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旅人 : 九州大学教授・イコモス理事 河野俊行先生
     YAJIKITAスタッフ(構成作家) 吉武英樹

残したい、日本の古い港町の風景
〜広島・鞆の浦〜

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常夜燈からの眺め 工事前


常夜燈からの眺め 工事後


海側からの眺め 工事前


海側からの眺め 工事後

日本最古の歌集である万葉集に、大伴旅人が、大宰府から都への帰路に詠んだ歌がある。

「鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘られめやも」

大宰府への往路、鞆の浦に立ち寄ったとき、最愛の妻が一緒だった。
いま都への帰路、鞆の浦の風景を一緒に愛でた妻はもういない。

鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中央に位置し、東西からの潮は鞆の浦の沖合いで出会う。
海運を自然の力に頼っていた時代には、満ち潮にのって東西から船が集まり、引き潮に乗って船は航海を続けた。
こうして鞆の浦は1000年以上にわたって瀬戸内海航路の重要な港であり続けた。このことのゆえに、
多くの歴史上重要な人物が鞆の浦に登場することになった。足利尊氏、坂本竜馬、三条実美等々。

そして今年が400年目の記念すべき年である朝鮮通信史は毎回総勢500名余で鞆の浦に滞在した。
(鞆の浦の歴史については <<http://tomonoura-net.jp/about.html>> をご参照ください。)
港あってのまち、港ゆえに栄えたまち、その歴史をいまでも体感できる場所は、日本にはここしか残されていない。

歴史だけではない。鞆の浦は、その美しさゆえに、多くの芸術家を魅了してきた。浮世絵に描かれ、
宮城道雄は鞆の浦の海をイメージして「春の海」を作曲し、
そして日本の誇る映像作家である宮崎駿は2008年夏公開の新作「崖の上のポニョ」をここで構想した。

私は、鞆の浦へ来ると、アドリア海の真珠と呼ばれるドゥブロブニク(クロアチア)を思い出す。
ベネチアの植民地以来の港をもち、古い町並みを見事に残し、細い路地を散策する楽しみがそこにはある。
鞆の浦は、ドゥブロブニクよりある意味で魅力的かもしれない、とも思う。
ドゥブロブニクが観光地になってしまっているのに比べ、鞆の浦は生きた町である。
漁師が住まい、船を手入れする光景が、数百年変わらずそこで行われている。

生きた町だからこそ、現在のままでは車には不便だ、と行政はいう。道が狭くて渋滞が大変だ、という。
でも私が鞆の浦を歩いていて渋滞をみたことがない。江戸時代の道幅だから両側通行は出来ない。
でも狭い道だからこその魅力をなぜ生かす工夫がないのだろうか。
アマルフィ、カプリ島、エーゲ海の島々の魅力は、港と細い路地の散策である。

行政の言い分によると、道がいる、だから埋め立てて橋をつくらねばならない。もしそうなると、こういうことになる。
このウエブサイト <<http://tomonoura-net.jp/plan.html>> をクリックしてみてほしい。
高台から眺めると、港の半分近くはなくなったように見えるだろう。

空海が開帳した寺からみる港の風景は風前の灯である。千数百年にわたって船を受け入れてきた港はセメントで固められ、
フェリー用ドックと観光バス駐車場に取って代わられようとしている。
その前に、一度鞆の浦に足を運んでほしい。竜馬が踏みしめたであろう港の雁木や波止に腰を下ろしてみてほしい。
竜馬は波の音を聞きながら歩いていたはずである。夜は墨色の鏡のような港にうつる月を眺めたはずである。
鞆の浦に行けば、それはまだそこにある。

橋ができれば、ついて回るのは車のエンジン音とライトである。昼夜の区別なしに。
鞆の浦を歩きながら考えてみてほしい。何故なのか、と。

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