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旅人 : JFNアナウンサー 井門宗之

西郷さんの足跡を訪ねる

     
 

『江戸時代』という一つの時代の終わりを俄かに感じさせる1827年12月7日。鹿児島城下の
下加治屋町山之口馬場で、後に維新の三傑とも言われた偉人が産声をあげた。西南戦争で亡くなるまでの50年間、
薩摩を愛し、この国の行方を憂い続けた男。

下級武士の出ではあったものの、その才覚が時の藩主:島津斉彬の目にとまり、側近に抜擢される。
薩摩独特の教育、郷中教育の教え【負けるな・嘘を言うな・弱者をいじめるな】をその生き様で示し、人望とその徳の高さで、
今も尚、全国にファンの多い維新の傑物。



西郷隆盛(さいごうたかもり)


皆さんはこの偉人に対して、どんなイメージを
持っているだろう?
征韓論者、西南戦争を引き起こした人物…、
素顔の分からない人物、上野の西郷さん…etc.

鹿児島の方や西郷さんのファンでなければ、
恐らくは教科書が教えてくれる西郷像しか知らないのでは
ないだろうか。かく言う井門も、今回の取材前までは
西郷さんの一つの側面しか理解していなかった。
しかしこの取材が終った後、いかに地元鹿児島の
方々に愛されているか、そしてこの人物が本当は
どのような人物だったのか分かった気がした。

死後130年、生誕180年という記念すべき今年、我々YAJIKITA一行は西郷隆盛の足跡を訪ねるべく、
まだ少し寒さの残る鹿児島に降り立った。

全国的に有名な西郷隆盛の銅像と言えば、犬を連れ、
着流し姿の上野公園・西郷隆盛像かもしれない。
維新の豪傑が着流し姿…というのも西郷さんの人柄を
表している様で良いなぁ、なんて昔は無責任に
思ったものだ。ある逸話が残っている。この銅像が
完成した時、糸子夫人が『宿んし(うちの主人)は
こげんなお人じゃなかったこてえ(こんな人ではなかった
ですよ)』と言って周りの人々に窘められたとか。
実際の西郷隆盛という人物は決して<浴衣姿>で
外に出る事は無かったそうだ。

糸子夫人の発言は、だから顔が似ている・似ていないの
話ではなくて『うちの主人はこんなダラシナイ格好は
しない人です!』という事なのだ。
では当時の西郷さんを知る人々が納得する「西郷像」は
どんなものなのか?
それが鹿児島市内・城山に立つ『軍装の西郷隆盛像』
なのだ。

今回のYAJIKITA:西郷さんの足跡を訪ねる旅は、
この軍装の西郷像の前から始まった。
この姿の西郷さんは初めて見たのだが、溢れる威厳は
最早『西郷さん』と言う雰囲気ではない。

銅像は安藤照氏によって制作され、昭和12年5月23日に設置。銅像本体は5.76mで、台石を含むと8mにも
なるという。鹿児島に暮らす方々はずっと、この西郷像を
見ながら生活しているのだ。
やはり県外の人間が持つ西郷さんのイメージとは
違うのだろう。
旅の抱負を西郷像の前で誓いながら、
『セゴドンのエンコ』スタートなのであるっ!!


さてこの『セゴドンのエンコ』、文字で見ても
なんのこっちゃ分からないという方も多いでしょう。

ちょっと解説しますね。
では『セゴドンのエンコ』を語らせたら
世田谷一(謎)ドン・セゴドーネ氏にご登場いただきましょう。

先生、宜しくお願いします。

ドン『何?…あれ、もう本番始まってるわけ?ぢゃあまずはニャンコ先生の物真似から。』
井門『いや、ニャンコ先生とか若い世代のリスナーは置いてきぼりになっちゃいますから。』
ドン『ぢゃあ、アレか?夏川純が本当は26歳だったって話か?語るぞ〜オレ。』
井門『別にどうでも良い事ぢゃないですか!今日は先生に【セゴドンのエンコ】についてお伺いしたいんです。』
ドン『あ〜アレな。アレはお前、アレだろ?桜島に棲むという幻の海竜<セゴドン>がたまに天文館に繰り出して、
●△●×を、□◆@pw▽;¥^■○ってやつだろ?(自主規制)』





また来週!!


違うキャラを無理やり登場させたのに、
全く意味を成さなかったですね。失礼しました。
『セゴドンのエンコ』とは簡単に言うとこんな感じである。

西郷さんの命日の前日にあたる9月23日、
西郷さんゆかりの史跡を訪ねるのが「セゴドンのエンコ
(西郷どんの遠足)」である。「西郷どん」⇒「さいごうどん」⇒「セゴドン」と訛り、「遠行」⇒「えんこう」⇒「エンコ」と変化。それが「セゴドンのエンコ」の全容なのだ。
参加者は、加治屋町の生誕地や武町の西郷屋敷跡を
それぞれ出発し、私学校跡、西郷が座禅修行したと
いわれる「座禅石」、西南戦争時、薩摩軍幹部らが寝食を
共にした城山の「西郷洞窟」や終えんの地など、
市内の約8キロを歩き、郷土の偉人に思いをはせる。

