レポーター : ALEX

地球の記憶『ホクレア号』に乗って

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およそ13.000kmも離れたハワイから「ホクレア」という名前のカヌーが日本にやって来ました。
カヌーですから、エンジンなどは付いていません。しかも、海の地図“海図”や、コンパス、GPSなどの航海機器を使わずに、
星や月、太陽の位置、そして風や波などの状況を頼りに、昔ながらの航海術で海を渡って来たんです。

◆『ホクレア(Hokule'a)』というカヌーがなぜ造られたのか

◆ホクレア号のスケジュール・寄港地
◎2007年1月23日 ハワイ島出航 2007年6月9日 横浜到着
◎ハワイ→マジュロ→ポナペイ→チューク→サタワル→ヤップ→パラオ→ヤップ→沖縄→熊本→長崎→福岡→山口(周防大島)→広島→愛媛→横浜

この「ホクレア号」…、ハワイ島を1月23日に出発。ミクロネシアの島々を経由して、4月24日に沖縄に到着。
その後ハワイへ移民した人がたくさんいる地域を中心に立ち寄りながら、6月9日、最終目的地の横浜に到着しました。
ハワイを出発してから、およそ140日の大航海。その航海で見えたものは・・・

5/20 瀬戸内海の入り口、山口県・祝島では1000年以上の
歴史がある4年に一度行われる祭り「神舞」で使われる、
「櫂伝馬」でホクレアを歓迎。
この櫂伝馬がお祭り以外で出たのは初めてのこと。

 詳しくはこちら

その様子を眺める島のお母さん達  後姿がなんとも
かわいらしい

山口県・周防大島沖に現れたホクレア。ヨットやカッター、
海上保安庁の船も放水しながらホクレアの入港を歓迎した

 
 
 
5/20 ホクレア 大島商船桟橋に到着
 

到着すると、船の上ではクルーによるハカ(Haka)と呼ばれるダンスが披露される。力一杯膝を叩き、足を踏み鳴らして叫ぶ
荒木汰久治さんのブログによると、このような物語を踊りにしたもの。

@山から木を運びおろしカヌーを作る。
Aそしてカヌーができたら漕いで沖まで行く。
B魚たちのすむ外洋にでたらセールを張る。
C波に揺られ、波長を合わせ生活する。

 
日本人クルー 内野加奈子さん 荒木汰久治さん
 
 
 

大島商船桟橋から、椋野漁港へ移動 
約3000人もの人が集まり、歓迎イベントが行われた

 

子供たちによる「ホクレア写生会」

「I'm SKY.(↑空を指しながら) "SO RA"」と自己紹介する
スカイ君。すぐ子供達とも打ち解けた

 

大島商船高等専門学校の生徒が“一晩をホクレアで過ごす”…という、夢のような時間を過ごした。
企画したのは日本人クルーの1人、荒木汰久治さん。停泊している「ホクレア号」の上で、未来の航海士達に
スターナビゲーションの話、自分がホクレアで航海する意味、故エディ・アイカウ氏の話、子供達へのメッセージなど、
様々な話をしてくれた。

◆“エディ・アイカウ”がどんな人物だったか・・・ここで少しご紹介します。  
 
プロサーファーとして頂点を極めた男。
世界中のサーファーの間で、伝説となっている人物。ライフガードもしていた。
1978年「ホクレア号」が2度目のタヒチへ向けて旅をしたとき、彼も乗っていた。
でもその時、嵐に遭って「ホクレア号」は転覆、遭難してしまった。
絶望感でいっぱいの仲間たちを見かねた、エディは、自らの命をかえりみず、
持っていたサーフボードに乗って、およそ20キロ離れたラナイ島へ、救助を求めに行った。
乗組員は、その後偶然通りかかった船に助けられたけど、エディだけは帰らなかった。
それからハワイでは、あと1歩踏み出す勇気が持てない人を励ます言葉で、
「Eddie would go!(エディなら行くよ)」って言うくらい、
エディは伝説的なヒーローになった。



↑荒木汰久治さんによる 伝統航海法の話


↑ナイノア・トンプソンさんへ 生徒からの質問


寝床の作り方を教わる生徒たち。

食料庫などのタンクの上にマットを敷けばベッド完成!

