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旅人 : 貞包みゆき

知の巨人…、南方熊楠の生涯を追う

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初めまして。
YAJIKITA ON THE ROAD 初レポートさせていただきまぁす、貞包(さだかね)みゆきです。
私は旅の資格を取るほど旅が好きです。私にとって、毎日が旅時間。ふと降り立った場所で、
「旅」って思うだけでむくむくむくって好奇心が湧いてきます。自分の家の近所でも、むくむくむくっ。

さて、今回の「旅」の大目的は、「南方熊楠(みなかたくまぐす)の足跡をたどる」というもの。

南方熊楠さんは世界的博物学者であるお方。いやぁ〜男前ですねー。

今回の行き先が決まってから、私、実は、出発前からわくわくしていましたぁ。
というのも、唐突ですが、もうすぐ私の誕生日なんでーす。4月15日。誕生日辞典などによるとこの日に生まれた人は、
観察好きで記録好き。かのレオナルド=ダ・ビンチもそうなんですヨ。
そして、今回の旅の目的の、「南方熊楠」、この人も4月15日生まれ。なんだか他人ごとのような気がしてなりません。
とにかくっ!行ってきまーす!!!

まず、向かったのは南方熊楠がすんでいたという旧邸。

邸内には大きな楠や柿の木などがまだ生き生きと葉を繁らせていました。この庭は熊楠の研究園そのもので、
ここから粘菌の世界的新種発見をしたそうです。落ち葉一枚も大切な研究材料だったそうです。

すごいっ!

お部屋に当時使われていたパレットそのまま!絵の具が残っています!

この邸宅を案内してくださった中瀬館長さんです。

とっても優しい館長さん。熊楠の生き方に感銘し、
まだまだ解明されていない熊楠の資料を解き明かすことを人生の命題にされているとのこと。
そして、ここを社会見学で訪れる小学生に、地元を愛し研究した熊楠の勤勉な生き方を伝えて行きたいとおっしゃっていました。

その熊楠邸のお隣にある『南方熊楠顕彰館』です。

天井の高いゆったりとした空間が広がります。

主任の前川さんが、熊楠ゆかりの地に連れて行ってくださいました。

まずこの祠です!

これは、明治政府の神社合祀令によって神社の木々が伐採されることに熊楠が反対するきっかけとなった祠だそう。
そして私たち一行は闘鶏神社へ。この神社も裏山の木々が伐採されていたそうで、熊楠は反対運動をしたそう。
・・・あ、ごめんなさい熊楠さーん、鶏のポーズをとっている場合ではなかったデス・・・

更には、よ―く見てくださいっ!この杉の木!

なんと!こちら側には枝が伸びていませんっ!
全ての枝が熊野那智大社の方角へ向かって伸びていることから古くから信仰の対象になってきた「野中の一方杉」です。
この杉の木も伐採対象となりました。熊楠の反対運動のおかげで、今もなお、生き続けています。

熊楠が守りたかったもの、それは、単に、「研究材料である木々」ではなく、
小さな粘菌から大きな巨木まで全て自然環境がもたらす恵み=「生きている自然そのもの」だったのではないでしょうか。



さて、ここで問題でーす。これはなんでしょう?

カレンダーサイズの用紙に記された小さな文字、実は熊楠の走り書きなんです。ていうか素人の私には解読不可能な文字。
どこが文章の始まりでどこが終わりなのかもさっぱりわかりません。熊楠の頭の中は、まさに宇宙ですねぇ。

このような熊楠の研究や人生にゆかりの物が展示されている『熊楠記念館』に行ってきました。

この顕微鏡からは熊楠の息づかいが聞こえてきそうです。
この記念館の松本館長にお話をうかがいました。

松本館長さんは熊楠の生き方を自身に照らし、
人が光を向けないところにも目を配る熊楠のような生き方をしたいとおっしゃっていました。感動ー。

記念館の屋上からは、熊楠が研究に没頭し、その自然を愛した神島(かしま)が見えました。

南方熊楠―。私は今回の旅で、
熊楠に今も感銘しその生き方を伝えることを使命としている3人の素敵な方に会えて嬉しかったです。
中瀬館長、前川主任、松本館長、またお会いしたいです。
そして、どうして私は、同じ誕生日の南方熊楠に導かれてここへ来たのか・・・その意味を考えてみました。
きっと、「日々の生活の中で、もっと足下にある幸せを見つめなさい」というメッセージだったのかもしれません。
熊楠に教えられました。

YAJIKITAのスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。
感謝の気持ちをかみしめます。
もちろん、海の幸もかみしめまーす。

いっただっきまーす!!!!うふふ。いやぁ〜勝浦のトロ、サイコー!!!

こうして今回の旅、無事ここ休暇村勝浦で、終わりです。どんちゃらほいと、夜はふけて行くのでした。
あっ!ビールと日本酒と焼酎の写真がないっっっ!

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