周辺地図はコチラ
 
旅人 : 井門宗之

地下鉄・副都心線開通記念! 
東京歴史散歩(新宿〜渋谷編)

HOME副都心線1>副都心線2
     
 

20.2km。これが副都心線の全長となる。和光市から渋谷までが結ばれた13番目の地下鉄。
そしてこれが、事業としては東京最後の地下鉄。最初の地下鉄は作業員達が、
それこそ汗水流しながら手堀りで進めていった。重機を入れてではない、途方もない時間作業。
東京の地下鉄事業が完結するのを、決してこの目で見る事は無いと知りながら、それでも未来の
東京を夢に見ながら掘り続けていたのだ。それから80年。東京という街の表情も、人も、
めまぐるしく変わっていきながら、ここに最後の地下鉄「副都心線」は完成した。
変化の速度が日本一早い東京で、各駅停車の副都心線に乗って我々は旅をした。

まず我々が向かった先は、【新宿三丁目】。
江戸時代、新宿の中心地だった場所でもある。
ここは歌舞伎町とも、新宿駅のある中心部とも違う(両方の場所に歩いて10分位なのだが)雰囲気を持っている。
「街」というよりは「町」。この新宿三丁目には沢山の飲み屋があり、
夜ともなると大いに賑わうのだが、「極めて健全な賑わい」という印象なのだ。
そしてここには東京でも老舗の寄席小屋【新宿末廣亭】が町の中心にドーンと存在する。



新宿末広通り商店街。ちなみにコレは昼間の様子


商店街の入口には落語家さんの看板が!

時代劇のセットかと見まがうばかりの外観には、その日に高座に上がる噺家さん達の名前が、
これまた雰囲気のある寄席文字で掲げられ、【一枚看板】にはその日のトリを務める噺家の名前が、
大きく、どこか誇らしげに掲げられている。それもそうだ、1年間でこの一枚看板に名前が挙げられる噺家は
延べ74人しかいないのだ。現在第一線で活躍している噺家の多くが、この新宿末廣亭から巣立っていった。
我々はこちらの社長的存在である「席亭」の北村幾夫さんにお話を伺った。

実は北村さんとは3度目位の再会である、井門。だがその度に『いつ会ったっけなぁ・・・』と軽くあしらわれる井門(笑)。
このさっぱり感も江戸っ子には必要なのだ。長く噺家さんを見てきた席亭の、どこか飄々としながらも、
根っこは熱い親分肌の性格に皆惹きつけられているのだろう。
かく言う僕も、席亭との話が毎回楽しみなのだ。今回も席亭ならではの言い回しで、
落語の面白さを語っていただいた。

「落語は大体持ち時間が15分だから、その人の話がつまらなくても、15分経ったら別の噺家が出てくる。
我慢しても15分だから、その内、面白い人も出てくるんだよ(笑)」

おいおい、確かにそうなんでしょうけど(苦笑)。

この末廣亭の中は、椅子席と桟敷席が高座に向かって並んでいる。そこに座る人の目が全て、
高座に向けられるのだ(当たり前だけど)。しかもその距離が近い。
息遣いや所作の一つ一つが間近に伝わってくるのも寄席の良い所であり、噺家さんにとっては緊張する所でもあるだろう。
ただし、だからこそ毎回が真剣勝負になるんだろうし、こういった場所で修練を積むから、
本物の芸が身についていくものなのだ。僕が毎回公開生放送をやる様なもので、
そう考えると確かに度胸と技術はついていくんだろうなぁ、と思う。その代わり、
いつまでも未熟なままではいけない。成長の速度が遅いと、お客様を退屈させる事になるわけで。
やはり、並々ならぬ努力が必要になってくるのだろう。

そうして努力する噺家さんを、一番近くで見守ってきた北村席亭。
若手の頃から見てきた噺家さんが、二ツ目、真打と昇進していって、トリを任せるまで成長するのを見ると、
まるで自分の子供が巣立つ感覚になるのだという。「まるで親の気持ちですね?」
僕が言うと、顔をくしゃくしゃにして「良い事言ってくれるね〜。本当にそうなんだよ!」と、照れながら話してくれた。
うん、末廣亭はこれからもきっと元気だ。



庄助の店内には、こんなメッセージも…


出井さんと一緒に!

