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旅人 JFNアナウンサー 井門宗之

江戸の風水を探るたび!!〜其の弐〜

     
 

前回に引き続き、移動の多い【風水都市・大江戸の旅】をお送りしているYAJIKITAちゃん。

今回はその風水の中枢、日光東照宮が目的地の旅になるわけである。
そう考えて今年が始まってから行った神社・仏閣を思い出してみると、おそらく5年分…。
いくら取材と言えども、こんだけお参りしていたら「神様が喧嘩」するのでは??といささか不安な井門。
しかもプライベートでは「初詣」は勿論「七福神詣で」までしてるときたもんだ。

どんだけ信心深いんだよ!とお思いでしょうが、今年は何かと重なっているだけで、こんな年は珍しいんですよ。
いや、マジで。

でも初詣でひいたおみくじの裏に【ただひたすらにお参りをしなさいね】みたいな事が書かれていたので、
これもこれでアリかな、と。
さて、前置きが長くなりましたが、今回は東照宮を目指す日光街道を進む旅!!

晴れ渡る東京の空の下、まずYAJKITA一行が集まったのは日光街道の基点、日本橋。
いまの日本橋はおしゃれセレブやビジネスマンが集い、東京のウォール街と呼ばれるほどの繁華街。勿論ここには今でも【橋】がかかっている。1603年に家康によって架け替えられ、以降20回以上も架け替えを行った伝統ある橋。

橋のたもとで「のだめカンタービレ」を読みながら、作家の村上さんとディレクターのM氏を待つ井門。
日本橋の入り口には橋の歴史が記された碑があるのだが、ここを通る人がかなりの割合でこれを覗いていく。
そういう意味でも、この橋は一つの観光名所になっているのだと実感。
「のだめ〜」を読み終えないうちに2人が来たので今回の旅をスタートさせた。

江戸時代の五街道、すべての道はここ日本橋から始まる!にその中でも日光東照宮への参詣目的で通された道が
<日光街道>にゃのだ。

この橋の役目などを村上さんと話ながら、我々は小一時間かけて浅草橋へと向かった。
このルートは江戸時代、商業の町としてむちゃくちゃ賑わった場所。その名残は日本橋を離れていくほど薄らいでいくが、それでも【古き良き東京の良さ】なんかも残している。

ビルや会社の建物が多い中で、海も近いからだろうか、風に乗って潮の香りがする。気のせいかもしれないけど(って言うようなフレーズ、吉本ばななの小説にありましたね『TUGUMI』だったかな)。

井「いまは住んでる人も少ないんだろうなぁ。」

などと独り言ちながら歩いていると、右手に明らかに学校施設が見えてくるではないか。
おお、中央区のど真ん中にどんな学校が?と近づいてみると、

中央区立 日本橋中学校

ドーンと、これでもか、な場所を主張した学校名。
なんだか響きが羨ましい。<<日本橋中学校>>。

A「お前どこ中?」
B「え、俺??あぁ、バシ中。」

みたいな。
学校の中からは、元気な子供達の声も聞こえてくる。子供の姿はきっといつの時代も変わらないんだろうと思いながら、日本の少子化問題について考えながら(若干嘘)、ずんずんと歩いていくと見えてきたのは浅草橋。
江戸の昔には見附という、関所のようなものがあって江戸の町を守る役目を負っていたのだそうだ。
浅草橋にはそんな謂れがあったなんて、東京に暮らしていても分からないもの。

ここ浅草橋は雛人形で有名な「人形の久月 総本店」があったり、何故か造花問屋さんが多かったり、
どことなく雑多な雰囲気の中に秩序が生まれるという不思議な街。
作家の村上さんが思わず呟いた。


村上「なんかこの街ってさ、香港みたいだね(笑)」


おぉ、ニーハオ。(*断っておきますが、褒め言葉ですよ、念のため)

でも確かにそんな賑やかさをたたえた街である。すこし路地を入れば美味しそうな飲み屋さん、定食屋さんが軒を連ねている。
しかし僕らはそれをスルーして、仕事をせねばなりませぬ。

ここで目指したのは平将門公の首が、この神社を飛び越えていったとの逸話が残る鳥越神社。
浅草橋の駅から徒歩だと10分程の場所にあるこの神社は、まさに地元の人たちから愛される神社で、僕らが取材をしているときも沢山の地元民の皆さんがお参りにきてた。こういう風景ってなんだか素敵だ。

ここで風水にやたらと詳しい作家の村上さんに、ここの御由緒などを伺いながらひとまず取材終了。
次は村上さんが単独で上野寛永寺へと向かい、執事の浦井正明さんに話を聞いたのだが、この取材は村上さんが
行っているので、その辺りはOAでお楽しみくださいませ。



さてさて、この旅のメインイベント<<日光東照宮>>!

