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旅人 : 小川もこ FMとやまアナウンサー 久和恵実

400年の歴史を世界遺産へ・富山県高岡市

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さぁ『未来の世界遺産・高岡市』をゆっくり旅しましょう!



★ (^^;)…女二人旅も、前回放送分の「御車山祭り」を経て、いよいよ佳境に入ってまいりました。
今週もキューワちゃん&小川もこの珍道中は続いていくのだぁ〜♪


なぜ「未来の世界遺産なのか?」って?

富山県と高岡市は一昨年、共同で文化庁に「近世高岡の文化遺産群」の提案書を提出、
世界遺産の認定を目指して、その第一歩を踏み出しました。
歴史が息づく町中には国宝や文化財、情緒溢れる町並みなど、歴史的な文化遺産が豊富なのです。
また高岡市は来年開町400年を迎えます。

そんな未来の世界遺産を 一足早く巡る旅へ出かけましょう!




★(^^;)…御開帳〜っていうと、まぁいろんな場面に使われますが、ここでは“開町”です。
町が出来たのです。そもそも…。加賀藩二代藩主・前田利長公が、
「関野」と呼ばれていた荒地に築かれた高岡城に入城したのは、慶長14年(1609)9月13日のことでした。
ついてきた家臣は430名余り。
町民は、富山・守山・木舟の旧城下や美濃・近江・越前等前田氏縁の地より集まった630戸。
武士・町民あわせても、5千人弱の人々によって、最初の高岡の町が作られたのでした。
あぁ、その地の歴史を紐解くって楽しいなぁ♪そして、歴史ある町をゆっくり歩くのは、
なんて幸せな気持ちにさせてくれるのでしょう。

高岡市観光ボランティアグループ「あいの風」代表の杉山喜重子さん、
副代表の清水静子さんにご案内していただきます。

今回は、加賀藩二代藩主・前田利長が居城をかまえた高岡市中心部を巡る「文化の森回廊コース」と
「万葉の森回廊コース」を歩くわけですね!

まずやってきたのはJR高岡駅から徒歩15分のところにある高岡古城公園。
新緑とちょうど見ごろとなった八重桜がきれいですね〜!
高岡古城公園は、慶長14年(1609年)、加賀藩二代藩主・前田利長が開いた高岡城があった所で、
大阪夏の陣の後、廃城となったものの、美しい水濠や土塁は残されました。
現在は約21万平方メートルの広大な城跡公園となり、四季折々の自然の美しさを堪能することができます。 

公園内には動物園や博物館、射水神社などもあって、憩いの場となっています。
日本都市公園100選や、さくら名所100選、日本の100名城にも選ばれていますよ。




★(^^;)…春は桜、秋は万葉集朗唱の会、緑豊かで広大な敷地のこの公園は、さすが高岡城の跡地。
園内には、工芸都市高岡ならではの銅像がいっぱい建ち並んでいて、まさに“芸術の森”。
ここで結婚式を挙げる人々のとても多い、縁結びの「射水神社」へは、何度か願掛けに行きました。
いえ、恋愛成就の願いではなく、もこにゃんラーメン、ヒット祈願!見事願いを叶えてくれた うつくしの杜です。。。





古城公園を出て町中を少し歩くと…。突然大きな大仏様がっ?!
驚きつつもその表情を見ると、結構男前ですよ〜、もこさん!
す、すみません。またまた男前に見とれていました(汗)


★(^^;)… ふっふっふ。キューワちゃんも小川も、イイ男に まっこと弱いよのぉ〜 神仏に対して、
イケメン呼ばわりも失礼な話ですが、でも、男前〜♪なのよね。
チョロリと生えてる髭がまた ちょっとジョージ・マイケルふうで。あっは〜ん




高岡大仏は、奈良・鎌倉の大仏と並んで日本三大仏に数えられ、
「銅器のまち」「ものづくりのまち」高岡のシンボル的存在。
その歴史の始まりは1221年頃までさかのぼるといわれています。
高さ15・85メートル、重さ65トンで、今年4月には風雨で痛んだ部分を修理する「平成の大修理」が完了し、
落慶法要が営まれました。
地元のみなさんは愛情を込めて「大仏さん」と呼んでいるそうですよ。


★(^^;)… 大きさこそ小ぶりながらも、高岡の町のまん中に日輪を背に鎮座ましましているお姿は素晴らしく、
ほんっと神々しいです。(いや、仏さまだから仏々しいか?!)



