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旅人:アナウンサー 今泉 清保(HPはコチラから

津軽民謡をたどる旅

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 テレビもラジオも無い時代からずっと歌い継がれてきた様々な歌が、日本中にある。それが民謡だ。
民謡なんて聴いたことが無いという世代の人でも、自分の生まれた土地の代表的な民謡なら聴いたことがある、
という人は多いと思う。

 私にとって、民謡といえば「津軽じょんがら節」だ。何を歌っているのかはわからなかったが、
「ハァ〜ア〜ア〜アア〜アア〜」というやたらと長いふりのあと「お国ィじまァァんんのォォ」と続く歌は子供の頃から知っている。

金沢明子さんがろうそくの炎の前でこの唄を歌い、炎が揺れないというCMが話題になったっけ。というのを知っている時点で年齢がバレるなー。

 とまぁ、青森県出身でもこんな調子でまったく
お恥ずかしい。せっかくの機会なので、
津軽の民謡についていろいろと
教えていただくことに した。

まずお会いしたのは、津軽民謡研究家の
松木宏泰さん。

  松木さんは地元テレビ局のディレクターとして
津軽民謡を取材し、すっかりはまってしまった方で、
津軽民謡について熱く語ってくださった
(ちなみに私の小学校の同級生のお母さんの
知り合いでいらした。ああ地元)。

 さて皆さん。津軽なんとか、のなんとかに単語を入れよと聞かれたら、何と答えるだろう。
おそらく8割の方が「三味線」を入れるのではないだろうか。例えば吉田兄弟のように、今は若くてかっこいい奏者が
何人もいて人気がある。

  しかし、津軽三味線はもともと単独で演奏するものではなく、唄の伴奏という位置付けだったのだそうだ。
そして知らなかったのだが、津軽の民謡には踊りが欠かせない。つまり、唄と三味線と踊りが3つセットになって
「津軽民謡」だということだ。

 もう一つ初めて知ったのは、唄と三味線の演奏は毎回即興というか、お互いが競いあうように演奏しているので、
人によって毎回微妙に違うということであった。毎回即興ってそんなのあり? と思ったが、
津軽のじょっぱり精神によるものと聞いてわかる気がした。

 じょっぱりというのは、津軽弁で「強情っぱり、頑固者」というような意味だ。基本的に津軽の人はじょっぱりが
多いと言われている。

  私がずっと疑問に思っていた、津軽じょんがら節の歌う前の長い「アア〜」は、私はこれだけ長くて難しい節回しが
できますよー、という意地の張り合いでどんどん長くなってきた末の産物なのだそうだ。同様に、伴奏だった三味線も、
前奏でテクニックを競うようになり、前奏が長くなり、ひいては三味線だけが演奏されるようになったのだとか。

まさにじょっぱりだなぁ。


長谷川裕二さん

 3つがセットということなので、それぞれにお話を
伺うことにした。まずは津軽三味線奏者の長谷川裕二さんのお宅におじゃまして、津軽三味線について
教えていただいた。

 長谷川さんは日本のみならず世界各地で演奏を
披露していて、なんとニューヨークのブルーノートで
ジャズとのコラボレーションをしたこともあるという
すごい方だ。
その長谷川さんに、まずは三味線を弾いていただいた。

 津軽三味線の生演奏を見たことはあるけれど、
こんなに目の前で見たのは初めてだ。とにかく音が大きくて
迫力がある。

特に激しい曲を弾く様子を見ていると、弾くというよりは弦を
叩いているように見える。この「叩き三味線」の系譜を
受け継いでいるのが長谷川さん。

 それにしても、津軽三味線は大きくて太い。
これは、人が集まるところで演奏するときに、
遠くまで大きな音が響くようにと太い棹のものが
使われるようになった。

大きな三味線に合わせて弦もとても太い。
かなり太い弦を強く張っているので、やってみたものの、
ちょっとやそっとじゃ音が出ない。

 実バチで弦をぐーっと強く押し付けて弾いたり、
バチの先で弦をすくうようにして弾くことで、曲の緩急が
できるわけだが、それをどうやったらあのスピードで
できるんだか見当もつかない。

