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旅人 内田正洋&第3次瀬戸内海カヤック横断隊 撮影/中村隆之

瀬戸内海 シーカヤック横断隊!

〜香川県小豆島→山口県祝島まで300kmを1週間で渡るシーカヤックの旅〜
     
 

シーカヤック横断隊のルートです。(※詳細地図はルートをクリック!!

第三次瀬戸内海カヤック横断隊。今年は香川県小豆島から1週間かけて300キロ先の山口県祝島を目指す。

出発日前夜、
小豆島池田町のふるさと村に隊員達が集合した。

2005年11月18日 出発の朝。

いよいよ初日、16名14艇による横断隊 スタート!


瀬戸内海を渡る手漕ぎ舟・・・シーカヤック
 
初日に到着したのは、目標である瀬戸大橋の少し手前、
岡山県玉野市 渋川海岸に午後2:30頃上陸
浜辺にテントを張り、思い思いの時間を過ごす…。

内田さんの今晩の夕飯は ハンバーグご飯

2日目朝 海図を見ながら今日のルートをミーティング

2日目 瀬戸大橋通過

笠岡諸島 白石島にはカヤックでいける弁天宮がある

2日目は広島県福山市「鞆の浦」の隣の島,仙酔島に上陸
この島には国民宿舎があり、
横断隊はお風呂に入ることができた。

白石島のはらださんがスズキをさし入れ 刺身がうまい!!
[写真/中村隆之]
第三次瀬戸内カヤック横断隊の旅記 by 内田正洋
今回で3回目を迎えた瀬戸内カヤック横断隊、出発地を祝島から小豆島に変更した。小豆島は、ご存知香川県の島。
『二十四の瞳』で有名な島ですな。

でも、今回のゴール地になる祝島は、あまりご存知じゃないかもしれない。山口県の上関町にある島で、万葉集にも出てくる由緒ある島だ。この島が、僕らカヤック乗りには重要なのだ。瀬戸内の西の始まりの島でもある。
瀬戸内カヤック横断隊は、その小豆島〜祝島間を7日間という期間限定、時季も冬に限定して行われている。
日本最大の内海である瀬戸内だからこそ、こういった行動ができる。

僕らは本当に素晴らしい海を持っている。
日本で初めて国立公園になったのも瀬戸内である。国立公園は陸域だけじゃなく、海域もそう。
だから僕らは国立公園内を旅しているってわけさ。
普通はシーカヤックと呼ばれるが、僕らはただカヤックと呼ぶことが多い。

カヤックとは、極北の民族によって数千年と使われてきた革舟のことだ。それがプラスチックに素材を変えて甦ったのがシーカヤック。

カヤックは20世紀になって川のスポーツとしてヨーロッパで拡がったため、本来は海の舟であるカヤックとは
違うものが、カヤックと呼ばれるようになった。

シーカヤックは、本来の革舟にもっとも近いカタチであり、
だから僕らは誇りを持ってカヤックと呼んでいる。
手漕ぎの舟だけど、そのスピードは驚くほどで、だから横断隊ができるわけだ。この横断は、勉強会でもある。
実践しながらの勉強会。

したがって、今回も海から何が学べるか、それが面白いのだ。陸上で生活していたらまったく理解できないことが、海では
体験できる。価値観さえ変化していく。それがたまらなく面白い。
今回の旅は、天候に恵まれた。これまでの2回は、風に悩まされたし、初回は到達さえできなかった。

でも、その時だって風の中、荒波の中を漕いで学んだ。瀬戸内が持っている穏やかなイメージは、まったくウソじゃないが、荒れた時のすさまじさは凄いのだ。外洋の荒れ方とは違う点が、また面白い。

カヤックは、そんな中でも何とか進める。それができないのは、カヤックと一体になっているエンジンである人間に問題がある。
つまり、カヤックとそれを漕ぐ人間とは、分かち難い存在で、そういう視点から海を考えると、人と海とが非常に近い関係に
なれるのは間違いない。我々の祖先は、そういうことを知っていたはず。

天気がいいので、色々なことを感じる余裕もあった。僕は一応隊長と呼ばれているが、ずるいことにタンデム艇を漕いでいる。
二人乗りのカヤックだ。前ではスチルカメラマンの中村隆之君が漕いでいる。彼も優れたカヤック乗りで、二人で漕ぐから
一人乗りより当然速い。そうじゃなきゃ、写真が撮れないからである。

中村君も初回から参加しているが、初回は一人乗りを漕ぎ、プロのみんなたちに付いて来れず、途中でリタイアし陸上サポートに回った。まだまだ漕ぎのレベルが低かった。でも、昨年は僕とタンデム艇を漕ぎ、後ろから怒鳴られながら、ずいぶんと
漕げる身体になった。なぜ怒鳴るかというと、彼が漕がないと僕が疲れるからである。こっちも必死になるわけである。
てなわけで、今回は余裕があったわけだ。しかもカレントデザイン社のリブラというモデルは、遠征用のタンデム艇として
考えられているので、速度も速い。ベーリング海峡などを渡った実績のあるカヤックなのだ。

