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旅人 : JFNアナウンサー 井門宗之

鉄っちゃんのつどひ、そして伝説へ vol,1

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オス!おら虚空!
いやぁ、久しぶりです!!お元気でしたか?

YAJIKITAナレーターとして最近めっきりスタジオでの収録が多く、他の方のレポートを聴きながら
『羨ましいこと山の如し』と臍を甘噛みしていた井門。噛むのはニュースだけにしてほしいものである。
そんな井門に降ってきた取材旅行の話、今回の旅は『餘部あまるべ鉄橋』という歴史ある鉄橋の取材だ。
東洋一とまで言われおよそ100年もの間、かの地に
聳えた『餘部鉄橋』。

老朽化と、強風の影響で年間250本を数える
遅延・運休という状況を鑑みて、来年新しい鉄橋工事が始まると言う。となると、列車がここを通過するのはあとちょっとで見納めなのだ!

最近は週末になると全国から鉄道ファンが大集合していると言う。
おぉ…、鉄っちゃんバンザイ…。

しかも、しかもだ、取材日の10月21日(土)にはメモリアル事業の一環として『急行あまるべ』復活!


キハ28・58系急行型気道車 国鉄色


が走行するというではないか!!!し・知らんよ…。

さらに、日を同じくして香住で行われるイベントが凄い。その名も…、


全国鉄橋サミット!
に〜げ〜ろ〜。

イモンの知り合いにも、鉄道好きで、そのまま鉄道会社に
就職したヤツがいる。

鉄道ファンの熱意ちゅうのは凄いのだ。
知ってる?知ってるよね?

というわけで今回の取材旅行は、鉄橋も含めて餘部に
生きる人達のリアルな今をチェックメ〜イト!

そんなお前をチェックメ〜イト!(by竜兵さん)


全国鉄道サミットの会場ロビーに展示された
餘部鉄橋の模型

さて、<橋が架けられる>とはどういう意味を持つのか?

そこに暮らす方々にとっては、流通経路の確保・交通手段の増加・モノ、人の行き来による地域活性など、
恐らく悪い事は無いだろう。それは余部地区も然りだ。

「兵庫県香美町香住区余部」
海に面したこの土地は長く交通の便がとても悪かった
土地である。二つの山に挟まれ、目の前は日本海。
年間を通して四季の移り変わりをしっかりと感じることが
出来る、人口およそ1000人の集落。

この余部の集落をまたぐように、長さ310.59m・高さ41.45mの鉄橋が架かったのは1912年3月1日、
まだ雪の残る時期だった。

当時最先端の技術を駆使して造られたトレッスル工法の
鉄橋は『東洋一』として、余部の人たちの自慢の種となった。

雨の日も風の日も、余部の人々は地上40メートルの鉄橋を登り、鉄橋の上を歩いて、隣の「鎧駅」から列車に乗って
移動していたのである。

そう鉄橋が完成してもなお、この地には駅が
設置されなかったのだ。時を経て、地元小学生から知事への直接の書面がきっかけになり、駅が出来たのは1959年。

鉄橋が出来てから、なんと47年もの歳月が過ぎていた。
う〜ん。

聞いた限りでも、何やら地元の人にとっては思い入れの強い場所のようだ。
しかもこの鉄橋は悲しい歴史をも背負っている…。
『餘部鉄橋列車転落事故』

1986年。ちょうど今から20年前の12月28日午後1時25分、
香住駅より浜坂駅へ回送中のお座敷列車「みやび」が
日本海からの突風にあおられて、鉄橋中央部付近より
機関車と客車の台車の一部を残し7両が転落するという
事故が起こった。

