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旅人 JFNアナウンサー 井門宗之

      あれから1年〜新潟、再訪 Vol,2〜

 
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10月23日午前5時

新潟県中越地方を襲った大地震からこの日で1年が経った。

死者51人、負傷者はおよそ4800人に上り、住宅もおよそ1万7千棟が全半壊した。
被災地が中山間部で豪雪地帯のため復旧作業は遅れがちになり、いまだ9千人以上の方が
仮設住宅で避難生活を続けている(2005年11月現在)。僕が1年前に中越地方を取材した時はまだ仮設住宅も建設中で、被災者の方々は疲れきった表情で避難所生活を余儀なくされていた。


あれから1年。
次第に中越地震について報道される情報も少なくなり、復興がどの程度進んだのか断片的にしか把握出来なくなってしまっている方が殆どではないだろうか。

前日から長岡の街に入っている我々YAJIKITA一行は、
中越地震で甚大な被害を受けた旧山古志村へ向かい、今の山古志の姿を取材するべく、小雨の降る中、まだ日の明けない長岡の街を旧山古志村へと向かった。

「山古志へ向かう」と言っても、すんなり一般の車が入れるわけではない。

長岡市山古志支所へと申請を出し、許可証を受けなければいかに取材といえども入る事は出来ないのである。

車を走らせること2時間弱。道路看板に「山古志」の文字が出始めると、いよいよという緊張感が車内に漂ってくる。

徐々に細くなる山道、道路の左右には「錦鯉」の看板。

山古志は全国的にも錦鯉の養殖地として有名なのは周知の事実だが、養殖池には勿論錦鯉の姿は見ることが出来ない。
そして道を進むにつれ、道路もひび割れている場所が多くなった。ガタガタの道路を進みながら、車は山古志に入る検問ゲート前に到着した。

1年経った今でも、ここには検問ゲートが存在し、道路も完全には復旧していないのである。
ますます高まる緊張の中、午前6:55、警備の方に許可証を見せ、我々の車はゆっくりと山古志地区へと入っていった。

早朝という事も手伝ってか、人の姿は全く見受けられない。
というよりも人の気配がない。

この地区に入るやいなや、スタッフも僕も山古志に広がる圧倒的な地震の爪跡に声も出なかった。

山古志はそれこそ、山の斜面に家が建っている場合が多い。
しかしその斜面は赤土をむき出しにして、所々えぐられたような景色が広がっている。
あの地震の激しさによって、建物の倒壊のみならず山の斜面ごと削れて崩れ落ちてしまったのだ。

近くから見ると一見なんでもないような学校の校舎も、少し離れて建物全体を見ると、なんと校舎自体がぐにゃりと歪んでいる。
地盤の歪みが鉄筋を曲げてしまったのだ。

道路もトンネルも完全な復旧がまだなっていない為、通行できる箇所も限られている。
現在山古志にある14の集落の内、未だ6つの集落で避難指示が出されているという(2005.11月現在)。

大規模な土砂崩れダムが出来、一部が水没した木篭集落は26世帯全ての住宅が全壊した。
いま目の前に広がるこの山古志の景色をしっかりと目に焼き付けながら、午前7:30RADIO JAPANでの生中継。

旧山古志村を後にした我々が次に向かったのは、その山古志の中心産業だった「錦鯉」の品評会である。

この錦鯉の品評会も去年は当然地震の影響で行われなかった。

しかし地震から1年が経ち、会場には沢山の鮮やかな鯉が優雅に泳いでいる。デカい、そして当然高そうだ…。

代表の長谷川さんにお話を伺ったところ、なにやら日本一の鯉は¥60000000もするのだそうだ
(ハイ、皆さん0を数えてみましょうね)。

家買えるね。うん。
ここで優雅に泳いでいる鯉たちも、結構なお値段なんですってよ(下世話な話でごめんなさい)。

値段を聞くと、一層美しく見えてくるから井門の器の小ささも窺えるってなもんだ。

しかし、1年前の絶望的な状況から、品評会が出来るまでになった現状を考えると生産者の喜びはひとしおだろう。

山古志の生産者の方にもお話を伺ったのだが、


「他の生産者は普段ならライバルだけど、こうしてみなが
顔を合わせられて品評会が出来るようになって、本当に
嬉しい」


と笑顔で応えてくださったのが印象的だった。
会場には今年生まれたばかりの、子供の錦鯉を沢山見ることが出来た。この鯉達はあの震災を知らない。

しかしいずれこの鯉達も親鯉となる日が来る。
その頃には震災が付けた傷跡はどの程度癒えているのだろうか…?


