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旅人 : FM山陰 益村千代

奇跡の逆転登録!
世界遺産、石見銀山の今後…。

     
 

2007年6月28日、ユネスコの第31回世界遺産委員会に於いて
日本で14番目の世界遺産に登録された、島根県の「石見銀山」・・・。
ユネスコの諮問機関の「登録延期」勧告を覆しての決定は、奇跡の逆転登録といわれました。

石見銀山は、戦国時代後期から江戸時代前期にかけ、日本の歴史上
最大の銀山として世界にその名を広め、そして、300年経った今、世界遺産登録により、再び、その名を広めようとしています。

そこで、世界遺産登録の「石見銀山遺跡とその文化的景観」の魅力と、
世界遺産登録に尽力された方のインタビューを交えながら、
FM山陰の益村千代さんが旅人として、登録前に訪れたときのレポートとあわせてお届けします。

題して――
「奇跡の逆転登録!世界遺産、石見銀山の今後…。」

石見銀山遺跡は、東西に長い島根県のほぼ中ほど、旧温泉津町、旧仁摩町を
含めた大田市の広い範囲に分布しており、その広さは東京ドーム100個分にもなる400ヘクタール以上にもなります。

16世紀から17世紀にかけ、大名の資金や江戸幕府の財源として
更に、外国にも数多く輸出され、中国や朝鮮半島などのアジア諸国、
ポルトガルやスペインなどのヨーロッパ諸国を結ぶ役割を担っていました。

そんな石見銀山。日本において14番目の世界遺産登録へと活動していましたが、
今年5月…、専門的な立場で調査するユネスコの諮問機関・イコモスは
「顕著な普遍的価値が証明できていない」とし、『登録延期』を勧告。
このイコモスの勧告には「登録」、「追加情報の提供」、「登録延期」、「不登録」の4段階があり、「登録延期」は、
下から2番目という低い評価のため、「今回は無理かもしれない」と悲観的ムードが広がりました。
しかし、島根県の世界遺産登録推進室と文化庁は連携し、英文110ページにも及ぶ反論書の作成、
また、関係各国の担当者らと直接交渉するなど土壇場での巻き返しに奔走・・・。
そして、満を持して挑んだ6月28日、ニュージーランドで開かれた
世界遺産委員会・・・。
「石見銀山は、周囲の自然を破壊せず、共生している」と登録を支持する発言が相次ぎ、大逆転の登録となりました。

では、世界のその名を広めた、日本で14番目の世界遺産登録された「石見銀山」とは、いったい、どんな場所なのでしょうか?

まずは、日本の世界遺産の中で初めて「温泉街」がその登録地に入りました。
「温泉津温泉」
銀を積み出した港町としてこの温泉津温泉も栄え、古きよき日本の温泉街を色濃く残す、静かなその空間は
「タイムリップ」したような感覚・・・。
約600m続く通りに、14軒の旅館が並ぶだけの小さな温泉地です。
民家のほとんどが、江戸末期から昭和初期に建てられた瓦葺きの木造家屋で、築100年を超える旅館も多く残っています。
昔ながらの街並みがそのまま残る温泉街です。

江戸時代、幕府の直轄地だった石見銀山によって、発展した鉱山の町、「大森」。
この全長3キロほどの「大森の町並み」も世界遺産・石見銀山の登録のエリアに入ります。
鉱山は、1923年、大正12年に廃坑となりましたが、大森の町並みには、 武家屋敷や町家、社寺がおよそ250件、
赤瓦と土壁の家が軒を連ねる町並みが状態よく残り、伝統的建造物群保存地区に指定されています。

世界遺産の「石見銀山遺跡」の中で一番の目玉と言われいます、16世紀初頭から大正後期にかけて、
銀鉱石を求めて掘られた石見銀山の坑道――、「龍源寺間歩」。

龍源寺間歩の坑道は全長600m以上、深さ300mにもおよび、壁面には当時のノミの跡が残っています。

当時の技術では、1日に掘り進める距離は30cmほど・・・。
ノミ跡があらわに残る壁、そして、産出した銀を馬に乗せ、8キロ先の港まで
運び日本国内、世界へ流通する姿を思い浮かべると、過酷な労働が偲ばれます。
龍源寺間歩のあと、「釜谷間歩」そして、まもなく公開予定の石見銀山最大の間歩、「大久保間歩」へ向かいました。

さて、ニュージーランドで開かれていたユネスコの世界遺産委員会は、
諮問機関の延期勧告を覆して登録を決めた石見銀山遺跡について、
「アジアの他の鉱山遺跡との比較研究を今後実施するよう」という“付帯決議”をし閉幕しました。

実は「登録延期」を勧告した理由の一つに、
「アジアにある他の鉱山遺跡との比較研究が不十分」という点がありました。
石見銀山に限らず、今後の「世界遺産」は、観光振興の起爆剤という側面から脱却し、
「世界遺産」の本来の意味である『守るべき遺産』へシフトする転換期にきたのではないでしょうか?