夜の帳が降りて、新宿三丁目が賑わい出す時間。僕らは【新宿末広通り商店街】の会長であり、
この界隈に11軒のお店を経営する出井猛さんにお話を伺う事が出来た。
岡山の倉敷から出てきて、夢を追いかけ、新宿三丁目でその夢を実現させた出井会長。
70歳を超えていながらも、ますます町の発展の為に何が出来るかを考え続けていらっしゃる。
だから夢を追いかけてこの町に来る若者を、本気で応援したいとも仰っていた。
何十年もかけて町の発展に尽力してきた出井会長の言葉には、輝きと愛が溢れていて、
・・・何だかすっごく格好良かったなぁ。甘くて切ない若かりし頃の恋の話も聞いちゃったし。
そうそう、出井会長が経営する『やきとり酒蔵・庄助』。会長とのアポよりも随分早く到着してしまったYAJIKITA一行は、
お店で軽く焼き鳥なぞをつまみながら(晩ご飯ですよ)、会長の到着を待っていました。ビールが飲みたい衝動を必死に抑え、ウーロン茶で耐える井門。それをしり目にホッピーを注文するディレクターのM氏と構成作家のK保氏(苦笑)。
お店のメニューは、どれもがリーズナブルでしかも美味しい♪ 店長の焼き鳥捌きも素晴らしい! 
出井会長のたゆまぬ努力と、お店全体のチームワークがなせるわざなんだろうなぁ、とひたすら感心。
今度はお酒と焼き鳥をいただきに、
そして今度こそ酔っ払いに遊びに行かせてもらいますよ、会長!
取材が終わり帰り道。この日も出井会長が愛する新宿三丁目は、沢山の笑い声で溢れていました。



新しくできた北参道駅の上は背の高いビル!

さぁ、YAJIKITA ON THE ROAD『副都心線沿線の東京歴史散歩』。
続いては【北参道】の駅を取材なのであります。
ここ場所的には新宿三丁目の隣の駅になるんですけど、いやはや緑も豊かで静かな場所なんです。
副都心線の駅が出来るまでは、千駄ヶ谷・代々木・原宿の三角形の真ん中に位置する、
ちょっとだけ不便な場所でした。まぁ、駅がなかったからこそ、静かな街・住宅街として発展してきたんでしょうけど、
これからどんな変化を見せていく事やら。

実はこの街には『将棋の聖地』と言われる場所があるんです。
それが『将棋会館』!!
北参道駅から歩くこと10分程度でしょうか、これまた緑豊かな神社のすぐ傍に将棋会館はあります。
東京と大阪にしかない将棋会館の、東日本の拠点がこちらの将棋会館になるわけです。
取材日は土曜日の昼頃だったのですが、一般のお客さんが利用出来る『道場』は、
様々な年齢の棋士達の熱気で溢れています。この道場では受付で対局の申請をすると、
その人に合った「棋力(きりょく)」の人を選んで「Let’s!対局」となるそうで、
なので道場で将棋を指している人達の組み合わせも様々で面白い。おじいちゃん同士は分かるとしても、
棋力が一緒なんでしょうね、明らかに小学生vsおじいちゃんの机もある。小さな子供の一手に、
おじいちゃんが「ま・待った・・・!」なんてやってるのを見ると微笑ましくていい。

僕も将棋はおじいちゃんから教えてもらった。確か小学生の2年生くらいだったと思う。
僕らが小学生の頃は学校のクラブ活動の中に「囲碁・将棋クラブ」なんてのもあって、
クラスでも強いヤツは結構な腕前だった気がする。昼休みともなると、彼らが集まって将棋を指しているのだが、
僕は運動派だったので、そんな風景を遠くから眺めていた。あれは確か、怪我をして休み時間に体育館に行けなかった日だ。バスケとか出来ない悔しさで「むぎぃ」ってなってると、
教室の隅で例によって将棋を指している奴らがいる。「井門君も一緒にどう?」なんて言われて、
覚えたての将棋を指してみたんだが、もうメタメタで(笑)、悔しかったなぁ。運動なら負けないんだけど、その日以来、
彼らに一目置く様になったもの。頭を使うだけに、頭脳戦で負けた感覚が悔しさを倍増させるんでしょうか。
スポーツの競技で負けたのとは違う悔しさ。