錦鯉の品評会を後にした我々が続いて向かったのは長岡市のお隣「栃尾市」である。

栃尾市にある杜々の森名水公園では1年ぶりの復活となる「あぶらげ祭り」が開催中なのである。

この「あぶらげ祭り」。1年前、ちょうど開催日の前日に中越地震が起こったという。以前この地を小川もこさんが訪れた際、
関係者の方々にお話を伺ったそうだが、皆さんの落胆は当然ながら非常に大きかったそうだ。
あれから1年、栃尾に住む人だけでなく様々な人が楽しみにしていた栃尾のあぶらげ祭り。

このあぶらげ祭り、何が凄いかってメインイベントの「巨大あぶらげ」揚げなのさ!
この巨大あぶらげは何と畳1畳より大きいってんだから驚きだ。それを何人かで持ち上げ揚げていくという豪快なものなのだが、揚げる油の鍋も風呂並にデカい…。

だがただデカいあぶらげを揚げるから話題になるのかというと、理由は勿論それだけじゃないのである。

この「栃尾のあぶらげ」、もう本当にビックリする程美味しいのです。大きさも普通のものとはちと違う。

長さ約20センチ、幅約7センチ、厚さ約3センチという俵型のもの。

しかも低温と高温の油での2度揚げだから、中身までふっくら美味しいのですよ。
思い出しただけでも…。あぁ、じゅるるる…。

さてさて会場となる公園の入り口に我々が到着すると、少し離れたイベント会場からは、何やら賑やかな声が聞こえてくる。
お祭りに遊びに来たお客さんの為に、ゲーム大会やら色々行われているようだ。

そして会場に着くとすぐに目に飛び込んでくる「揚げてるそばから飛ぶように売れていく」美味しそうな油揚げ♪&それを頬張る幸せそうなお客さん。
ちょっとここであぶらげレポートしましょうか?

揚げたての油揚げにサッと醤油をたらすと、ジュっという音と共に香ばしい醤油の焦げた匂いが立ち上がり、口に入れた瞬間に広がるのは、その香ばしさと油のほのかな甘さ。

サク→じゅわ〜っとした食感は、揚げたてをいただいている幸せを噛み締めさせてくれる…。

もう一つ、もう一つ、と止まらなくなる美味しさなのだ。

この美味しさの秘密の一つは、ここの水が日本の名水百選に選ばれる程の上質なものだからというのもあるのだろう。

やはり水が旨いというのは重要な事なのだ。
ここでは、ご自身も屋台を出して参加している「五十嵐豆腐店」の五十嵐清さんにお話を伺った。

去年開催出来なかった悔しさ、そしてそれがあるからがこその、今年開催にこぎつけた喜び。
そして会場に来てくださっている、沢山のお客さんへの感謝の言葉。

五十嵐さんの口から次々と溢れ出すことば達は1年分のことば達なのだ。

会場に来ているお客さんにもお話を伺ってみると、中には、埼玉や東京からも足を運んできている人もいて、皆がこの
「栃尾のあぶらげ祭り」の1年ぶりの開催を喜んでいる
ようだった。

お土産のあぶらげを購入しつつ、賑やかな「栃尾のあぶらげ祭り」から我々が向かった先は、
今回のYAJIKITA最後の取材地長岡市営スキー場である。

長岡市営スキー場は中越地震の影響で昨シーズンは全く営業が出来なかった、スキー場で一番被害の大きかった
スキー場である。
ここで行われるイベントが、「牛の角突き」。