 


周防大島はハワイに移民した方が日本で一番多かった場所。その歴史を語り継ぐ、
日本ハワイ移民資料館

     

そこにあった1冊の本に目が奪われた
「VOYAGE The Discoveryr oh Hawaii」
こんなふうに人類は最初にハワイへ渡ったのでしょうか・・・

 

5/23 周防大島出航の朝 穏やかな風が流れた

ホクレアクルー ナイノア・トンプソンさんと、
伴走船カマ・ヘレの船長マイク・テイラーさんに花束贈呈

大漁旗のプレゼント

大島にはサイン入り ホクレアのパーツがプレゼントされた

 

 

周防大島では1つ大きなドラマがありました。こちらにいる藤井木工の藤井じいちゃんがその腕を買われ、
なんとマストにある要のパーツを制作。ホクレアに取り付けられました!「藤井木工」のサインが入ったこのパーツは、
ホクレアと一緒にずっと航海を続けるのです。

 

周防大島を離れるホクレア ホラ貝が港に鳴り響く

多くの漁船に見送られ、次の寄港地 広島県・宮島に向かうホクレア 気持ちよく帆を広げ、瀬戸内海を帆走し始めた!

5/23 宮島・厳島神社の鳥居とホクレア

宮島では、広島県福山市に現存する最後の打瀬船
「内海丸」がお出迎え

これが最後の航海になるそうです。残念でなりません。
もっと打瀬船「内海丸」を見たい方はこちら

5/24 宮島をあとにしたホクレアは、広島・観音マリーナへ

今日でホクレアの日本航海の旅が終わる...

たくさんの人が横浜・ぷかりん桟橋に集まった

【7007.6.9 ホクレア号 横浜港到着】

ぷかり桟橋 歓迎セレモニー
王立カメハメハ1世騎士団の方々や、初代のクルー故タイガーさんの実弟ルイさんがこの日の為に来日。
ハカやフラでホクレアを歓迎した。
そしてホクレアにも騎士団員であるレイトン・ツェウ氏が乗っており、このホクレアの訪問は過去を懐かしむ為のものではなく、未来を見据えたものなのだと指摘し、ハワイと日本の関係がさらに深化することを願うと述べました。

ちなみに横浜は、1881年、ハワイのカラカウア王が明治天皇を公式に訪れて、日本とハワイの文化交流の源になった場所。ここからハワイへの管約移民の歴史がはじまった。

 

今回最終寄港地に到着したクルー達です。
しかし、実際にはこの航海、夢を実現させるために数千人の
クルーとスタッフが携わっているのです。家族、文化、伝統、
言葉、自然、環境そして地球を大切にする心。思いやり。
一つの海で皆が繋がっている。
「One Ocean, One People.」これからも、
これらのキーワードをヒントにアナタなりの大切な物を
探してみては?

 

 

 
今回出会ったホクレアクルー

●日本人クルー 内野加奈子さんのインタビュー内容をご紹介します。
                                インタビューはコチラ!

●キャプテン ナイノア・トンプソンさんのインタビュー内容をご紹介します。
  (番組で紹介しきれなかった部分も含め)    
                                インタビューはコチラ!

ナイノア・トンプソンさんです。物凄く穏やかな方でしたが、
インタビューをさせていただき、物凄く熱い方だと感じました。
ホクレア号のクルー達の父です。インタビューを通じて
僕の中にある色々な感情や思いが再び息を吹き返しました。

 

●ALEX 旅日記

先ず今回の仕事の相談を受けた時、ハワイからカヌーが日本にやって来るので、
外国人のクルーにインタビューしてそれを訳す事が僕の役目でした。

もちろん、インタビューアーとしてインタビューする相手に関する情報をあらかじめ勉強するのは当然で、
何時もの様にそのプロセスをやっていました。
すると驚い た事に、ホクレア号の情報を知れば知る程、自分が持っている思想と重なる部分がどんどん増えて行ったのです。方法は違うけど、僕と同じようなマインドを持っている人達がここ日本にやって来るなら、是非会いたい!
何時しかそんな気持ちになっていました。

恐らく、多くの方同様、僕もこの仕事をうけていな かったらホクレア号の事は殆ど知らずに人生過ごしていたかもしれません。

しかし、今回の出会いは偶然ではなく、むしろ、必然的な出会いだったと強く感じます。
周防大島への取材も、カヌーが天候の関係で入港するのが遅れると知らされた時、組んでいた取材スケージュールが
一端白紙になりました。他の仕事との兼ね合いもあって、僕が取材可能な時間が36時間を切った時、新たな情報が入り、
急遽周防大島へ向う事になりました。往復の移動等も含めて残された取材時間は26時間。

