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旅人: 今泉 清保(HPはコチラから

東海道中膝栗毛〜名所旧跡から道の駅まで〜
(東海道の旅〜島田・四日市編)

〜弥次さん喜多さんの珍道中に思いを馳せつつ東海道をたどる旅〜

     
 
● これまでの、弥次さん喜多さんの珍道中に思いを馳せつつ東海道をたどる旅↓


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おだしずえの伊勢中継レポ

神宮は、外宮〜内宮とお参りするのが習わしです。内宮の手前にあるのが、おはらい町通り。

昔の人は、ココまできて『あとちょっとだ〜』っと思ったのでしょうか。。心ときめく程の古い町並みが残ってます。

おはらい町通りの途中に、まさに横っちょに入ると、賑わう界隈があります。

現在の人の流れはおかげ横丁からどっと増えてまるでお祭りの縁日みたい。

ちょうど、来る福招き猫祭りの真っ最中〜。招き猫のおみくじは人気!

いい香りに魅かれて細い路地に入るとケーキ屋さん。かわいい!と思ってしまった、期間限定の「招き猫プリン」に「猫シュー」。
『ケーキラボ』のシュークリームは、外はパリパリ中はクリームたっぷり〜。


レポーターしーちゃんのおいしートップ3!!!

第3位  手こね寿し

第2位  伊勢うどん

第1位  本店で食べる赤福!三個で一盆280円。安くはないけど、口の中でおもちがとろ〜りとろける感じ。
       ついてくるお茶もおいしい!川のせせらぎを聞きながらほっとできるのもいい。


いよいよ神宮!

大鳥居 ここに来るだけで、すでに圧倒される。高さ約8m。 100mある宇治橋を渡ると、もうひとつ大鳥居がある。
この鳥居にパワーを感じるのは、単に大きさだけではなく、実は、旧正殿の棟持柱を使ってあるからだろう。
内側の鳥居は内宮の、外側は外宮のもの。ん〜こだわりに感動。

ちょうど神苑で秋の神楽祭が行われていた。春の神楽祭りもある。

立派だ。お参りする人も多いので、たくさん置いてある。

休憩所でこの風格。。

砂利道を20分ほど歩くのだが、その間に清められていくような気がする。

まるで森の中。空気も綺麗なはずだ。

この階段を上れば内宮の正院。しかし!撮影はここまで。おおきな石の階段30段。中くらいの階段9段。小さい階段5段。
で、お賽銭の場所です。でも、行けるのもここまで!その先は入れません。
垣根から覗いてみると、、、
かやぶき屋根、白木の高床建築、直線的でシンプルな造りの御社殿が見えます。
神話を感じることのできる空間です。 

『日本は美しい』


今泉 清保のヤジキタ旅日記


東海道の難所といってまず名前が挙がるのは箱根だろう。私も実際に旧街道を歩いたが、とても急な坂道が延々と続き、
よくもまぁこんなところを籠をかついだままで登ったものだと驚いたものだ。
しかし東海道にはそれ以上の難所がある。「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」というフレーズは
誰でも聞いたことがあるのではないだろうか。そう、川も難所だったのだ。

というわけで、大井川の流れる静岡県島田市の島田市博物館におじゃまして、館長の藤本章夫さん、
島田市観光協会の松井増吉さん、平口克美さんにお話を伺った。

東海道にはいくつも川があるが、徳川家康は大井川、安部川など6つの川には、軍事上の理由から橋をかけず、
徒歩で通行するよう定めた。特に大井川は、川幅が広いうえによく増水して渡れなくなることがあった。
川の通行を禁止することを「川留め」といい、川の深さが四尺五寸(約136センチ)よりも上になると、
お殿様でも渡ることはできなかった。
渡れないなら泊まるしかない、ということで、島田宿は他の宿場に比べて宿が多かったそうだ。
最大で28日間も川留めが続いたそうだから、そんな時には相当賑わったことだろう。

じゃあ水が少なければ誰でも渡れたかというと、流れが急でそれも難しかった。そこで、人足を雇って川を渡る制度ができた。
博物館の隣の道は旧東海道で、川を渡るための川札を売っていた「川会所」の建物などが今も残る「川越遺跡」となっている。

この川札のシステムはとても面白い。まず川札の値段は、川の深さによって5段階に決められていた。 足の付け根までなら
「股通(またどおし)」で四十八文(約1440円)、腰の高さなら「帯上通(おびうえどおし)」で六十八文(約2040円)、
一番深い「脇通(わきどおし)」が九十四文(約2820円)。これより深ければ「川留め」となり渡れない、というわけだ。