さぁ次にやって来たのは前田利長公墓所です。
鬱蒼とした森林に囲まれて、ひっそりと厳かに大きなお墓があります。
一見するとお墓というよりも、大きな石の建造物といった感じですね。





加賀藩三代藩主・前田利常が前代の利長の冥福を祈って、
正保3年(1646年)利長の33回忌にあわせて建造したそうです。
高さは11.8メートルにも及び、武将の墓としては全国最大級とも言われています。
当初約165000平方メートルという広さでしたが、今は約7600平方メートルに縮小されています。
ちなみに東京ドームのグラウンドの面積は13000平方メートルですから、
その広さがいかに凄かったかが伺い知れますね。

墓所を出るとまっすぐにのびた道が!
それほど道幅は広くないのですが、距離が結構ありそうですね〜。

ここは八丁道といって、この先にはお寺があるそうです。
そのお寺と墓所を東西に結ぶ八丁(約870メートル)の参道です。114基もの石燈籠が並び、
松並木と白い石畳が続きます。





★(^^;)… ちょっと綺麗に整えられ過ぎの感もありますが、道路のグリーンベルトにあたる真ん中を 
ゆったり散歩できて良い感じ。けっこう長いので、早朝ウォーキングも気持ちよさそうです。


まっすぐと歩いてくると…今度は大きなお寺がっ?!





ここは国宝 瑞龍寺。
高岡開町の祖、前田利長公の菩提寺で、三代藩主・利常が建立しました。
正保2年(1645)〜寛文3年(1663)までの約20年間を要したそうです。
禅宗建築様式として代表する伽藍配置(がらんはいち)と建物で、当時は約3.6万坪だったのが、
現在は約7000坪の広さということです。
(とはいっても、十分広いですが。汗)平成9年に国宝の指定を受けています。




★(^^;)… 日本唯一の七堂伽藍、回廊で結ばれた 美しい禅寺です。
12年前から幾度も訪れていますが、何度行っても、その佇まいに 惚れ惚れします。


総門、山門を抜けると太陽の光に照らされた白く輝く屋根が特徴的な仏殿が建っています。
この屋根はすべて鉛の瓦なんだそうです。もしも戦になったときは、
この鉛を溶かして鉄砲の弾や武器として利用しようとしたそうです。




★(^^;)… すごいよねぇ。。。お寺の屋根が鉄砲の玉になるたぁ〜、お釈迦さまでも気が付くめぇ。。。
有事の際の備えは万全。寺といえども、常に中央を意識し、
一目おかれる存在たることを忘れなかった100万石の加賀藩お膝元です



奥に進むと石廟(せきびょう)が五基並んでいます。
向かって右から順に前田利長、前田利家、織田信長、信長の夫人、織田信忠の分骨を祀っていて、
前田と織田のつながりを感じることができます。




★(^^;)… 信長が なぜここにぃ〜??! びっくりしますが、前田家を重用していたんでしょうねぇ。両家の関係が見えてきて、
なんだか嬉しい。お寺の奥のひっそりとした空間です。忘れずに訪れてみてくださいね。



夢中になっていると、ちょっと小腹が空いてきましたね〜、もこさん。




★(^^;)… はい。三歩歩くと 大事な事も忘れますが、お腹も空きます。



実は、この高岡という町は「コロッケ」が名物なんです!
歴史あるこの町で「コロッケ」とはいかに?

富山県は1世帯あたりのコロッケ購入額が全国的に見ても常に上位なんだそうです。
「共働き率も高いため、手間のかかるコロッケのような揚げ物を買っておかずを一品増やす」とか
「両親が帰宅するまでのこどものおやつ代わりとして親しまれてきたため」などいろんな説があるようです。




★(^^;)… これって、シンガポールを訪れた時もあった話だな。彼の地には「ホーカーズ」という小さなお店が集まってできた、
安くて気軽に食事が出来る屋台村が発達してるのです。シンガポールの女性は高学歴で仕事も要職につき、
いきおい家庭も共働きが多い。ゆえに家で食事を作る機会が少ない。そんな人々にとって、
「ホーカーズ」はまさに台所的存在。合理的。高岡の主婦も決して手を抜いているんじゃない。
合理的で働き者の高岡とシンガポールの女性たち。意外な類似性があって興味深いですねぇ。




やってきたのは高岡市木津の「天狗乃肉・石崎精肉店」さんです。
ちょっとつまみながら散策という我々にもってこい!
早速頂いてみますと…っ!揚げたてで、ほくほくのジャガイモが美味しい♪
「熱い→美味しい→熱い→美味しい」の繰り返しです(笑)

高岡には「コロッケマップ」があって、コロッケのお店のみが記されています。
100円玉でコロッケが2個買えるようなお手ごろ価格のものから、ナイフとフォークで頂く高級コロッケなど、
いろんなコロッケを楽しめるそうですよ!