日を改めて我々YAJIKITA一行は彼の地に赴くため朝早くから移動を開始した。

AM7:50東武鉄道浅草駅。
連日寒波が襲うこの冬にあって、この日は非常に暖かな気候。いよいよ風水都市・大江戸を旅するエンディングへと向かうのである。気候の温暖さも手伝ってか、家を出る前からテンションの上がる井門、半年ぶりに…


鼻血を出す。鼻血ブーである。ブー。
そもそも東照宮に行くのも20年ぶり位、東武鉄道乗車にいたっては初めてであるのだ。

朝日にキラキラ照らされた浅草駅は何故だかいつもより大きく見える。
作家の村上さん、ディレクターのM氏、カメラマンK君と井門の合計4名のYAJIKITAメンバーは、思い思いの朝食を携えて電車に乗った。

井門がゲッツしたのは駅弁『深川めし』(¥800)。
中身はアサリの炊き込みご飯、焼き鮭、エビフライ、焼売、煮物、大根の浅漬け。

炊き込みご飯は醤油加減がまさに東京の味付け。柔らかく焼き上げた鮭は、皮もパリパリで良い風味。
全体のバランスが非常に良く、最後に一口残しておいたアサリご飯を、大根の浅漬けと一緒に口の中へ。
口福(こうふく)とはこのこと也。オススメ駅弁『深川めし』。皆さんもぜひ!
浅草から日光までの所要時間はおよそ2時間。

車中、三浦展の【下流社会 新たな階層社会の出現】を読みながら、一体自分は「何流」なのだと自問自答してみる。
「我流」「オレ流」だと「下流的」になるのだそうだ(本によると)。

そんな不毛な事を考えながら、電車に揺られて東武日光駅に到着。駅を降りると右手に男体山が見える。雪のかぶった男体山、駅前ロータリーにうっすら残る雪。東京から2時間という時間を、この雪を見ながら実感。

しかしながら我々はゆったりしている場合ではない。
到着の余韻もそこそこに、いざ!東照宮なのであった。
『日光東照宮』

元和3年1617年、徳川初代将軍家康が亡くなった翌年に造営が始まった東照宮。
3代将軍家光の手によるここは、わずか17ヶ月の間に造られたものながら、東照宮・輪王寺・二荒山神社は1999年に
世界遺産に登録されている。言わずと知れた徳川家康がお祀りされているのがここ日光東照宮。
ちなみに家光はお隣、輪王寺に祀られている。

TAXIに揺られる事およそ10分。
ついに我々は日光東照宮に足を踏み入れたのであった!!

今回、日光東照宮でお話を伺うのは禰宜の高藤晴俊さん。
表門から三猿で有名な神厩舎、陽明門、眠猫、家康の眠る宝塔までを詳しく解説しながら教えていただいた。

高藤さん曰く、一つ一つの彫刻を詳しく説明していると一つにつき30分位は平気で超えるのだそうだ。
そして、その彫刻の数であるが、ここ日光東照宮にはおよそ 5000を超える彫刻があるという。

一つ一つにそれだけの物語が存在する。
それが徳川幕府のプロパガンダにも若干繋がっているというのだから、なんという壮大さだろうか。

それを知りながら見て回ると、必ず違う東照宮が見えてくるはず。お出かけになる際は事前予習も忘れずに!
風水都市・大江戸。

東照宮の参道は、真っ直ぐに江戸城に繋がっている。

家康が眠る宝塔は真後ろに北極星を仰ぐ事ができ、天帝の座に繋がっている。

家康を中心に全ての星が巡る仕掛けになっているわけだ。

徳川家に脈々と受け継がれる、風水の思想。

家康への敬慕の念が強かった3代将軍家光公は、「(中略)死後も魂は日光山中に鎮まり、東照公のお側近く侍り、仕えまつらん。(中略)慈眼堂の傍らに葬るべし。」と遺言したため、家光公は彼の地に祀られました。

日光輪王寺大猷院。

この場所は正面が北東の鬼門を向いています。
そこにどんな意味が込められているのでしょう。

静謐な空気が凛と流れる日光の地に、無言で佇む輪王寺。
勿論答えは返ってきません。
しかしながら、我々の目には家光公が死してなお、家康公の鬼門を守っているような気がしてならないのです。

そしてまた家康公はこの日光の地より、北極星を戴いて、徳川の世を神となり守り続けたのです。

風水都市・大江戸。

徳川家康が見た壮大な夢。
それははたして叶えられたのか。

それは徳川幕府およそ260年という長い年月が、
その答えの一端を、示しているのかもしれません。