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旅人 : 大松彰

YAJIKITA的工場見学。鋳物のまち、川口。

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「キューポラのある街」・・・高度経済成長時の日本変化の様子をバイタリティあふれる人間模様を中心に描いた寡作です。
吉永小百合さんの溌剌とした演技がとても印象的でした。
その舞台となったのが埼玉県は川口市。物資の運搬に便利な荒川のほとりに鋳物工場は栄えました。
「キューポラ」(キュポラとも言うそうです)は鋳物を作る溶解炉で、その原風景は映画のように、
そこかしこにある煙突から昇る煙もくもくの町並みです。私もそんな思いを胸に川口でも比較的新しい駅川口元郷に
降り立ちました。

深呼吸すれば胸に広がる工場特有の香ばしいにおい….ない、匂いがない。
周りを見回せばあるのは住宅街やタワーマンション。「い、鋳物の街ですよね!?」あらためてスタッフに確認。
モノクロの私の世界は無残にも打ち砕かれました…というのも実は川口は荒川のお話が出たとおり、
すぐお隣は東京でいまやキング・オブ・ベッドタウンとなっています。

鋳物工場もどんどん姿を消しているようで、名物キューポラも電気溶解炉に姿を変えているそうです。
だんだん湿っぽくなりましたが、しかし、しか〜しそんな中でもさすが川口!
キューポラのように熱い人々はまだいっぱいいらっしゃるのでありました。





日本で唯一のベーゴマ工場 日三鋳造所

「ベーゴマ」と聞いて「おお!」と右腕がぴくりとした方、もうあなたは川口っこ(心の)になりかけてますよ〜。
そう、あの三丁目の風物詩、あのベーゴマは川口で作られていたのです。(しかも日本でつくっているのはこちらだけとか)

ちょうど工場を移転されているさなかにお邪魔しましたのに、にっこりと出迎えてくださったのは
株式会社 日三鋳造所 代表取締役 辻井 俊一郎さん。にこやかなその笑顔にちらりとのぞく「いたずら小僧」の横顔、
「むむ、これはつわもの」と感じるのでありました。お話をお伺いしたところ、
やはり住宅街の中での工場経営はなかなか難しいようですが、それでもまだまだ川口は鋳物工場が多いので、
情報交換や材料の調達など利点は多いそうです。

また、最近のレトロブームにのり ベーゴマ需要も増えている とか。
そしてベーゴマの魅力はとお聞きしたところ….辻井社長のスイッチが入ったようで、
「なんといっても大人も子供もみんなでできるところ、
3世代で教え教わり、ベーゴマを楽しんでますよ。」とお話しされたその目はもう少年。

とにかくやってみましょう!という雰囲気で早速工場の隅をお借りしてベーゴマ教室です。
社長に「撮影するので準備する間にベーゴマ勝負のセッティングを…」と言っている間には
もうベーゴマ競技場が出来上がっており、使い込まれたさまざまなベーゴマ達(形は9種類もあります!)、
樽にシートが張られた床(とこ)…そして師匠!辻井社長はしっかりベーゴマを構えられ神々しいまでの立ち姿。
おもわず「師匠!」と叫んでいました。
しかしその弟子は出来が悪く何度教えられてもうまく回らず…確かに子供のころ二、三度チャレンジしたものの、
放りなげコマに浮気した経歴の持ち主、そうそうベーゴマは言うことを聞いてくれません。

「無心に、力を抜いて」師匠の粘り強い教えにしたがい、投げたそのいっとうが奇跡を呼びました!
美しく、そして力強く弧を描きながら回るベーゴマにわが子以上の愛しさを(許せ息子!)感じてしまうのは私だけでしょうか!
(あなただけです…)といいつつも、この小さなベーゴマの小さな奇跡はまわりのスタッフも巻き込み、大ベーゴマ大会!
(カメラなど回っていないのに実況する私。)そんな永遠の少年たちの無邪気な影を川口の夕日はやさしく作るのでした…





彩りの鋳物工場 富和鋳造株式会社

続いては1kgから20tまでなんでも作るという富和鋳造株式会社さんにお邪魔しました。
「何しろここでないと作れない!」と指名での注文が多いというまさに「ものづくり日本」を象徴する工場なのです。
(芸術家の方もその技術に惚れて注文されるとか。)

