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旅人 JFNアナウンサー 井門宗之

江戸の風水を探るたび!!

     
 
1229万人が暮らす、日本の首都東京。毎日どこかで新しい建物が建設され、いまだにその街づくりは終る事を知らない。

しかしこの街は、幕府が江戸に開かれた1603年以前はただの荒地だったそうだ。
ここに新たに大都市の基礎を作り上げたのは、勿論、徳川家康である。

大都市東京の基盤は一体どのようにして作られていったのか?
探っていくと、そこには壮大な都市計画があったのだ!家康が夢見た徳川千年王国とは一体!?
今回のYAJIKITA ON THE ROADは風水都市・
大江戸の旅!!

なにやらミステリアスな匂いがぷんぷんするが、思いっきり江戸の謎を探ってやろうぢゃないの?

というわけで、YAJIKITA一行は江戸街づくりの基本、
「治水・利水」を探るべく、隅田川へ。
僕らが降り立ったのは浅草・吾妻橋。ここで安藤さんという方に徳川家康が作った、川に関する大工事についてお話を伺った。

家康の時代、利根川と荒川がしょっちゅう氾濫を起こすのだから人々はたまったもんぢゃあ無い。
「これぢゃいけねぇ!」ってんで、その水の流れを逃がすために江戸の町は各地にお堀や隅田川が作られたというわけだ。
街づくりの基盤として、まず水に目をつけた家康の慧眼ぶりには恐れ入谷の鬼子母神である。
場所は変わって江戸東京博物館

ここは相撲で有名な両国国技館のすぐ側にある。ここで職員の市川さんに江戸時代のゴミ問題についてお話を伺った。
今から400年も昔に、リサイクル・リユースという考え方で、様々なゴミ問題を処理・解決していった江戸幕府の話に
またもや感心。

ってかそんな昔から、いわゆる「エコ」についてしっかりした政策があったことが凄いぢゃない!?
多分暮らしている人々にはエコという意識は無かったんだろうけど、それでも「勿体無い」という
日本語はきっとその頃からあったんだろうし。

いくら今の東京が大都市とは言え、江戸時代に出来たことが、
今の世の中で出来ないはずもないのである。頑張れ都政!とココロの中で叫んでみたり。
江戸時代、何が凄いって水道があったこと。
玉川上水・神田上水など江戸の上水道が整備され、水道水を飲んでいたのですよ。

よく時代劇で井戸の水を汲み上げてますが、
あれは地下に通されている木樋(もくひ)というものを通して
(今で言うところの水道管ですか)、その水を生活用水として使っていたのだ。

この玉川上水が引かれたのは1654年。江戸からおよそ50キロメートルも離れた羽村から、玉川の水が市中に引かれたのだという。

この辺りのお話を伺いに我々が向かったのが
新宿区歴史博物館」。
ここで学芸員・後藤さんにお話を伺った。

新宿区三栄町にあるこの博物館、ここにこんな面白い博物館があったのか!?と目からウロコ。

中の展示物も充実。
江戸時代の商家をそのまま再現したものや、江戸時代の新宿の街並みを現したジオラマなどを再現。
こりゃすげいえ!!楽しい!!

この辺はちょっと歩くと「四ツ谷しんみち通り」という美味しい定食屋さんや飲み屋さんが立ち並ぶスポットがあるので、東京観光に来たときはぜひ合わせて楽しんでくださいませ
☆上智大学の近くですね。
博物館で家康時代の行政の歴史を紐解いていくと、改めてその政治手腕の凄さがわかる。
そりゃあおよそ250年も続くですわよ。

しかし行政レベルでの凄さもさることながら、実は江戸の町は風水で出来た都市でもあるのだ。
続いては江戸の総鎮守・神田明神へ移動!(今回のYAJIKITAは細かな移動が多い)
神田明神は井門の母校のすぐ近く。JR御茶ノ水駅から徒歩5分ほどのところ。

いまではビルの谷間にあるような雰囲気だが、道路に面した鳥居には大きな存在感がある。
その大きな鳥居の足元に、なにやら気になるお店が。
その名も「天野屋」さん。

売店と喫茶に分かれたこちらのお店は、自家製の納豆や味噌、糀を使った甘酒などが有名。

店内はお客さんで大繁盛!威勢の良い掛け声と共に、納豆やらなにやらが飛ぶように売れていく。

ここは地下6メートルに天然の土室があり、そこから作り出される様々なものが何てったって旨いのだ。
働くお母さん達のお話を伺いながら、隣接する喫茶店へ!


ここに来たからには、名物の甘酒をやらねばならぬ。
(↑池波調)

天然の糀を使った甘酒のさっぱりと後味の良い事。
さらっとした中にもしっかりとした甘さがあり、
それが決してしつこくなく、あっと言う間に…。

何と言っても小皿に添えられた糀味噌との絶妙な調和は、 簡単な足し算なのに、こんなにも大きな味の広がりをしてくれるのかと大感動なのだ。

天野屋さんの面白いのは、この絶品甘酒を<冷やして>いただける事。その名も<冷やし甘酒>。ネーミングには特にひねりはないし、内容も甘酒を冷やしただけのもの。

グラスに注がれた<冷やし甘酒>の綺麗な白色を目で楽しみながら、すっと一口。
「旨い!」

糀の粒が喉を通るときの、その喉越し。<冷やし>特有のさっぱり感は何とも言えない。

江戸時代、こうして神田明神参詣者が参道の甘酒屋で喉を潤していたのかと考えると、感慨深いものもある。むかしの味に触れた瞬間、江戸の歴史を垣間見ているような、そんな錯覚にもとらわれる。天野屋さんで納豆と糀味噌をお土産にいただいたYAJIKITA一行は、参道の上にある神田明神へと向かった。
神田明神は江戸の鬼門(北東)を守る、江戸総鎮守の神社。その由緒は非常に古く、西暦730年に建てられたものだそうだ。

神田明神の禰宜・清水さんにお話を伺いながら、徳川幕府にとって、神田明神がどのような役割を担っていたのかを知る。
神田明神の御祭神は、

一の宮:大己貴命
二の宮:少彦名命 
三の宮:平将門命 

この三祭神が祀られている。

将門公は関東を守ろうと朝廷に対して立ち上がったというのは、皆さんも歴史で学んだことだろう。
その将門公をあえてお祀りし、鬼門守護として江戸総鎮守とした徳川家の想いは一体どのようなものだったのだろう。
今となっては勿論、知る由もない。

茅の輪くぐりをしてサッパリした井門は、再び移動(だから移動多いって…)。

今回の最後の取材場所は江戸の裏鬼門を守護する、日枝神社。

ここは武士の信仰が非常に厚い神社で、皇城之鎮として知られている。
日枝神社のお使いはサル。狛犬ならぬ狛猿が迎えてくれるのだ。不幸がサル、魔がサル、という事で
広くアジア全般でも霊獣として信仰の対象となっているそうだ。そう思うと、ちょっと狛猿の顔が有難く見えてくるから不思議だ。

いまからおよそ400年前に始まった徳川の世、江戸時代。

250年もの長きに渡り続いたその繁栄の始まりには、人間の生活には必要不可欠な水、そして信仰、風水というものが
驚くほど綿密に完成されていた。

その一端を探っていく事により、今まで見えなかった東京の姿、江戸の姿を見られた気がする。

ちょっと違う視点から東京観光を楽しんでみたい方は、YAJIKITAと同じルートで東京を回ってみませんか?
移動多いけど…(笑)