転落した客車は橋の真下にあった水産加工工場を直撃し、従業員だった主婦5名と乗務中の車掌1名の計6名が死亡。

客車内にいた日本食堂の従業員1名と加工工場の
従業員5名が重傷を負った。

原因としては風速25メートル以上を示す警報装置が
作動していたにも関わらず、列車を止めなかった
人為的ミスとみられている。

しかしわずか300メートルの鉄橋を渡っている瞬間の突風、乗客が乗っていなかった為の車両の軽さなど、
様々な偶然も絡んでの悲しい事故であった。

この事故後、当時の国鉄は運行基準を見直し、
風速20メートル以上になると香住〜浜坂間の列車運行を
停止、バス代行とするよう規制を強化した。

これにより風の強い冬には3日に1日程の割合で運休となり、山陰本線は鳥取や島根の人達から不評を
買うようになる。

その不評を改善するため、上郡から鳥取に抜ける
智頭急行の開業と特急列車の運行、倉敷から米子へと
抜ける伯備線の電化とスピードアップ化を進め、
山陰に住む人々も余部を迂回して関西地区に
入るようになった。

しかしそれは、この地域だけが取り残される結果となり、
余部地区周辺の過疎化が一気に進んでいったのである。


鉄橋の下に作られた事故の慰霊碑
陰と陽、二つの顔を持つ餘部鉄橋。知れば知るほど、ここに暮らす人々の想いを考えずにはいられない。
様々な思いを胸に、いざ余部へと向かう井門なのであった。(前フリが長いとか言うの禁止

朝の普通列車
さて今回久々のYAJIKITA出張な井門(もう少しで三十路)。

金曜日の担当生放送『Applause〜週末の主役達へ〜』を
終えてから現地入りする為、一人ぼっちで余部に
向かった(スタッフはこの日の昼迄に既に現地入り)。

ここで道中の行程を説明しよう。
15時30分発:羽田空港〜伊丹空港⇒
17時00分発:伊丹空港〜但馬空港。

但馬空港からバスで豊岡市へ入り、豊岡駅〜餘部駅までを列車で移動するわけだ。

その移動時間およそ4時間半。
交通手段を駆使しての一人旅というのも悪くない。

さて、羽田発の飛行機に乗り込んだ井門はそこで
いきなりのトラブルに遭遇する。

乗り込んですぐに無情なアナウンスが耳に
飛び込んできたのだ。

撮影ポイントには鉄道ファンがいっぱい
『機体トラブルの為、離陸まで時間がかかっております。』


おいおい冗談じゃないぞ、トランジットすると言ったって、
あまりに遅れたら但馬行きの飛行機だって
飛び立っちまうぢゃないか!?

などと、かなり不安にはなったものの、
早朝勤務だった為にコテンと寝てしまう井門。(無邪気)

気がつくと伊丹空港へ着陸態勢に入っていた。

夢ううつの状態の中、ぼんやりと耳に入ってくるのは、
妙なアクセントで話すスッチーの声。
『本日は機体トラブルの為、大変な遅れが出たことをご了承下さい。』

はっ!!
一体どれくらい遅れたんだ…。そう思って腕時計に目をやる。



午後5時15分ち〜ん



但馬空港は別名『コウノトリ空港』という。


僕を乗せるはずのコウノトリは、大空へと飛び立った後だった…。


うまい!…いや、うまいとかぢゃ無い。こっからどうすんのよ(涙)

