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旅人 : 工藤彰乃

青森が生んだ鬼才・寺山修司編

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「寺山修司」という名前を聞いて、知っている! という方はたくさんいるかもしれません。

 では、どんな作品を見たのか?代表作は?
 何だっけ?? 演劇、映画、本…。
 実はハッキリ答えられない方も多いのでは?

そんな方のために、今回は「寺山修司」の魅力をお届けします!

はじめまして! 工藤 彰乃(くどう あきの)です。 今回、YAJIKITA ON THE ROAD 初登場で、ものすご〜く緊張していました。
なにしろ、私は“寺山修司さんの名前と天井桟敷(名前だけ知っている)を設立した人”、 という知識しかない状態。
取材前に作品をいくつか観たのですが、そんな一夜漬けで、どんな取材になるのかと思い・・・。とにかく、ご覧下さいませ。

はじめに、「寺山修司 過激なる疾走」という本も出版されている、高取英さんにお話しを伺いました。
どんな人だったのか、どんなところが優れていたのか、原点は何か。そしてなぜ今も寺山修司さんが話題の人なのか。



高取英さんと一緒に

高取さんとは、東京・新宿の落ち着いた雰囲気のbarでお会いしました。大学の教授だということもあり、
お話しも分かりやすく、いろいろと教えていただきました。 俳句の本の出版で高取さんと出会ったそうですが、
その頃には、すでに才能が開花していたようです。
そして、テラヤマ作品の魅力、子供の頃の環境が作品に影響していることも知りました。そこで・・・

寺山修司さんが子供の頃過ごしていた、青森県三沢市にある「寺山修司記念館」に向かいました。
平成9年7月に開館したこの記念館は、寺山修司さんの数多くの関係者からアドバイスを得て作ったということです。

まず、外観をみてビックリ! 外壁に、無数の絵やメッセージが貼ってあるんです。 テラヤマ作品を題材にしたものや、
交流のあった方からのメッセージ、149枚の陶板だということでしたが、一目見て、ただ者ではないと感じました。

中へ入ると、正面に大きく寺山修司さんの写真と代表作が展示してあり、存在感を感じます。
早速、館長さんにお会いして館内を案内していただくことに。



記念館の奇怪な入口で寺山館長と一緒に

館長の寺山幸四郎さんは、修司さんの従兄で、青森大空襲で修司さんが焼け出された9歳の頃から一緒に住み、
その後も家が近所だったということで、子供の頃の様子をたくさん伺いました。
正直、どんな方なのか心配していた私は、ゆっくりとした口調で、暖かさを感じる館長にホッとしたのでした。
(お会いして、身体つきがガッシリしていると思ったら、柔道七段のその道では有名な方で驚きました)

まず館内で注目したいのは、11の机。それぞれにテーマがあって、引出しの中には寺山修司さんが使用していたもの、
直筆の作品などがあり、中には実際に使っていたという電話の受話器をとると、修司さんの声が聞こえるなど、
引出しを開けるたびにいろいろな魅力を感じることができます。



直筆の作品を見て、生の声を聞くと感動! 何を思って書いたのか、何を感じていたのか、
本人に聞いてみたくなりました。

机の反対側は舞台になっていて、ここには芝居や映画で使用された人形などがあり、
出発前にみた映画「田園に死す」に出てきた、大きな手をもった男や、風船女がいて嬉しくなりました。
周りの壁にはポスターが数多く展示されていて、そのポスターも作品と同様、インパクトのあるものばかりです。



「田園に死す」の風船女も


床の中にもオブジェが埋め込まれている

館内に来ていたお客さんは、引出しの中もポスターも熱心に見ていました。最近は、若い女性のお客さんも多いのだそうです。 それぞれに寺山修司さんの何かを、少しでも見つけようとしているみたいでした。

テラヤマ作品を知らなくても、この短歌なら、もしかしたら知っているかも・・・。

「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」
「売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき」

いろいろある短歌の中でも有名で、最近は高校や中学の教科書に載っているものです。
単純な感想で恐縮ですが、作品が教科書に載ったということで改めて尊敬しました。



寺山の作品が載った教科書

館内を案内していただいた後は、外へ。あいにく、この日は雨が降ったり止んだりしていたのですが、晴れているときは、
景色も良いのだそうです。 高台には本の形をした記念碑があり、その途中には、俳句や詩がいたるところにあって、
天気がよければ散歩をしながら、作品を楽しむことができます。 自然の中でじっくりと味わえるのも、魅力です。

その後、車で10分ほど移動をして、子供の頃に過ごしたゆかりの地へ。

寺山館長の実家で修司さんが母と間借りして過ごした寺山食堂。その後移り住ん だ実家。
よくレコードを聞きに行ったという上野時計店。古間木小学校。



車が信号待ちしている辺りが寺山食堂のあった場所


この塀の辺りが寺山修司の実家があった場所


三沢駅前のこの建物の場所に上野時計店があった


農協の建物がある場所にかつての古間木小学校があった


「田園に死す」のモチーフになった墓地も今では3つのお墓があるのみ

案内していただいたのですが、すべて跡地でした。
今は道路が出来ていたり、他の家が建っていたりして、寺山館長のお話しを聞きながら想像するだけです。
「田園に死す」の モチーフになった墓地(かくれんぼをしてよく遊んだ場所。
修司さんは臆病で墓地が嫌いなのに連れて来られ、今でいうイジメにあっていたそうです)も面影があるだけで、
この地を知らない私までが時代の移り変わりを感じました。



不動神社だけは当時のまま残っていた

しかし、「不動神社」だけは、以前と変わらないままだったのです。 ここで、よく相撲をとっていたそうです。
せっかくなのでお参りをして、ふと横を見るととても大きな木があり、この古木がなんともいえない存在感があって
思いが膨らみました。 ここの雰囲気は、他とはちょっと違いました。

ここで今回の旅は終わり。三沢市を周り、寺山修司さんの原点を肌で感じた一日でした。
そして、今年二度目の満開の桜と、新鮮な海の幸まで楽しんで、大満足の旅となりました。
余談ですが、初めて食べた白魚の踊り食い。あまりにも元気にピチピチとはねて、箸でつかむと手にその動きが伝わって、
何ともいえない感覚と味わいでした。ご馳走様でした。



白魚がピチピチ跳ねてる〜っ!

寺山館長、高取英さん、お忙しい中ありがとうございました。たくさんお話しを伺って、 テラヤマ作品のあちこちに、子供の頃のことが反映されていることもわかりました。 しかし、私がここで簡単に語ることの出来ない、奥の深い人だと実感もしました。

記念館でお客さんの一人に「魅力は何だと思いますか。」と聞いたところ、(言葉は正確ではありませんが)
「何がというふうに答えられない、分からないところが魅力じゃないでしょうか。」と答えてくださいました。
まさに、その通りです!
だからこそ、今もたくさんの人が興味を持ち、たえず“寺山修司探し”をしているのではないかと感じました。

あなたもテラヤマ作品にふれてみては? 何ともいえない不思議な魅力に考えさせられますよ!

 

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