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旅人 : わたなべヨシコ

徳川の大軍とわたりあった真田家の郷、上田。

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上田の旅 二日目。

上田と言えば忘れちゃならないのは真田昌幸・信之・幸村を中心とした「真田氏」。
戦国時代から江戸時代にかけて上田の地をおさめていた真田氏を描いた小説に
池波正太郎が書いた長編小説「真田太平記」があります。
ドラマにもなったりしていたのでご存知の方も沢山いらっしゃると思います。
今回はその「真田太平記」を中心に、真田氏ゆかりの地である上田の町を巡ります。

さて私たちYAJIKITA一行は朝、雪が降り積もる別所温泉を出発して雪の道をひた走り、最初に向かったのは

■上田市立博物館

歴史を調べるにはまず博物館ということで上田城二の丸跡にある上田市立博物館にお邪魔しました。
上田市立博物館の塩崎さんにご案内いただきました。
こちらには真田氏から始まった上田藩の歴史や上田城そして北国街道の宿場に関する資料などが展示されています。
その中に真田昌幸着用具足を始めとした甲冑や武具、そして真田昌幸・信之・幸村がやりとりした書簡、
当時の上田城周辺の地図など貴重な資料があったんですが、
真田太平記の「上田攻め」に出てくる徳川軍との合戦をよりリアルに感じる事が出来たのです。
小説というのは文章を読みながら、自分の想像の中で物語を楽しむというやり方もありますが、
こうやって実際の資料を目の当たりにするとより臨場感を感じる事が出来るんですね!

そう思いつつ資料を見ながらふと疑問に思った事が…

なぜ六文銭が家紋なのか?

この六文銭、本来は六連銭というそうで、この六文銭というのは地蔵信仰(仏教でいうところの六道銭。
三途の川の渡し賃のこと)から来ていて戦で命を落としても六文銭を持っていることによって、
地蔵によって救われるという意味を持っているそうです。
決して大軍ではなかった真田軍ですがどんなに窮地に追い込まれても諦めない…
きっとその決死の想いがこの六文銭に込められていたのでしょう…
さて、この真田家の真髄を取材するべくたびたび上田の町を訪れていた「真田太平記」作者 池波正太郎。
彼はこの作品の有無に関わらず信州をこよなく愛し、信州を訪れていたと言われます。
続いて私たちはその池波先生と上田市の繋がりを表しているという場所を訪れました。

■池波正太郎真田太平記館

到着した私たちを「雪の中寒かったでしょう」と土屋館長が迎えてくださいました。
まずご案内いただいたのは玄関正面の階段を上がった2F常設展示室。この施設の中心的存在とも言えるフロア。
片方は「池波正太郎コーナー」、もう片方は「真田太平記コーナー」と二つに分かれています。
階段を上ってまず目に飛び込んできたのは「池波正太郎コーナー」の池波先生が使っていた万年筆。
ガラスに入って展示されていました。その他、「鬼平」「剣客」「仕掛人」といった三大シリーズの自筆原稿、
愛用のスーツ(上田紬)や下駄、パイプなど池波先生の人柄がにじみ出ている品が展示されています。
その作品ひとつひとつを土屋館長がおもしろおかしくそして粋に解説してくださったので、楽しさも倍増!

私がとても注目したのは、池波先生自筆の年賀状。
「お正月には次の年の年賀状を書き始める」というエピソードでも有名ですが、その画がとても微笑ましいのです。
毎年の干支をご自分に例えてタバコを加えていたり、ワイングラスをかたむけていたりetc. 
貰った方々の笑顔が浮かぶ…そんな年賀状でした。

そして「真田太平記コーナー」。
こちらは作品の登場人物や時代背景をわかりやすく説明しているパネルが壁一面に飾られています。
実は…今まで歴史小説を読んだことがそんなになくて、しかも真田太平記くらいの長編なものは初体験だったんです。
そしてこれは私だけかもしれませんが、読み進めているうちにいろいろな登場人物やらストーリーやら…
いろんな事がごちゃごちゃになり、また前を読み返してみる…それの繰り返しだったんです。。
そんな私にとってこのパネルは目から鱗!「あぁ!この人はこの人とこういう関わりがあったんだ!!」
こんなにスッキリしちゃうのは私だけでしょうか??