伊丹空港に降り立つのも初めてだし、日も落ちて
テンパリ度もMAXになった井門は航空会社に詰め寄る。

まぁ何やかんやで航空会社から当然払い戻しがあったり、他の交通機関での移動費をだしてもらったりしたのだが、
結局余部へ到着したのは23時。

移動中に自分の半生を振り返ったり、
たっぷりと<考える井門>になった。鬚も伸びた。

さて僕らが宿泊したのは、余部の海の幸を存分に
楽しむ事の出来る旅館『尾崎屋』さん。

余部にある旅館の中でも、
新しくて(改築したそうな)とても気持ちが良い雰囲気である。


餘部駅にある撮影ポイントへの標識
深夜到着にも関わらず、尾崎屋の女将さんは僕を
優しく迎えてくれた。

女将「お疲れ様でした。お食事も用意してありますし、
お風呂もどうぞごゆっくりお入り下さいね。」

井門「あ・有が0位t派w@hituji本dfhリアゆえj(感動の
あまり言葉にならない)」
感涙にむせびながら(嘘)2階の部屋へと重い荷物を
担ぎ向かった井門。

「随分心配かけたんだろうなぁ…。もうこの日のうちに
余部入りが出来ないかもと思ったからなぁ。

こんな遅くになっちゃったけど、何度も一緒に旅をしてる
メンバーさ!心配したぞ〜とか言いながら、
笑顔で<お疲れ様!>と迎えてくれるに違いない!」

そんなことを考えながら部屋の扉を開ける。

ガラガラガラ〜。


夜の鉄橋を通過する列車の光
スタッフKゴ「あっ、来た。(畳の上で大の字。浴衣から醜い腹を出しながら)」
スタッフMカベ「本当に来たんだ。(座布団半分折を枕代わりにし、テレビを観ながら)」
スタッフKボ「間に合ったんだ。へぇ。(起き上がる気なんてサラサラ無い感じで)」

くっ、コイツら…。オレがデスノートを持っていたら真っ先に書き込んでやる!!
歓迎する気なんて微塵も無ぇぢゃねぇかっ!!

そして何よりこの部屋…。



酒臭ぇ!!!鬼の様に。Wow。


井『あれ、プロデューサーのK多さんは?』
ス『あぁ、酔って隣の部屋で寝てる。』(いや、もうどうにでもなれだ。)

心無いスタッフの声に押されるようにして「俺が総理大臣になったら、こいつらだけ禁酒法を適用してやるんだ」ってな事を
考えながら隣室へ。…やっぱりK多さん寝てやがる。しかも掛け布団ので。


井門『K多さん、無事に着きましたよ!K多さん!』
K多『(眠たそうに顔をこちらに向けて)あ…、夢だ。これは夢なんだ。』



アンタの中でオレは夢落ちかよ!



悲しみに打ちひしがれながら、階下で食事とお風呂を快適に済ませ再び悪魔達の部屋に戻ると、
当然の様に全員爆睡していたのでした。井門が枕を涙で濡らしたのは言うまでもありません(笑)


旅館尾崎屋の部屋の窓から
日も変わり翌日早朝。

餘部鉄橋のすぐ傍にある旅館『尾崎屋』さんの窓からは、間近頭上を走る列車を望む事が出来る。

両脇のほんのり色付いた山から、真っ赤な鉄橋を列車が渡っていく。それはもはや幻想的だ。
2両編成の短い列車。

本当にゆっくり、のんびりと、ガタンゴトンと音を立てながら走っている。

中にいるお客さんの顔が確認できるくらいの速度は、東京の2分に1本の割合でやってくる列車に慣れてしまった
僕の目にはとても新鮮なものだった。
この日僕らが訪れたのは、地元に暮らす
西垣一郎さん(83歳)。
お父様の保吉さんは旧国鉄職員で、長い間この餘部鉄橋を守る「鉄橋守」のお仕事をされていたという。

列車が来ると、お父様が鐘を打ち鳴らす。
西垣さんが小学生だった頃はその音を聞いて

『おとっつぁん。今日も仕事頑張れよ〜!』と思ったそうな。

まさに西垣さんにとっては誇りだったお父様。
お仕事を引退されて、足が悪くなっても、日毎に鉄橋を
眺めていたそうである。

一体どんなお気持ちで、自身が守ってきた鉄橋を
眺めていたのだろうか。
西垣さんご自身も無くなる鉄橋を『撫でてやりたいほど
可愛いんだよ。』と遠い目をして仰っていた。
お父様も鉄橋も、西垣さんにとってはかけがえの無い
自慢の種なのだろう。