この日記というか、旅記は、「ヤジキタ・オン・ザ・ロード」の黒川ディレクターに言われて書いているものだが、一般の人が
読んでも難しくないように、と言われている。でも、難しいかもしれない。それは、海からの視点で書くからなのだ。もちろん、
海からの視点を持っている人なら、難しくないと思う。

さて、旅の行程は、放送で聞いてもらっているはずなので、書かないけど、今回もっとも凄いと思った体験を書いておきまする。それは、放送でも出てくる種田山頭火の俳句にも通じるものだった。その句は『お骨声なく水のうへをゆく』というものだ。
これをどう解釈するかは自由だと、山頭火は言うだろうから、僕はこう解釈したのだった。
それは横断隊6日目のことだった。海は油面のように
滑らかだった。隊員たちが回りを漕いでいる。パドルが
水に入り、水の上を何かが伝わってくる。

そのうち気付いたのだが、それはそれぞれのパドルから海面を通じ、漕ぐ人の気持ちが伝わって来るということだった。気持ちがパドルを通して海の表面に伝わり、音波のように響いてくる。声はないが、気持ちは伝わる。

山頭火のこの句は、 そのことを
理解していたからじゃないか。そう思ったのだった。
人は、最低でも1万年以上前から、海を渡る術を持ち、自由に海へと漕ぎ出していた。人類は、世界へと拡散していったけど、
その最終章は海だった。最後に到達したのが太平洋のポリネシアだった。ハワイには1500年前、そしてアオテアロア
(ニュージーランドのこと)には1000年ほど前に到達。それが人類拡散の終わりとなった。

そういった旅をしていたカヌー乗りたちには、海を伝わる音なき声が聞こえていた。それが情報をもたらし、そして絶海の
孤島への道しるべとなった。今、ハワイを筆頭に、そんな伝統航海術がポリネシア中に甦り始めている。実際にそんな
伝統航海を30年間に渡って続けてきたカヌーもある。そのカヌーが日本を目指すという話もある。そのカヌー、
“ホクレア”というのだが、航海計画には瀬戸内を横断することも記されている。

シーカヤックの旅は、そんな人類拡散の最終章に起こっていた人と海とのつながりを思い出させる手段だったのだ。
そう思った旅が、今回の第三次瀬戸内カヤック横断隊だった。もちろん、この旅はまだ終わらない。来年も11月中旬の
瀬戸内を旅するカヤックの集団がいる。見かけたら声かけてくださんせ。
あっ、最後に祝島のこと。
この島は今、目前に建設されようとしている原発に反対する島でもある。もう20年以上、デモの回数も900回以上と
なった。

この島は、万葉集にも描かれてある通り、舟の安全を守る
神さまが鎮座する島。昨年は農林水産大臣賞にも輝いた
『神舞』という神事が行われている島でもある。もう千年以上続いているお祭りだ。しかもその『神舞』、
この島だけじゃなく、九州の大分から舟が出て、それで島がそれらの舟を迎えて、神事を行う。

その島の目前に、今の価値観である原発が
できようとしている。
僕らのカヤックも、数千年という歴史の上に成り立っている。カヤックの歴史は一端途切れようとしたが、
それをスポーツにすることで甦った。旅もまた一種のスポーツ。だから祝島は、僕らのゴール地に相応しいし、この島は
とてつもなく重要だ。原発推進のシステムの中にいる人だって、本当は反対なのではないだろうか。
そんな時、やはり山頭火が聞こえてくる。


『お骨声なく水のうへをゆく』・・・・と。
横断隊隊長 内田正洋
 
日本のシーカヤック界第一人者であり、海洋ジャーナリスト。
これまでに台湾〜九州、さらに西表島〜東京湾をシーカヤックで遠征。
シーカヤックだけでなく、82年から10年に渡りパリ・ダカールラリーに
出場。
また、世界四大陸をクルマ、オートバイで横断経験も。

主な著書
「シーカヤッカーズ・ハンドブック 北西太平洋版―海を歩くための
マニュアル」
「シー・カヤッキング・イン・ジャパン」
「BAJA 1000 FOR JAPANESE DESERT RIDER」
「風を超えて―DESERT RIDE」
「実用バイクツーリング専科―すぐ役立つバイク旅行トラの巻」
「Tarzan特別編集 ホクレア号について語ろう」

   週末は「YAJIKITA on the road」!放送日時はコチラから


 動画はコチラから

  尚、この横断隊の模様は2006年1月18日発売 
  雑誌「Tarzan」458号でもご覧いただけます。
  http://tarzan.magazine.co.jp/