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旅人:今泉 清保 (HPはコチラ

北国に春を呼ぶ、伝統の祭り
〜八戸えんぶり 前編〜

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 自分の出身県なのに知らない、というよりは出身県だからこそ知らないことがたくさんある。
そのことを、去年YAJIKITAで訪れた黒石よされやイタコ、津軽民謡の取材で知った。
今回も、青森のお祭りなのに全然知らなくて、そして知ることができてよかったと思えた旅になった。

 訪れたのは、青森県八戸市。東北新幹線の終着駅で、東京駅からはやてに乗って3時間ほどで着く。
青森市出身の私は、小学校の遠足で一度だけ八戸を訪れたことがある。
覚えているのは、ウミネコ(といってもネコじゃなくて鳥)の繁殖地として知られる蕪島(かぶしま)を訪れ、
島に足を踏み入れた途端にフンをひっかけられたことぐらいだ。

 えんぶり、というお祭りは、旧暦の小正月、2月の17日から4日間行われる。
テレビのニュースで毎年取り上げられるので名前ぐらいは聞いたことがあったが、どんなものなのかは全然知らない。
行きの新幹線でパンフレットなどに目を通したが、わかるようでわからない。お祭りはこの目で見て確かめるのが一番、
ということで、えんぶりのオープニング「奉納えんぶり」から見てみることにした。

 朝6時に起きて、繁華街から歩いて十分ほどの「長者山新羅神社」に向かった。
朝7時、この神社にお参りして舞を奉納することからえんぶりは始まる。
地元の人に聞いたら、今年は雪が無くていつもの年よりずいぶん暖かいそうだけれど、そうはいっても朝の空気は冷たい。

  そんな中、頭に烏帽子をかぶった男衆を先頭に、着飾った子どもや、笛や太鼓のお囃子隊が行列を作り、
順に舞を奉納していく。ひとつの集団は15人から30人ほどで、これを「えんぶり組」という。
現在、30以上のえんぶり組があるそうだ。

 烏帽子をかぶった男衆は、口を真一文字に結んでニコリともしない。緊張しているのが伝わってくる。
それが何故なのかは、そのあとえんぶりを見て、知るにつれてわかってくることになる。

 そもそも「えんぶり」というちょっと変わった名前はどこからきているのだろう。
八戸の郷土史に詳しく、かつて観光協会長でもあった、正部家種康さんにお話を伺った。

 えんぶりは、年の初めに豊年満作を願うもので、もともとは祭りというよりも民俗芸能であった。
豊作を願って神様に奉納する舞であり、地域の人々が集まって楽しむ踊りでもあった。

  「えんぶり」の名前のもとになったのは、田んぼの土をならす「えぶり」という農具だそうだ。
テニスコートやゴルフのバンカーの土をならす道具と似たような形と思えばいい。
農業とは切っても切れない関係にあるのがえんぶり、ということになる。だからえんぶりでは、踊ることを「擦る」という。
踊りそのものが、田植えの動きを表している。土を擦る動きだから「踊る」イコール「擦る」なのだ。

 豊作を願う唄や舞なら全国にある。「田踊り」とか「田植え歌」とか。でも、八戸のえんぶりは、
神事と芸能が一体となって今でも残っている。それには、この土地の気候が大きく関係しているのだそうだ。

 小学校の社会科で「やませ」という言葉を習った。初夏から夏にかけて、東北の太平洋側には冷たく湿った東風が吹く。
これが「やませ」だ。この風は低温や日照不足の原因となり、稲をはじめとする作物の生育に大きな影響を及ぼしてきた。
大飢饉が起こることもしばしばだったという。多くの人がこのやませのために命を奪われてきたのだ。

  えんぶりは、春を呼ぶ祭りだ。この地域の人たちは昔から、春を待ちわびていた。豊作を願う気持ちも、神に祈る気持ちも強かった。だから今でも、昔と変わらない形で、このえんぶりが残っているのだという。

 奉納を終えたえんぶり組は、午前10時ごろ、続々と八戸の目抜き通りに集まってくる。
奉納の順番に並んで、のろしの合図とともに、沿道の観客に一斉に踊りを披露する。
これを「一斉擦り」というのだが、これは圧巻であった。なにせ30組以上が一斉に、それも合わせて踊るのではなく
それぞれに踊る。