★(^^;)… 嬉しい♪ノスタルジックな庶民の味!この店の他にも佐野牛勝さんの氷見コロッケや、
夜の居酒屋「陣太鼓」のトマトコロッケなど、味も個性的で素晴らしい。
コロッケマップには40軒以上がリストアップされています。
高岡中のコロッケを食べ歩きしたい♪と思う小川&ヤジキタスタッフなのでした。



さて、高岡は加賀藩ゆかりの地であると同時に、もっと時代は遡り、奈良時代、
万葉の歌人・大伴家持(おおとものやかもち)が越中国守として住み、多くの秀歌を詠んだ地でもあります。




★(^^;)… 当時の政治家であり、歌人の大伴家持が天平18年(738年)から5年間、
ここ越中国国守(現在の県知事)として赴任していたのです。この間も220余の歌を詠んでいる。
そんなエピソードから高岡では毎年10月に「万葉集膳20巻朗唱の会」という市民参加のお祭りがあります。
三日三晩かけて万葉集に収められている全ての短歌を順番に朗唱していくのです。すごい、、!



ここからは万葉の世界を堪能しませんか?





というわけで、私たちがやってきたのは万葉集をテーマとした全国で初めての専門施設「高岡市万葉歴史館」です。
初心者でも楽しめるように大伴家持の生涯をスクリーンや人形劇で知ることができる「家持劇場」や、
万葉集に関する資料や図書などを多数揃えた図書閲覧室、常設・企画展示室など充実の内容です。
四季に分けられた自然庭園には万葉集で詠まれた草花が植えられています。








★(^^;)… ここ万葉歴史館には新谷さんという素晴らしくロマンチストの総括研究員がいらっしゃいます。
実は小川、かつて1997年10月3日(金)、ヒルサイドアベニューの出前生放送を、
ここ高岡の古城公園から全国へ向けてお届けしたのです。おりしも、「万葉集膳20巻朗唱の会」の当日で、
小川も乙姫さまのような万葉衣装に身を包んで、

28番 持統天皇作:
「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の ころも干したる 天の香具山〜」

なんて朗唱させていただいたのでした♪




お恥ずかしい…当時の写真ですぅ




★(^^;)… ですから、その時の番組参加テーマも(あの頃は、まだメール参加は少なくて、ファックステーマは、、
なんて言ってたなぁ。。)全国の皆様に平成万葉恋歌を作りましょう〜だったのです。
ここでゲストとして作品審査をおこなってくださったのが、他ならぬ新谷先生だったのでした。
今でも思い出す、優秀作品のいくつか。


・ 富山市のエイメイさん26才女性の作品
いつまでも 消せないでいる番号を 見ては溜息 止まる指先

・ こうじくん 22才男性の作品
小さく たたんだ レシートに 二人で過ごした 週末がある


新谷さぁ〜ん、きゅーんとくるイイ作品を選んでくださいましたねぇ〜。。。
今回は、自ら館内を案内してくださいました。なんと広々とした近代的建築の中に様々な展示を見学しながら、
屋上に出ると、なんとそこは?!



屋上の自然庭園で、ちょうど藤の花が満開となっています。
藤棚の下に座っていると藤の花の甘い香りが…。
目の前には家持の「立山の賦」を刻んだ大きな歌碑がありますね〜。
この歌に歌われている立山連峰や家持も見たであろう奈呉の浦(富山湾)の眺望もここから楽しむことができます。

時代は違いますが、当時の歌人たちもこうやって景色を眺めていたのかなぁと思うと、
何だか不思議な感じがしますね。




★(^^;)… 1300年も昔の奈良時代に思いを馳せて、あなたもここに来れば、万葉詩人になれます。
心静かに 平成短歌、恋の歌を詠んでみるのはいかがでしょう。
あぁ、みやび。



今度はその万葉集にも詠まれた二上山に行ってみましょう!
ここは高岡市の郊外にある標高約300メートルの山で、二上山万葉ラインは
8.4キロメートルのドライブ&ハイキングコースです。
眼下には高岡市街が広がり、晴れた日には目の前に立山連峰、遠くに能登半島も一望できます。
木々に囲まれた道を進むと、大きな釣鐘がっ!!
高岡は大きいものが妙に多いような気がするのですが…私だけかな?(笑)




★(^^;)… 大きい〜ことはイイことだぁ〜♪by山本直純



この鐘は「平和の鐘」といって、昭和44年に世界平和と社会の繁栄を祈念して建立されたそうです。
しかもこの鐘、誰でも撞いていいんですって!
そういわれたら…撞きたくなりますよね〜(笑)
じゃあ、もこさん!一緒に撞いて高岡の町にこの音を響かせましょう!