西垣さんへのインタビューも終わり、そろそろ
お邪魔しようかと思った頃。
テーブルの上に『余部鉄橋』と書かれた、歌詞と五線譜の
付いた紙を発見する。

スタッフ『これ、テープとかあるんですか?』
西垣『おぉ、ありますよ。ちょっと待っとって下さい。
おぉい、婆さんやぁ〜F.O.』

その紙自体、小学校の音楽教科書の1ページを
コピーした様なもの。
きっと余部の人々は幼い頃からこの歌を歌って
育ってきたに違いない。

スタッフ一同そう思いながら、スピーカーにマイクを
近づける。西垣さんスイッチポン。

♪(多少F.I.気味で列車の駆動音)ガタンゴトン、ガタンゴトン ガタンゴトン、ガタンゴトン♪

ほほぅ、列車音からくるとは凝った演出だ…。さぁ、そしてついに曲が!

♪チャン・チャチャンチャ〜 チャンチャカチャンチャ〜♪

って…、

演歌かよ!!


西垣『フンフンフ〜ン♪フフンフ〜ン♪

お前が歌うのかよ!!

すごいぜ、餘部鉄橋。しょっぱなのインタビューから
度肝を抜かされました。

でも非常に素敵なお話を伺えたので、西垣さんに
大感謝です。

有難うございました。
いつまでもお元気で!!

朝の特急「はまかぜ」号

鎧駅のホームには海に向かってベンチが
西垣さん宅を後にした我々YAJIKITA一行。
続いて実際に鉄橋を列車で渡ることにした。

下から眺めても迫力に圧倒されるのだが、
これを実際に渡るとなると…(高さ41メートル)。

高所恐怖症の井門は(徳島の回参照)ここでも日本一の
へっぴり腰を披露せねばならない。

せっかくだから餘部発の列車ではなく、餘部行きの列車に
乗りたい。いや気持ち的に。
なので一路レンタカーで餘部の隣の駅、其の名も
YOROI』に向かう。
今回の鉄橋取材という貴重な経験がなければ、
おそらく名前を知らなかったかもしれない。

YAJIKITA取材は『新たな知』をくれる素晴らしい
番組なのだ。今更ながら感謝である。

この鎧、ホーム眼下にエメラルドグリーンの日本海と小さな漁港を見下ろす事が出来る。
民家は数える程しか無い。勿論駅は無人駅。

ただこの景色を少しでものんびり観て 欲しいという
はからいだろう、海側に向けられたベンチがいくつか。

ロケーションは最高。

鎧駅のホームから見た景色

鉄橋を餘部駅から
と思ったら以前NHKドラマ『ふたりっ子』にロケ地として
使用されたようですね。マナカナ。

スタッフ共々しばし日常を忘れボケボケしてると、
香住からの列車がやってきた(基本1時間半に1本)。
赤茶色の2両編成。車窓を覗くと座席は全て埋っている。

観光客だろう、マイクとカメラを構えた我々を見つけると
『おぉ、写真撮っとけ!』とパシャパシャ。

良いですか?絶対後で写真を確認した時、
<コイツら何だっけ>ってなるよ。

そうこうしていると、いくつかのトンネルを抜け…
そこは雪国だった…

わけは無く、

絶景!

緑のトンネルを抜けると、突然に広がる余部の町並みと
真っ青な日本海。

乗客からは歓声とカメラのシャッター音。
もう誰も僕らにカメラを向ける人なんていない(当たり前)。

この景色を100年近くの間、人々に見せ続けた餘部鉄橋。

余部に暮らす人々にとってはこの高さ40メートル、
長さ300メートル以上の想いと歴史が横たわっている。

100年分の情景が一つの塊となって、そしてそれは優しい余韻となって、僕らの胸に沁みていく。

ガタンゴトン、ガタンゴトン
ガタンゴトン、ガタンゴトンと、沁みていく。

 
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