 一斉擦りは40分なのだが、いくつかの組を見ていたらあっという間に終わってしまった。
でも大丈夫。えんぶりの期間中、えんぶり組は街のいたるところで見ることができる。

  お昼すぎから、市役所前のお祭り広場で「御前えんぶり」が披露されるというので行ってみることにした。
ただ見ていてもわからないので、ボランティアガイドである八戸市民ガイド会長の瀬川征吉さんに
説明していただきながら見ることにした。

 私が朝に神社で見た烏帽子をかぶっている男衆は「太夫」と呼ばれ、えんぶり組を代表する存在なのだそうだ。
えんぶりはどの組も、太夫の舞に始まって太夫の舞に終わる。組の代表なのだからいいかげんなことはできない。
だから皆緊張していたのだ。

  太夫の「擦りこみ」「擦りはじめ」のあとは、小さな子どもたちが出てきて舞を披露する。
「えんこえんこ」「松の舞」など、どれも見ていてもかわいいし、踊りの内容もわかりやすい。

  「御前えんぶり」というのは、元々はお殿様の前で披露していたそうだが、今は市長などの前で踊る。
その周りには大勢の観客がいるのだが、全員ニコニコと踊りを見ている。
太夫の舞はおごそかな感じだが、子どもたちの踊りは思わず拍手をしたくなるような楽しさにあふれている。
この両方が楽しめるのが、えんぶりのいいところだと思う。

 全国的に、祭りの後継者不足が言われている。地域のまとまりが薄れ、若者が離れていくところが多いのだ。
でも、えんぶりを見ていると、男女を問わず子供や若者の参加が多いことに驚く。

  えんぶりが始まるまでの間、地域の人たちは「えんぶり宿」に集まって、毎日踊りを練習する。
今は地域の集会所などがえんぶり宿になっているが、昔は家々の持ち回りだったそうだ。
地域の長老が、太夫となる若者に踊りを教え、小さな子どもたちは太夫に憧れながら自分達の踊りを練習する。
みんなでやっているから手が抜けない。そして、お年寄りから子どもまでの大きな共同体ができていく。

  最近は、学校単位でえんぶりに参加するところも増えてきた。
えんぶりに参加する子供は、その旨を申し出れば欠席にはならないそうだ。地域がこの祭りを守り、支えている。

 親方と呼ばれる長老は、太夫を勤める若者を「こいつがこんなに小さかったときから知っているからねぇ」と目を細くして眺め、太夫は「とても緊張しています」と顔を引き締め、子供たちはおしろいで白くなった顔をほころばせて「楽しい!」とはしゃぐ。
そんな顔がいっぺんに見られる。

  地域の子供が誇りを持って参加でき、大人と触れあい教わることのできる祭り、それがえんぶりなのだ。

  えんぶり組は地域の商店や家々を回り、舞を披露してご祝儀をいただく。
これが来年の活動資金になり、子供たちにとってはちょっとしたお小遣いになる。夜にはお祭り広場にかがり火を灯し、
その中で舞が披露される。ほんとうに、えんぶり組は一日中踊っている。

 お祭り広場にはたくさんの出店があって、いろんなものが食べられるのだが、中に「くじら汁」を出している店があった。
八戸は、イカの水揚げ全国第一位を誇る、日本有数の漁港でもある。そしてかつては捕鯨の街でもあったそうだ。

  今では忘れられている鯨の文化を知って欲しいと今年初めて開かれた出店で、くじら汁をいただいた。
鯨を食べるのは何年ぶりだろう。

  味噌仕立ての、野菜がたっぷり入った汁の中に、鯨の身があった。噛むと柔らかくて、うまみのある、
でも決してしつこくない脂がじわーっとしみ出てくる。おいしい。冷えた体が温まった。

  私はこれですっかりえんぶりを堪能した気になっていたが、えんぶりの魅力、
そして八戸の魅力はまだまだこんなものではなかったのだ。それはまた次回。

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