★(^^;)… キューワちゃんとぶら下がるようにして、鐘を撞いている様子、動画で観られるかな? 楽しいです。
行く機会があれば、ぜひどうぞ♪



次にやってきたのは、勝興寺です。



今から420年前の戦国時代に築かれた寺院で、勝興寺の境内は、かつて奈良時代に、
大伴家持が越中国府として赴任中、国庁(今の県庁)のあったところとされています。
この勝興寺には昔から「七不思議」と呼ばれる不思議な逸話が残っています。

・・・「実ならずの銀杏」「天から降った石」「水の涸れない池」「屋根を支える猿」
「魔除の柱」「雲龍の硯」「三葉の松」。

…どういった内容のものなのか気になりますよね。




★(^^;)… 我々、すっかり探検隊になった気分で、「あいの風」の杉山さんを隊長に、お寺のあちこちを探して歩きました。
楽しいよ〜
でもね。大きな銀杏の木があって、それが七不思議の筆頭なのですが、ちょっと哀しい物語を杉山さんが教えてくださって。
曰く、

「昔、この銀杏の木にも たわわにギンナンが実っていた頃、それを取ろうと多くの子供達が登っていたそうな。
ある日、一人の子が木から落ちて帰らぬ人となったのです。母親はたいそう嘆き悲しんで、
(この木にギンナンがならなければ、うちの子は死なずにすんだのに…)と口にした。
その翌年から、いっさい、実がならなくなったのです。。。」

この雌木の銀杏の木は 老木で まるで乳房のように幹が垂れ下がっています。
その様子を見ても、母の愛がそこにあるようで、心が痛みます。。。




ちなみに地元の方は勝興寺を「ふるこはん」と親しみをもって呼んでいるそうですよ。




★(^^;)… 「ふるいもこはん」(!)ではないので、そこんとこ よろしく!



旅のラストにやってきたのは雨晴海岸!
氷見市との境にあり、白い砂浜と松林の美しい海岸線が続いています。
運がよければ、海の上に3000メートル級の立山連峰を望むことができます。
大伴家持もこの雨晴海岸の絶景を歌に詠んでいますよ。




★(^^;)…万葉集 からですね。
巻第十九 4206 
・渋谿(しぶたに)を さして我が行く この浜に 月夜飽きてむ 馬しまし止め
[作者] 大伴家持 [意] 渋谿をさして我々が行くこの浜で、月を飽くまで眺めよう。 馬をしばらく止め給え。

巻第十七 3954 
・馬並(なめ)て いざうちゆかな 澁谿(しぶたに)の きよき磯廻(いそみ)に 寄する波見に
[作者] 大伴家持 [意] 馬を並べてさあ行きましょう、渋谿の崎の清らかな磯辺に寄せる波を見に。

この渋谿(しぶたに)といのが、現在の雨晴海岸です。



この「雨晴=あまはらし」という地名、とってもユニークですよね?
これは文治3年(1187年)に源義経一行が奥州へ落ちのびる途中、にわか雨に降られ、
弁慶が持ち上げたという岩、義経岩で雨が晴れるのを待った伝説に由来しています。

雨晴海岸沿いにはJR氷見線が走っていて、鉄道が好きな方にはたまらないビューポイントです。
JR氷見線では氷見市出身の漫画家、藤子不二雄Aさんの人気漫画「忍者ハットリくん」を車両にラッピングした
「忍者ハットリくん列車」が1日6往復限定で走っていて、列車と雨晴の絶景を同時に楽しめますよ!




★(^^;)… ちょうど海岸に立っていたら、ハットリくん列車が通り過ぎ、皆できゃー!っと手を振って見送りました。
乗った飛行機がピカチューだったのと同じような 大人でもワクワクするうれしさなんだよな。



というわけで、今回の旅を振り返ってみますと、高岡の魅力を再発見できました。
2009年に開町400年を迎える高岡市は、今年夏には東海北陸自動車道も全線開通し、
町全体が非常に盛り上がっています。
みなさん、未来の世界遺産を是非ゆっくりと旅してみてくださいね!




★(^^;)… ほんとに。富山県の各町の魅力、他県代表として誰よりも知っているつもりの小川もこでしたが、
今回の旅は 目から鱗がぽろぽろと。とても良い旅でした。
この道を この木のぬくもりを この場所を 多くの先人たちが 歩き、触り、寝起きし。そう、そこに生きていたんだなと思うと、
言いしれぬ感動で 胸がいっぱいになるのです。

古きを温ねて新しきを知る旅。心が喜ぶ旅が ここで味わえると思います。
ゆっくりと ぜひ 来てくださいね。高岡の町は 両手を広げて あなたの来訪を待ってくれていますよ。

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