周辺地図はコチラ
 
旅人 : 牛嶋俊明

姫路〜仕掛け満載!
世界遺産 姫路城の全貌を明かす!

HOME>兵庫1>兵庫2
     
 

今回、私が訪れたのは兵庫県姫路市の姫路城。ご存知!世界遺産であり、国の特別史跡です。通称は白鷺城(はくろじょう)。みなさんは白鷺城(しらさぎじょう)と呼びますが、日本の城郭の異称は基本的に音読みであって、
地元でも白鷺城(はくろじょう)と呼んでいるそうです。

姫路城の天守は江戸時代のままの姿で現在まで残る姫路の象徴です。
国宝四城(姫路城・松本城・彦根城・犬山城)のひとつもあり、築城されてから一度も外敵と戦闘を行なわなかったので
『不戦の城』とも呼ばれています。

入城ゲートを入ると、いきなり驚いてしまいました。『あっ!暴れん坊!』。そうです。
テレビドラマ『暴れん坊将軍』でよく使われているのが姫路城なのです。思えば、江戸城のシーンが多く描かれますが、
吉宗のいる江戸城は姫路城の天守が使われているのでした。

入るといきなり左カーブ。路は迷路のように曲がりくねり、広くなったり狭くなったりしていて、
天守に真っ直ぐには進めないようになっています。門によってはひとりしか通れないような狭さだったり、
分かりにくい構造をしていて、迷路のようでした。当然これは防御のためのもので、敵を迷わせて分散させ、
袋小路で挟み撃ちにするための工夫がなされています。

長い坂道を登ると西の丸の庭園へ出ます。よく手入れの行き届いたこの庭園は映画『大奥』で使われた場所で、
テレビドラマ『水戸黄門』にもよく出てくるとか。そして白漆喰の壁に様々なカタチをした穴が・・・。
これは狭間(さま)という射撃用の穴で、長方形のものが矢狭間、他が鉄砲狭間です。
そのバラエティあふれるデザインは現代のアートにも通ずるものがありました。

西の丸の南西隅にある”ワの櫓”から百間廊下に入ります。西の丸の西側の石垣上に延々と続く廊下。
途中、石落としなどの城としての守りがあり、そんな設備を目の辺りにしながら、薄暗い廊下を進んで行くと、
西の丸には渡櫓とこれを結ぶ長局、そして、その北端に位置する化粧櫓が残っています。長局には侍女達の部屋があり、
広さは様々で、ひとつの部屋に数人の侍女が住んでいたそうです。

化粧櫓内で貝合わせをしている千姫の様子が人形で演出されていました。
姫路城にまつわる人物としてすぐに名が上がるのが千姫です。千姫は二代将軍・徳川秀忠の娘で、
7歳で豊臣秀頼に嫁ぎます。しかし、大阪夏の陣の後、桑名城主の本多忠政の子・忠刻と結婚。
その後、本多家が姫路城の城主となり、千姫も姫路城の姫となったのです。千姫は一男一女をもうけますが、長男の幸千代、忠刻を相次いで失い、自身も31歳という若さで亡くなりました。千姫が住んでいた場所はすでに無くなっていますが、
戦前の修理までは、化粧櫓にはその名の通り当時の化粧品の跡が残っていたとの事。これは驚きです。

化粧櫓を出て、はの門に向かう路にびっくり!時代劇好きの牛嶋ですが、ここはよくテレビや映画でよく見る場所でした。
黒澤明監督の『影武者』など、様々なシーンにはよく登場する場所で、近年ではNHK大河ドラマ『武蔵』で、
武蔵を演じた市川新之助(当時)さんが姫路城を抜け出す際にここを走ったのを覚えています。
そんな話をしていたら2人の忍者が・・・。刀を1本借りてパシャリ!

はの門からにの門”に続く途中に、魅惑的な天守閣を見上げる事が出来ます。その姿はとてもカッコ良く、
まさに城は芸術!と感じさせてくれます。路のあちこちから天守が見え、また、その姿、
カタチがそれぞれ違って見えるのも姫路城の魅力です。そして路を進むと目の前に石垣が・・・。行き止まり?と思いきや、
ちゃんと左に路がありました。これは敵の進路を断つために戦略的に作ったものだとか。
確かに誰も何も言わなかったら私も引き返しているかもしれません。

姫路城には、様々な門がありますが、にの門は天井が低く、槍などの武器を持って通過出来ないように
あえて低く作られているそうです。ほの門をくぐると、柴秀吉が築城した頃からの名残と言われる油壁がありました。
山土に豆砂利を加え、もち米のとぎ汁やおかゆで固めたもので、池田輝政以前に作られたと見られ、
約400年たった今でも立派に保存されているのは驚きでした。なんでもコンクリートほどの強度を持って、
鉄砲の弾もはじき返すとか。