朝、東京を出発し、無事、午前中に周防大島へ到着。ホクレア号を迎え入れ、沢山の人達と出会い、イベント等の取材を行い、事は順調に 進んでいました。

ただ一つ、僕に科せられた一番重要な目的が達成されていなかったのです。それは伝統航海士、
ナイノア・トンプソン氏とのインタビュー。 色々なルートを通じて取材の依頼はしてあった物の、時間だけが過ぎて行きました。

インタビューが確定されたとの連絡が一行に入ってこない。。。僕に残された時間は12時間を切っていました。
日が暮れて、全てのイベントが終わり、撤収作業が始まりました。今回の取材でお世話になった方々へご挨拶をしていると、
直ぐ近くにナイノア・トンプソン氏が見えました。

すると、お世話になった方が直接ナイノアさんに紹介してくれと仰って、これはチャンスだ!と思い、
ここで直接インタビューの交渉をして、本人からの承諾を得ようと決めました。
首を縦に振ってくれるまでくいさがるつもりでご挨拶をさせていただきました。事情を説明すると、
インタビューは可能との返事をいただいたのですが、中々時間がはっきり決まりませんでした。

なんせ、僕に残されていた時間がなかったのとナイノアさんもクルーとのミーティングがトップ・プライオリティーで
その他多忙でしたから。。。ナイノアさんのスケジュールを確認して、
早朝 僕と番組ディレクターがナイノアさんの所へ伺う事でどうにか話はまとまりました。海洋ジャーナリストの
内田正洋さん同伴で翌朝インタビューをスタート。

話は長くなりましたが、ナイノア・トンプソン氏とのインタビューで、僕が最後にした会話。ここに全ての答えがありました。
この出会いは偶然ではなく必然だった事。最後の質問の答えに対して、
僕が理解出来ているかをナイノアさんは優しく訪ねてくれました。僕はもちろん理解していました。
何故なら、僕も肌で感じて生きて来たから。それを僕がナイノアさんに伝えた後の会話です。

ナイノア・トンプソン氏
「カヌーは人々との繋がりを作ってくれる。その繋がりは物凄く深いんだ(強い)。君がいっている様な繋がりだ。
頭で分析出来る様な事ではなく、僕らの脳にプログラムされていない事なんだ。そういう事は起こる。
全ての状況が自然と組み立てられて行く。そういう繋がりを求めているからだよ。

皆この地球で生まれ、平和の中で生きたい。今回の航海を通じで希望が更に持てた。どんなに小さな架け橋でも良いんだ。
それが人々を繋げるきっかけになれば、傷ついた地球がいやされて行く。共通する価値観と平和を保つための努力。
授かった素晴らしい人生の中で出来る事をやる、それが大事。個々が大切と思った事に対してアクションを起こす。

僕の場合はカヌーを通じてやっている。選んだのではなく、どちらかというと運命なんだ。
僕がカヌーでやらなくては行けないって理由も理解しつつある。」

アレックス
「まさに今伺った事を僕はラジオというメディアを通じて、出来る様になるため日々努力しています。」

ナイノア・トンプソン氏
「それが君のカヌーだよ!何処に向って航海するのか、そしてその理由は様々だけど、誰もが皆カヌーを持っているはずさ。」

シーカヤッカー、海洋ジャーナリストであり、今回はサポートクルーとして
ホクレアと行動を共にしていた内田正洋さん。
『祝星「ホクレア」号がやって来た。』の著者。
この本は是非読んでいただきたい!
内田さんには周防大島で何から何までお世話になってしまいました。。。
話しているといくら時間があっても語りきれないぐらいのエピソードを経験から
話してくれるので、次に書かれるホクレア号に関する著書が楽しみで
仕方ないです!!!でも、その前にまた飲んで色んな話が聞きたい!

番組から、内田さんの“サイン入り”『祝星「ホクレア」号がやって来た。』
(著書 内田正洋 えい出版より)を10名様にプレゼントします!

メールのコーナーから、必要事項を明記の上、
番組の感想など添えてお送りください。
◎必要事項 お名前/住所/電話番号

 

Special Thanks to
ナイノア・トンプソン 内田正洋 内野加奈子 荒木汰久治 宮崎雅子 ocean sato 江良正和 西山喬
周防大島町の皆さん 日本ハワイ移民資料館 吉田清継 西尾浩二 村上水軍商会 内海丸 
ポリネシア航海協会(Polynesian Voyaging Society) HAWAI'I観光局

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