季節は違うのだが、これを体感しなくては西郷さんの
魅力は10%も分からないだろうという事で、
YAJIKITA一行は車で移動(ズルいとか言うのは
全面的に禁止)。
今回は強い味方として、西郷南洲顕彰館館長:高柳毅さんと共にセゴドンのエンコである。

高柳さんが館長を勤める西郷南洲顕彰館は、高台にあり、目の前は優雅にそびえる桜島!「南洲墓地」「南洲神社」も周りにあり、西郷さんを語るなら絶好の立地なのである。

生誕の地から終焉の地までを回りながら、そして高柳さんのお話に耳を傾けていると、それまでの西郷隆盛の
イメージとは全く違う西郷像が頭の中に浮かんできた。

征韓論者というイメージが全く違うという事実…。
日本史を勉強してきた方々、『征韓論争』という言葉を覚えているだろうか?なかなか国交を開こうとしない朝鮮に対して、武力で強引に開国させようという主張が起こった明治初期の動きである。

日本史の教科書には、この武力によって朝鮮を
開国させようと主張したのは西郷隆盛であるとの記述が
目立つようだが、実際にはそんな事はないそうだ。
会議の場でも、むしろ朝鮮に対しては、最高の礼をもって
使節を派遣するよう主張している。『征韓』の2文字は
一度も口にしたことは無かったという。歴史が
いつの間にか歪曲されて伝えられてしまったのだ。
今では教科書表記の仕方も変化してきて、
「西郷=征韓論者」という記述も減ってきているという。

西郷隆盛くらいの人物でも、この様に真逆に
伝えられてしまう。歴史というのは恐ろしいものである。
一体、この国の歴史は外国にどの様に
伝わっているのだろう。全くの誤解から、
色んなしがらみが生まれているかもしれないなと、
西郷さんの歴史を振り返りながら考えてみたりした。

大久保利通との関係…。
何故、西南戦争が起きたのか…。
どうして西郷隆盛は死ななくてはならなかったのか…。

今回の取材は、新たな発見だらけだったと言っても
過言ではない。

例えば、西郷隆盛は何故自身の写真を残さなかったのか…?
これには諸説ある。ただの写真嫌いだった(写真を撮ると魂が抜かれるという迷信の為)という説が、
まことしやかに伝わっているくらいなのだが、高柳さんはこんな興味深い話をしてくれた。

斉彬の死後、絶望した西郷は斉彬の墓前で切腹を考えた。その時に西郷を止めたのが、京都清水寺成就院の
住職であった僧・月照である。
『斉彬公は貴方の死を望んではいない、むしろ死ねば
何故自分の意志を継いでくれなかったのかと憤るはずだ。』と。

時代は井伊大老の安政の大獄による恐怖政治が
横行していた。そんな中で、薩摩藩と朝廷の橋渡しを
務めた月照の身にも、この時期危険が迫っていた。
月照の身の危険を察知した西郷は、薩摩藩内で月照を
匿おうとするが、斉彬の死後、藩政が180度転換して
しまった薩摩藩はこれを頑なに拒否。互いに絶望した
西郷と月照は錦江湾で入水自殺を図ったのだ。

西郷隆盛が自殺を図っていたという事も驚きだが、
この融通の利かない藩政にも驚かされる。
まさに西郷にとっても月照にとっても四面楚歌の
状況だったのだろう。
入水自殺を図ったのは11月。その寒さ、置かれた状況の
やりきれなさを考えると、何とも言いようがない。
西郷が斉彬公の墓前で切腹するのを、
1度思い留まらせた月照。その月照と話をし、
二人で死ぬ事を決断した西郷。

結局この入水自殺は未遂に終わる。
月照1人だけの命を奪って…。
奇跡的に助かった西郷の気持ちは
どんなものだっただろうか。武士として共に自殺を図った
相手だけが死に、自分だけが生き残ってしまった…。
その気持ちを表すかの様な、西郷自身の手による手紙が
残されている。(以下「」内引用文)

「私事土中の死骨にて、忍ぶべからざる儀を忍び罷り在り候。(私は今や土中の死骨で、
忍ぶべからざる恥を忍んでいる身の上です)」

高柳さんは言う。
「自分だけ生き残ってしまった事を苦悩し、恥と考えた西郷は、だからこそ自分を1度死んだ身と考え、写真や肖像画を残さなかったのではないかと思うんです。」

勿論憶測の域は出ないが、西郷隆盛の人物像を考えると「そうかもしれない、いやそうなんだろう。」とも思えてくる。そしてまた、西郷隆盛の人物像を考えたときに、もう一つ外せない言葉が存在する。




敬天愛人

西郷隆盛が愛した言葉。「天を敬い、人を愛する」というこの考えは、西郷という人の人物像そのものを表している。曲がった事を嫌い、日本という国を心から憂い、失意のままにこの世を去った、維新の巨星:西郷隆盛。彼が理想とした日本に、いまの日本はどれだけ近づけたのか。
それとも全く遠くなってしまったのか。

終焉の地である城山の展望台から眺める鹿児島の街は、晴れ渡る空の下輝いて見えた。

最期に彼が見た景色は、一体どんなものだったのだろう?

130年前の薩摩の姿に想いを馳せながら、そんな事を考える。

いま目の前に広がる鹿児島の街並みからは、笑顔や、笑い声が溢れている様に思えた。