油壁の横の石垣には姥が石と呼ばれる石臼が組み込まれていました。
伝説によると、まだ羽柴秀吉と呼ばれていた後の豊臣秀吉が、姫路城城主として姫路城を築く際に、
城内の石垣が足りず困っているときに、近くの老婆が自宅の石臼を石垣に使ってくれという申し出をしたそうです。
老婆でさえも協力しているのだから・・・とその後は周辺地域から石が続々集まったという美談が残されています。

さぁ、いよいよ天守です。入った場所は地下にあたり、北面からしか光が入らないので非常に暗かったです。
大広間の奥には使った形跡がないという厠(かわや)が・・・。その後、急な階段を登って1階へ。
1階には槍や火縄銃を架ける武具架がたくさん。2階、3階と上がりますが、階段はとても急で
”頭上注意”と書かれているにも関らず、何度も頭をぶつけてしまいました。はしゃぎすぎたのかもしれません。

最近の城はほとんどが鉄筋で、入るとエレベーターがあって屋上から降りて展示物を楽しみますが、
姫路城は木造建築なので上りながらゆっくり楽しむ事が出来ます。途中、天守の内部構造の模型がありましたが、
こんな風に造られているのか!とびっくり。そして3階には宮本武蔵が3年間幽閉されていたという部屋がありました。
小説『宮本武蔵』ですっかりお馴染みの話ですが、
武蔵(たけぞう)から武蔵(むさし)に精神的に変身した場所なので伝説とはいえ感激!

さぁ、いよいよ天守最上階です。眺めがとても素晴らしく、姫路市内を一望出来ます。
この日は休日ということもあって大変賑わっていました。姫路城の守護神である長壁神社もありました。
姫路城築城の際一旦城外へ移築されたものの、神のたたりがあると言われて再び城内へ戻されたそうです。

天守閣の南東にある帯曲輪櫓(おびくるわやぐら)は通称・腹切丸(はらきりまる)と呼ばれています。
城の防御として射撃などを行なう場所として築かれましたが、その場が検視役の座る石、切腹の場、
首洗いの井戸に見える事に加えて薄暗い雰囲気などから腹切丸の異名が付いたらしい。
しかし、実際に切腹が行なわれたという記録はないとの事。

最後は播州皿屋敷のヒロインで知られるお菊井戸です。これは、城を乗っ取ろうとした執権の陰謀が、
忠臣・衣笠元信放った愛人・お菊の手柄によって阻止されます。しかし、お菊はその後スパイである事に気づかれ、
お菊が預かる10枚の皿のうちの1枚を隠して、罪を負わせて殺し、井戸に投げ込んでしまいました。
それ以後、この井戸の底から『1枚、2枚・・・』と、皿を数える声が聞こえるようになったとの事。
なんとも恐ろしくて可哀想な伝説ですが、井戸の底には観光客が投げ入れたお金がたくさんありました。

太平洋戦争時、姫路は大空襲に遭いますが、姫路城だけは空襲を免れました。
ではなぜ姫路城は空襲を受けなかったのでしょうか?一説には世界的な『建築物だから・・・』と言われますが、
当時姫路は陸軍の部隊が置かれていたそうです。そうすると、アメリカ軍の爆撃対象となっていたのは明らかで、
世界的な建築物だからという理由は考えにくいそうです。

では、なぜ免れたのか?今回ご案内頂いた姫路城シルバー観光ガイドの吉田皓一さんによると、
『黒く染めた網で城の主要な部分を覆い隠したから・・・』との事。これには驚きました。空襲の翌朝は、
焦土の中に無事に建つ姫路城を見て城下の人々は涙したそうです。もう60年も前の事ですが、
姫路の人は心から姫路城を大切に思ってきたんですね。そんな姫路城は国宝であり、今や世界遺産です。
是非、訪れてみてください。

姫路城は来年度から修理に入るそうです。確かに取材時も、白漆喰や木材の劣化が進んでいるのを感じました。
大天守の白漆喰の塗り替え、瓦の葺き替え、耐震補強を重点にするそうで、修理が終わったあかつきには、
再び姫路城を訪れたいものです。最後に、今回ご案内頂いた姫路城シルバー観光ガイドの吉田皓一さん、
姫路城についての詳しい解説を本当にありがとうございました。

HOME>兵庫1>兵庫2