一人前に弾けるようになるまではやっぱり10年は
かかるそうだ。


長谷川裕二さんに三味線の手解きを受ける今泉さん
 三味線のあとは宗家石川流津軽手踊り師範の石川義野さんに、津軽手踊りについて教えていただく。
といっても場所は同じく長谷川さんのお宅。実は石川さんは、長谷川さんの奥様なのだ。

 唄と踊りは見聞きしたことがあったが、手踊りはなんとなくテレビの民謡番組で見た記憶があるだけだ。
よく知らないので、ちょっとだけ踊っていただいた。


石川義野さん

長谷川・石川ご夫妻と一緒に
 私は以前、一度だけ日本舞踊の稽古を受けたことがある。
見た目には静かな動きだけれど、やっていると姿勢を
保つだけで疲れるというものだった。

しかし津軽の手踊りは、曲は速いわ動きが大きいわ
立ったり座ったりだわで、私の踊りのイメージとはまったく
違う激しいものであった。

実際、曲の一部分を踊っていただいただけで、
石川さんの額には汗が浮かんでいたほどだ。

 三味線も踊りも、これでもかこれでもかという感じなのが
わかってきた。弾ける、踊れるでは終わらない。
より大きく、より早く、より難しく。これが津軽の
じょっぱりの心なんだな。

 その、三味線と唄と踊りを一度に見られる機会があるというので行ってみた。板柳町の五林平(ごりんたい)という
地区にある八幡宮で、唄会が開かれるのだ。

 夕方、まだ明るい頃に八幡宮に着いた。こんもりと木に囲まれた境内にステージが作られ、屋台なども準備を始めている。
まさに町のお祭りという感じ。町内会長の斉藤さんによると、毎年は開けないのでみんなとても楽しみにしているんだとか。

 開演前に、民謡歌手の関下恵子さんと、師匠の三浦千恵子さんにお話を聞いた。

  関下さんはもともと、青森県の太平洋側、南部地方の
出身で、南部民謡を唄っていたのだが、津軽の民謡を
唄いたいと思って三浦さんに弟子入りした。

今では、数々のコンクールで賞を獲得し、押しも押されぬ
津軽民謡歌手になったが、弟子入りした頃は独特の
節回しがなかなかできず、また南部とは違う津軽の
気候にも苦労したそうだ。

 今回、3人の皆さんに津軽の印象を聞いてみたのだが、
みなさんが同じように口にしたのが「津軽の冬」の
ことだった。私には三味線も唄も踊りもわからないけれど、
この「津軽の冬」だけは実感として、景色を伴ってわかった。


関下恵子さん(右)と三浦千恵子さん(左)

町内会長の斉藤さん
 津軽の冬は長くて辛い。じっとりと重い雪が積もり、
雪が吹きすさび、冬の間はほとんど陽射しがない。

私もそうだった。朝、学校に行く前にまず玄関の前の雪を
片付けないと出られない。それが毎日毎日続く。
どうしようもない。じっと耐えて、雪解けを待つしかない。

 津軽民謡の、これでもかというところは、この津軽の冬が
もたらしたものだと、長谷川さんも石川さんも関下さんも、
口を揃えておっしゃった。

この土地の辛さがもたらした粘り強さであり、
この土地でなければこの民謡は生まれなかった。

だからこの土地で弾き、踊り、唄うことに意味があるのだと。

  陽が落ちるとともに、町の人々がどんどん集まってきた。あとは私もこの唄会を楽しむだけだ。

周りの皆さんと一緒に、ビール片手に津軽民謡を楽しんだ。

長谷川さんは三味線や唄だけじゃなく軽妙な喋りで場内を盛り上げ、石川さんは激しい踊りを笑顔で踊りきり、
関下さんは三浦さんの三味線に乗せて、聴いているこちらのお腹に響いてくるかのような力強い声を聞かせてくれた。

子供達の手踊りで唄会はスタート

関下恵子さんの唄が夜空に映える

プロデューサーの許可が出たので
仕事中にもかかわらず飲んでみました

長谷川さんの演奏に合わせて石川さんが踊る

ちなみに動画はこの様に収録されています

 津軽の冬が好きかと聞かれたら、正直言って好きではない。でも、あの冬がなければ津軽民謡は生まれなかった。
そう思うと、津軽の冬の印象はずいぶん変わってくる。

 津軽民謡から風土や文化を改めて考え直すことができた、印象深い旅だった。

 そして津軽には、もうすぐ冬がやってくる。

 
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