「鋳物」というとぱっと思い浮かべるのが鍋という、
超がつく鋳物ど素人の私にとってこちらの工場のスケールはビヨンドシンキング(想定外)。
「今作っているのはバルブです。」とおっしゃられる
取締役 部長 池田 清茂さんのお顔にダブるのは家の水道のバルブでしたが、写真を見せていただくとびっくり、
そのバルブは等身大以上のものでした。「15tありますよ。」と工場長の吉田 秀夫さん。
いったいこれをどうやってつくるのか!?ということで早速、工場を見せていただきながらご説明いただきました。

ほんとにほんとに簡単に言ってしまうと、茹で卵のような感じで白身の部分を鋳物でつくるわけです。
しかし工場内は気温5度の真冬でもちょうどいいくらいのあったかさ。
「夏は50度だね」とおっしゃる通り命がけでお仕事されています。溶かされた鋳物は最初1500度、
鋳型に流し込まれるときには1380度まできっちりとさげられます。「とにかく品質だよ」と工場長。

15tの大きなものでも外枠も含め手作業できれいに掃除をします。
もし少しでも穴があいていれば1380度が外に流れ出るわけです。

相手も生き物だから
そうなんです。鋳物は生き物なんですね。手をかけてやればやるほどいいものができる。

出来上がって送り出すときは嫁に出すようなものだな。
と照れ笑いしながら工場長。その鋳物がまさに生き物として感じられるのが、湯入れ。
1500度の湯はこの世のものとは思えないほど赤く美しい。
注ぎ込むためのおおきな「とりべ」(柄杓みたいなものです)に入れられた瞬間、巨大な線香花火のような火花が!
「うわ〜きれい!」と乙女のようなうるんだ目で見とれていたら焼ける匂いが…「あぢぃ」。
横では逃げ損ねてヘルメットをはでな音をたてて落とすカメラマン。いやほんとこれは命がけです。
そんな命がけで作られている鋳物、川口市では公共設備にも鋳物を使っています。
そんな鋳物を見るたびに私は富和鋳造さんのもくもくとそして誇らしげに働く皆さんのお顔が浮かんでくるのでした。





15坪でも世界一 有限会社 辻谷工業

鋳物ならここに行かなきゃと川口から西にあります富士見市にまいりました。
なんとこちらでは世界一の砲丸を作っている工場があるのです。目指すは有限会社 辻谷工業さん。

それはすごい工場だろうなあと期待に胸の溶解炉を熱くしながら、バスを降りて商店街を歩くこと3分。「着きました」スタッフ。
うん!?商店街じゃない?ふとシャッターの降りているお店
(すみません。ほんとにそう思ってしまって)をみると「辻谷工業」の文字が!

そうなんです!オリンピックで続々とメダルをとった皆さんが使用していた、
かの「辻谷砲丸」は面積15坪の工場で作られていたのです!代表取締役 辻谷 政久さん。
東京オリンピックあたりから砲丸をつくりはじめられたとか。
今では砲丸と話をしながら、流れるような手つきで砲丸を作られます。見た目にはただ削っているだけなんですが、
誤差はほとんどなく、しかも驚くべきことに削りながら砲丸の重心までもあわせていっているというのです。
他の工場ではほとんどオートメーション化されている作業で、でもそれでは正確な重心が測れないそうです。
最初は見向きもされなかった「辻谷砲丸」、ちょっと持ちやすいように溝を掘ったところ選手が興味を示し、なげてみたら、
その正確な重心のために記録が大幅アップ。結果としてオリンピックでメダル続出になったそうです。
あまりの素晴らしさに盗難さわぎもあったとか…

ご自身も70歳くらいまで暇な時にはトライアスロンもこなしていたという辻谷さん。
(暇な時にトライアスロンて…!)夢はオリンピックで日本の選手が辻谷砲丸を投げてくれること。そして後継者が育つこと。
残念ながらこの世界の技術は息子さんしか伝授される人がいないそうです。
もっともっと「辻谷砲丸」の名をあげてほしいですね!がんばれニッポン!!

鋳物の魅力にすっかり取りつかれ、以降毎日のようにベーゴマ遊びをやっております。
今回の旅であらためて日本の職人の皆さんの技術の高さ、情熱を感じました。
皆さんのすぐ近くの工場でも実は日本ではここだけのもの、世界で一番のものを作っているかもしれません。
そしてそれを作っている方のお話、
またはい鋳物たちのお話をきいてみると今まで知らなかった夢の世界への扉が開くに違いありません。
ちょっとのぞいてみてください。ほらあそこの角をまがれば「キューポラの街」がみえてきますよ。

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