南部牛という、大きなものになると1トンを超える牛同士を直径およそ20〜30メートルほどの円形の闘牛場に引き出し、角を頭突きのごとく突き合わせるという闘牛だ。

牛の角突きは旧山古志村で盛んに行われ、昭和53年には重要無形民俗文化財として国の指定を受けたものである。

闘牛場付近につながれた、この日参加する予定の牛たち。
さすがの大きさである。

大人が何人跨れるんだという大きさ。
鳴き声だって、もう僕らがイメージする牛とは違う。
皆さん、ここでちょっと牛の鳴き声を思い出してしてほしい。
草原で牧草を食む「モォ〜。モォ〜。」って声が耳の中に流れてきましたか?

普通の牛はそれで全く問題ないんですが、牛の角突きに参加する牛たちの鳴き声は違う。

もうホラ、彼らファイターだから。

牛「ブゴゴォォォオッォウwrpjsヂャグィわhgyf。」(←もう
意味不明)
こ・怖ぇえよ…。

そんな角突きだから会場も盛り上りました。闘牛場には牛と一緒に男達も1頭につき3〜4人出てきて、牛の周りをぐるりと
囲む。牛が中々角を突き合せないようなら、

「サァいけ!サァこい!」

という勇壮な掛け声と共に牛をあおるのだ。

それに合わせるかのように、闘い始める1トンクラスの巨大牛。
角と角がぶつかると、「ゴンっ!!」という鈍い音がするのだが、それが生々しい。
しかしこの牛の角突きに勝敗は無いという。

お客さんはその牛の迫力ある角突きに酔いしれ、頃合を見計らって引き手の男達が牛の足にロープを引っ掛け勝負を
寸での所で止めるのだ。だから試合が原因で死んでしまう牛もいないのだそうである。

まぁ、元々は草食動物なんだから、そんなにガチンコな闘争本能も無いんでしょうけど…。いや、でも鳴き声が、


牛「ブゴゴォォォオッォウwrpjsヂャグィわhgyf。」(←しつこい)


だからなぁ。
山古志地区はあの中越地震で錦鯉だけではなく、この牛の角突きに出る牛の多くも失った。

しかし、潰れた牛舎の下、1ヶ月も生き続け助けを待っていた牛たちもいたという。
角突きの関係者の皆さんは

「牛たちは、僕らが助けに来るのを信じて、頑張って生きて待っていてくれたんです!」

と口々に仰っていた。

残念ながら死んでしまった牛も数多くいたが、頑張った牛もいる。
そしてその牛が今年は元気な姿で、立派に角突きに参加しているのだ。

牛と人間との強い信頼関係。
迫力も勿論だが、今年1年ぶりに開催された牛の角突きからは、そんな事を強く感じた。
会場の市営スキー場も今シーズンは何とか営業出来るように頑張りたいとの事だった。

長谷川さんという職員の方は、このスキー場が地元の人の為のスキー場という色が強いために、地元の人達からの応援が
一番心に響いたという。毎年ここで滑るのを楽しみにしている子供達を始め、いろんな人に必要とされている事に気付かされ

「今年は何とか頑張ろう!」

と準備しているという。
2004年10月23日にこの地を突然襲った「新潟県中越地震」。
1年経った中越に今回取材で訪れ、様々な場所を見る事が出来た。

確かに、復興とはまだ遠い場所もあった。
しかし1年という月日は確かに少しずつ、「何か」を元の姿に取り戻しつつある。
それは「形」なのかもしれないし「心」なのかもしれない。
当然、それは人によって違うだろう。時間も掛かる。

完全に復興を遂げるまでに、あの震災を風化させないために、いま僕らが出来る事はなんなのか。

中越地震から1年が経ったからこそ、考えなくてはならない事なのかもしれない。

帰り際、長岡駅前の大通りを通ると「中越大地震・復興の集い」というイベントが行われていた。
バンド演奏の音色や、郷土料理の美味しそうな香りが漂う中、歩行者天国となった通りには沢山の人々で溢れている。
笑顔で通りを歩く人々の、その一歩一歩が、復興への着実な歩みに繋がっていることを心から祈りたい。


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