その他にも池波先生の取材ノート(これがまた緻密に描かれているのです)や
取材をしている池波先生のお写真なども展示されていて、池波正太郎ファンにも歴史ファンにもきっと楽しめると思います。

今日の旅もご協力いただいている上田市商工観光部観光課の中村さんによりますと、
上田の町は上田城城下町としてだけではなく北国街道の宿場町としても栄えたとのこと。
実は現在も当時のままの建物や町並みが残っている場所が近くにあると教えてくださったので、早速向かってみました。

■旧北国街道柳町

この柳町は市内で最も多く格子戸の家の残るところだそうで、映画「犬神家の一族」のロケにも使われたそうなんです。
雪が降ってしんしんとして、それはそれはいい風情をかもし出していました。
中村さんに「わたなべさん、うだつがあがらないって言葉知ってますか?」と質問されて、
突然どうしたのだろうと思いつつ「ハイ。言葉は知ってますよ。」と答えてみました。
「じゃ〜その『うだつ』って知ってますか?」との問いに頭の中は「???」。
そんな私に中村さんがある場所を指差し「あれがうだつですよ」と教えてくれました。
「うだつ」というのは本来、はりの上に立てる小さい柱のことをいったのだそうで、
後に火事になったときに隣りの家へ火が燃え移らないようにするための防火壁の役割もあったのだそうです。
しかしこのうだつ、設置するのにお金が掛かったそうで儲かっていないと上げられなかったそうなのです。
そこから「うだつがあがる」という言葉が生まれたのだそうですよ。さすが中村さん!

柳町にはその昔の建物の風合いを生かした茶房や天然酵母パン屋さん、お味噌屋さんが軒を連ねていますが、
その中で私たちは江戸時代から四百年続く酒造店「岡崎酒造」さんに立ち寄りました。
建物自体イイカンジに飴色です。お店の端には囲炉裏が!
おかみさんにお伺いしたところ、建物が傷んでしまうのとお酒を扱っているので通常の暖房は使えないそうなのです。
そこで近所の方からいただいたりんごの木炭で暖を取っているのだそうです。
いやはや適度なしっとり空気感がいいですね♪

そしておかみさんのご好意でお酒造りも見学させていただくことが出来ました。
なんと杜氏はお嬢さん!しかも美人!かわいらしさの中にしっかりとした芯を感じる女性でした。
YAJIKITAスタッフメロメロ。私も心の中で勝手に「ミス柳町」だわ〜と思っていたところ、
ご結婚してお子さんもいらっしゃるんだとか!!お仕事と家庭をちゃんと両立しているとは!!素晴らしい!
工場見学の後、試飲もさせていただき夢ごこちに〜ああっ!まだ取材の途中だった!

柳町に別れを告げて、私たちはいよいよ上田城へ。


■上田城跡公園

この上田城は真田昌幸によって築かれたお城で、「真田太平記」にも出てきますが、
徳川軍の二度にわたる攻撃を撃退した事で有名ですね。
現在このお城には天守閣はありません。が、中村さんによりますと
研究の過程においてもしかしたら天守閣が存在していたのではないかとも言われているという話もあるそうです。

大手門を入って左にある南櫓に上がってみました。と言っても入れる時期が決まっていて、
私たちが行った時には閉まっていましたが…
しかしそこから上田の町が一望出来るんですね。これだったら敵が攻めてくるのも一目瞭然で見てとれます。
この南櫓のすぐ下を千曲川が流れていたそうで、高い崖が城を守っている様です。
実際立ってみましたが、これはどんなにしても上れなかったでしょう。
真田太平記にも壮絶な戦いの様子が臨場感たっぷりに描かれていて、
その印象で今回上田城に訪れたのですが正直想像よりも小さいお城だったことに驚かされました。
しかしこの城は先程ご紹介した川だけでなく山やら湿地帯やらいろんな自然に守られている
まさに堅城と呼ばれるにふさわしい場所なのです。きっとお城って大きさ云々じゃないんでしょうね。
こういう場所を見つけ出し城を立てた真田昌幸の偉大さ…脱帽です。

現在ここ上田城は樹齢100年といわれるケヤキ並木や約千本の桜など自然に囲まれた市民の憩いの場になっています。
お花見でも盛り上がるそうですよ!
これから本格的に春を迎えて、上田城千本桜まつりや上田真田まつりなどがにぎやかに開催されるそうです。
きっと真田家の皆さんもそんな今の平和に過ごせる場所になった姿を見て喜んでくださっているのでしょうね。

ということで私の上田の旅レポートもそろそろ筆を置きたいと思います。
今回の旅をしてみて、上田の町は本当に昔から続く伝統を大切にしている場所なんだなぁと思いました。
自分達のルーツをしっかりと守り続けていく。一言で書いてしまいましたがそれは並々ならぬ努力の賜物だと思います。
戦国時代の昔から数々起こっている戦、そしてそれを乗り越えてきて今がある…
上田の町には『ゆるぎない底力』を感じました。

そして個人的には…
今まで戦国歴史小説っていうのは男の人の読み物だと思って手に取れなかったというのもあったんですが、
今回「真田太平記」に出会って、女の私でもスーッと入り込める戦国歴史小説があったんだ!と正直驚いております。
否(いな)、スーッと入り込めるというよりもググッとはまり込んだと言っても過言ではないでしょう。
ほんとこの本おもしろいわぁ〜!!
こんなステキな出会いに感謝です!さぁ!もう一回読むぞ!

 

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