

江戸時代、北前舟の廻船基地だった歴史を持つ宿根木。ここは船主や船大工が多く住む集落だった。
雨に打たれ、その風情を増した宿根木の町を楽しんだ後、我々はトキの森公園へ。
佐渡島には実際にトキを間近で見ることが出来るスポット、
トキの森公園がある。

ここにはトキの生中継映像や、ビデオで成長・生態と世界的な分布などが詳しく紹介されており、資料館内には日本産最後のトキの「キン」や「ミドリ」の剥製と骨格標本が展示されている。

隣接する佐渡トキ保護センターでは次々にヒナが誕生し、大切に育てられているのだ。
ここで学芸員の方にトキが何故減少してしまったのか?

乱獲の原因となった「トキ色」と呼ばれるトキの羽の美しさを伺いながら、間近で見る本物のトキに感動。

昔は人の後をついて来たというくらい、警戒心も無く、しかもそれぐらい沢山のトキがいたのだ。

そんな風景がいつか元に戻って欲しいと思う。
なくしたものを元に戻すのは、どんな事でも大変なのだ。
さらに小雨が降り続く中、再び両津港へと向かったYAJIKITA一行。
今度は新潟へ戻り、いよいよ中越地震から一年経ったいまの姿を取材なのである。

18時30分頃フェリーは新潟港に到着。

車で長岡市へと向かった我々が目指したのは、コミュニティーFM局「FM長岡」である。
まさに放送中に中越地震を体験。被害が拡大し被災者も増える中で、その後も地域密着型の情報を流し続けて、放送を通じて長岡の人々の心を元気付けた「FM長岡」。

僕も一年前に一度ここのアナウンサー脇屋雄介さんにお話を伺っているが、1年ぶりの脇屋さんとの再会である。あれから1年という時間は、脇屋さんの心に何を芽生えさせたのだろうか?
様々な思いを抱えながら、夜の関越自動車道を一路長岡へ。

FM長岡は長岡市の中心部、JR長岡駅のすぐ近くにある。

ビルの1階にあるこのコミュニティーFM局は、生放送中にあの中越地震を体験した局だ。
この日1年ぶりで話を聞いた脇屋雄介氏。

脇屋さんは訥々とあの地震が起きてからの状況を映像が浮かぶ様に鮮明に語りだした。
FM長岡の職員の安否を確認し、とりあえず来られる人を集めたこと。
役所、消防署などに人を派遣し、常に新しい情報を集めようとしたこと。そして中々情報が集まらず、歯がゆい思いをしたこと。人探しの為にリスナーの携帯電話番号を放送に乗せたこと。
時報告知がリスナーの不安な心をほぐせたこと。

しかしその中で一番印象的だったのは、一年経っても被災した方々の心の傷は決して癒えないと仰っていたことだ。
形の復興は出来るだろう。しかし心に付いた傷を癒すのは何よりも大変な事なのだ。そして、1年という時間は、
あの地震自体の記憶を風化させてしまっている。

脇屋さんはそれも危惧していた。防災意識を風化させないために、我々が出来ることは何なのか?
僕も防災担当のアナウンサーとして、常に考えることだ。

実際に被害に遭われた方は、あの地震の記憶を早く消し去りたいだろう。
しかし非被災者の方は、あの地震があった事を忘れないでいることが、防災意識を常に持つという意味でも
大切なのかもしれない。


1年前は閑散としていた長岡の市街。ここも今や人々が溢れ、笑い声が響いている。
明日は旧山古志村への取材だ。1年経ったあの場所は一体どんな表情を見せてくれるのだろうか。

                                        週末は「YAJIKITA on the road」!放送日時はコチラから


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