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旅人 : フリーアナウンサー 佐藤暁子

藤沢周平・海坂藩の面影編

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私が初めて「作家・藤沢周平」の作品に出会ったのは、今から10年程前、高校2年生の時だった。
当時、アナウンス・朗読を勉強していて先生が「霧の羽黒山」(「小説の周辺」より)を教材として出して下さったのだった。

今でもその資料は保管してあるのだが、当時の私には些か難しい題材であった。
藤沢周平が若い頃に見た郷里の風景を思い出し、書き綴った内容である。彼の中で羽黒山は、
秋の紅葉や五月の若葉の様に鮮やかな色彩よりも、水墨画のようなイメージが強いらしい。
今回、藤沢周平に縁のある人々にお話を伺うことが出来た、彼は風景を記憶する能力が非常に高い人物の様だった。

出身の鶴岡を離れて上京した後も時々は帰ってきていただろうが
遠く離れた故郷の風景が実に見事に描写されているのには驚いた。彼は「私の記憶の中にある羽黒山は、
水墨画の世界に沈んでいる」ということを書いていたが、
この世界観をあまり良く理解できなかったから難しいと感じたのかも知れない。

その後私も地元の高校を卒業し、上京して「郷愁」という言葉を実感するまでは…。



九兵衛旅館の藤沢周平コーナーにある
藤沢周平生前の写真



藤沢周平の実家跡に建てられた「藤沢周平生誕乃地」の碑

一枚の彼の写真とじっと向き合ってみる。優しさが滲み出ている顔。
鶴岡市・高坂地区という山間の農家に「小菅留治」として生まれ育った少年時代。
師範学校を卒業し地元の中学で教鞭をとっていた二年間。
その後、彼を襲った「肺結核」という病の為に人生の中で思うように行かなかった時期。
東京での6年にわたる療養生活を経て会社勤務をしながら執筆活動を行い、1972年に「暗殺の年輪」で直木賞を受賞し
文壇に立ってきた彼の人生には、いつも生まれ故郷の風景が存在していたのだろう。

読者は彼の作品というフィルターを通して、自分の故郷と人生を見つめる。

彼自身はどんな想いを、作品に登場する「海坂藩」に重ねて故郷を見たのだろう。



松田静子さんと一緒に!

藤沢周平研究の第一人者といわれる松田静子さんは、昭和51年に初めて彼の作品「義民が駆ける」を読み、
その魅力にとりつかれたそうだ。そこから彼の作品や人となりについても研究しはじめた。
私が「どんな方だったのですか?」と尋ねると、静かに、でも楽しそうに沢山のお話を聞かせてくださった。

出版社の編集者によれば、原稿の締め切りには一度も遅れたことが無いきちんとした性格。
サラリーマン時代に一緒に碁を打った友人によれば、普段は内気な性格なのに勝負の時には強気で責めてくる意外な一面。穏やかな中に秘めた強さを持つ、いわゆる東北の中の鶴岡人らしい性格の持ち主である。

松田さんにお話を伺った場所は、鶴岡市内の「喫茶・海坂」。  店内は藤沢周平の書籍や直筆の色紙などで溢れている。
ちなみにメニューを見てみると、ドリンクそれぞれに藤沢周平作品に出てくる女性の名前が!

作品の中でモデルになっているであろうと思われる場所を「鶴岡藤沢周平文学愛好会」の方々に案内していただく。



「蝉しぐれ」に出てくる“鴨の曲がり”で




帯谷行夫さんと一緒に!

「海坂三部作」(「蝉しぐれ」・「風の果て」・「三屋清左衛門残日録」)のひとつ、「蝉しぐれ」の中に登場する『五間川』は、
鶴岡市内を流れる「内川」であるとみられている。作品は東北の架空の小藩「海坂藩」で派閥抗争に運命を翻弄されながらも、信念を持ち生きていく文四郎の人生を、友情や後に藩主の側室となった幼馴染のふくとの恋愛を交えて書かれている。
物語の後半、ふくの命の危機に文四郎が救い出す場面で、追っ手の見張りの中を舟で川を下る緊迫のシーンが登場するが、実際、愛好会の帯谷行夫さんのお話を聞きながら風情のある川を見ていると二人の姿が目に浮かぶようだった。



「鶴岡藤沢周平文学愛好会」の川井良三さん

「三屋清左衛門残日録」では隠居生活を送る清左衛門が元・同僚の佐伯熊太や幼馴染の友人と酒を酌み交わす小料理屋
「涌井」(作品中では花房町)が何度も登場する。ご案内していただいたのは同じく愛好会の川井良三さん。
江戸期、旅篭町として賑わった繁華街「旧・七日町」(現・本町)には今も古い料亭が建っている。

藤沢周平がこの作品を書いたのも彼が58歳の頃。
東京に住み慣れても故郷の味を気のおけない友人達と楽しむことの願望が表れているかのように、
この作品では数多くの庄内の郷土料理が登場する。



海坂膳


ハタハタの湯上げ


シラガニの味噌汁


石塚亮さん

作品の中の料理を再現してみたのが「海坂膳」である。
海沿いに面した旅館・坂本屋のご主人、石塚亮さんは作品に忠実にこれを完成させた。
季節によって内容が変わるが今の時期は『ハタハタの湯上げ』、『からげ(エイの干物)』、『口細カレイ』、『シラガニの味噌汁』、『豆腐のあんかけ』、『赤蕪漬け』などなど…。どれも今でも鶴岡の人々が愛してやまない家庭料理だ。
もし、鶴岡を訪れる機会があったら皆さんにも是非食べていただきたい。それは藤沢周平の細胞に刻まれた味だからである。



大滝澄子さん、萬年慶一さんと一緒に!

さて、彼は二年間ではあるが教壇に立っていた時期がある。
一緒に過ごした子供達はその時の事を大人になった今でも大切な思い出として記憶している。
彼が東京から戻ってくると定宿にしていた湯田川温泉「九兵衛旅館」女将の大滝澄子さんや
愛好会代表の萬年慶一さんもその1人。当時はまだ馴染みの無かった「クリスマス会」を開いて貰った時は
子供心にわくわくして楽しかった事や先生が創った脚本で放送劇をしたこと。
作家として成功してからも変わらなかった人柄を、送られてきた手紙から感じる事が出来た。
少し朗読させていただいたのだが、読んでいてその優しく気遣う文章に涙が出そうになった。
彼は「小菅先生」としても多くの人に感動を与えたのだった。

大滝さんが女将を務める九兵衛旅館の一角には藤沢周平コーナーが。直筆の原稿や色紙、生前の写真、
藤沢周平から大滝さんに届いた手紙などがたくさん展示されている

今回、様々な縁の場所を訪れ、お話を伺い感じたこと。
作品に登場する風景だけでなく、そこに生きる人や食もまた故郷の匂いを感じさせる。
大声で主張もせず決して派手ではないが、何か一本芯の通った所がある東北の小さな町。
藤沢周平が愛してやまなかったその風土を知ることは、そのまま彼を知ることに繋がる。
そう感じた今回の旅だった。

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