さらに、川札は人数分買わなければならない。通常は一人に肩車してもらい、補助する人がもう一人いたので2枚必要だった。肩車ではイヤだという場合は、梯子のような形をした連台というものに乗る。その場合は、担ぎ手4人で4枚、
さらに連台用に2枚の計6枚。殿様が乗る籠を載せるような連台になると合計52枚必要だったという。

この川越は、明治維新ののち明治3年に廃止され、大井川には橋がかかるようになった。
今では上流から下流までたくさんの橋がかけられているが、その中にひとつだけ、
ギネスブックに載っている橋があるというので、ボランティアガイドの増田美智子さんに案内していただいた。

蓬莱橋のたもとに立つと、対岸までまっすぐ木造の橋が続いている。向こう岸は遠すぎて見えない。
この橋は長さが897.4mあり「世界一長い木造歩道橋」としてギネスブックにも認定されているのだ。
幅は2.4mで人と自転車(降りて歩く)しか渡れない。

早速、渡り始めてみたが、いやー長い長い。普通に歩いて向こう岸まで20分ほどかかるとか。
上流にダムができて大井川の水量はかなり少なくなったとはいえ、この広大な景色はなかなか見られない。
そして川を吹き抜ける風のなんと気持ちのいいことか。

橋の真ん中にたどりついて笑ってしまった。橋を管理する地元の人が赤いテープで線を引いているのだが、
その下に「ど真ん中」と書いてある。増田さんによると「ただ真ん中って書いたんじゃ面白くないから」ということなのだが、
橋の真ん中に面白さを求めてどうするんだか(笑)。でもそのセンスは好きだなぁ。

島田をあとにして三重県四日市市へ。四日市についてはほとんど何も知らなかったのだが、実は四日市は、
京都や大阪へ向かう東海道と、伊勢神社に向かう伊勢街道が分岐する交通の要所だったのだそうだ。
四日市観光ボランティアガイドの村田三郎さんに案内していただいた。

幹線道路の国道1号線からちょっと横に入ると、車2台がすれ違うのがやっとという道がある。これが旧東海道だ。
歩いていると、すぐに古い木造の家が多いことに気づく。昔からある家もそうだが、新しく建てた家も、
壁を板壁にしているところが多い。なんとなく懐かしい町並みなのだ。

道沿いにある「なが餅 笹井屋」さんで、名物の「なが餅」をいただいた。餡を餅でくるんであるのだが、形が変わっている。
細長く薄く伸ばしてあって、両面に薄く焼き色がついている。やさしい甘さの餡で形も食べやすくて気に入った。

そして「日永の追分」へ。追分とは道がふたまたに分かれるところのこと。ここは江戸方面を背にして、右の道が東海道、
左の道が伊勢街道と分かれるところだ。ちょうど分かれ目のところに鳥居が立っている。
これはかつて伊勢街道の入り口に立っていた鳥居で、京都や大阪に行く人も、
この鳥居の前で伊勢に向かってお参りをしたのだそうだ。

お話を聞いている間じゅう、ひっきりなしにポリタンクやペットボトルを持った人がやってくる。
なんだろうと思ったら、鳥居の横には水汲み場があった。近くの湧き水を引いているそうで、隠れた名水なのだ。
手ですくって飲んでみたら、やわらかい感じでおいしかった。

四日市にも東海道の難所があった。「杖衝坂」だ。どうということのない住宅街のはずれからいきなり始まる急な坂なのだが、
日本武尊がこの坂を登っていて、余りに疲れたので腰の剣を杖にしたのが坂の名前の由来と言われている。
ちなみに「古事記」には、日本武尊がこの地についたとき、
足が三重に折れるほど疲れたのでこの地を「三重」と名づけたという話があるそうだ。由来が本当かウソかはともかく、
この坂は東海道ができるずっと前からある坂ということになる。
このどうということのない細い急な坂道を、ずっと昔からたくさんの人が昇り降りしてきたわけだ。

そうなのだ。とにかく東海道を歩いていると、どの街でも必ず、何かしら歴史のあるものに出会う。
昔からの町並み、昔からの食べ物、昔からの景色。東海道のどこでも、そういう昔からのものを守っている人が必ずいる。
これが東海道の底力だと思う。

江戸時代、旅をするなどというのは庶民にとっては一生に一度のことだっただろう。しかもすべて徒歩だったのだ。
弥次さん喜多さんじゃなくても、それぞれにいろんなドラマがあったんじゃないだろうか。
今は幸い、とても手軽に東海道を旅することができる。観光地じゃない普通の道でも、
何かしら歴史を感じられるのが面白いところだった。ぜひ、皆さんも自分の足で、どこかの旧街道を歩いてみて欲しい。
私も歩いていないところがたくさんあるから、いつかこの旅の続きがしてみたいと思う。


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