おじいちゃんと将棋を指して遊んでいる時のこと。おじいちゃんの銀が僕の桂馬の射程範囲にきたんです。
多分おじいちゃん、油断したんでしょうね。僕が「本当にいいの?」って聞いても、
「大丈夫だ」と言い張るから、桂馬で銀を取ってやったら「あ・ああ〜〜!!待て待て!」だって(笑)。
小学3年生頃の記憶ですけど、あの顔は20年以上経っても忘れないなぁ。将棋に纏わる想い出。

熱線が各席で繰り広げられる中、YAJIKITA一行を爽やかな笑顔で迎えてくださったのは、
日本将棋連盟広報部広報課:山田穣太郎さん。笑顔が素敵なナイスガイである。
将棋の歴史は長く、そのルーツになっているボードゲームはなんと紀元前からあるんだそうだ。
インド発祥のそのゲーム、シルクロードを西へ進んでチェスに。
東へ進んで将棋に変容していったんだという。ちょっと凄いですよね。
戦国時代は「戦の見立て」として武将達も嗜んでいたというし、
そもそも頭を鍛えるにはとても良いゲームなのではないだろうか。僕も以前「脳を鍛えるラジオ特番」を担当した時に、
森内名人に話を伺ったのだが、名人級になると「何手先まででも、読む事が出来る。」と言うし・・・。
これは久々にさしてみますか!?という事で、急遽山田さんと対局する事に。
結果は・・・本編でご存知ですよね??(苦笑)言うまでもありゃしません。



僕が詰められた瞬間をキャッチ!


対局後に、山田さんと記念撮影

将棋勝負でしょんぼりしつつ(結局負けたんかい・・・)、我々が次に向かったのは、
東京の街の中でも集まる若者が気合を入れておしゃれをしてくる場所!!
そう原宿なのであります。ここは副都心線の【明治神宮前】駅があり、表参道と明治通りが交差する
場所に駅があるということもあって、若者の流れがまた一つ増えそうな予感。
取材日当日も、多くの若者や外国人で溢れていました。原宿はまさに若者文化の中心地。
20年前にはタレントショップが立ち並び、現在も多くのアパレルやブランド店が軒を連ねています。
この日々変わりゆく街「原宿」で、我々YAJIKITA一行は、「昔懐かしい原宿」を探してみた。

実はここ原宿、表参道・明治神宮と非常に緑が多い場所に囲まれている。そして実は住宅が多いのだ。
『えっ!そんな〜(笑)』とお思いになるリスナーの方も多いでしょう。僕もこの日取材に来るまでは、
原宿が住宅街だったなんて言われても信じませんでした。ところが長年この地で暮らすお二人の方に
お話を伺ってから、そんな思い込みは跡形も無く消えていったのです。



竹下通りの入口。週末とあって人、ひと、ヒト!


竹下通りの真ん中辺りにある、原宿名物クレープ!

今回の旅で原宿竹下通りを案内してくれたのは、原宿竹下通り商店会事務局の会長:新井和明さんと、
理事の岩橋吉行さん。お二人とも生まれも育ちも原宿の(ちょっとそれって凄いですよね)チャキチャキの原宿っ子だ。
この竹下通り、日本で最も有名な通りの一つである事は間違いないだろう。
歴史に残る様々なムーブメントはその多くが、この地から生まれたのだ。



駅前の歩道橋からノスタルジックなJR原宿駅舎を
見下ろす!後ろの緑は明治神宮の森。
さらに奥に見えるタワーがDoCoMo本社ビル。
まさに「今」と「昔」の融合


歩道橋の上で、新井さん、岩橋さんと一緒に!


この歩道橋からはトップアーティストのライヴでもおなじみ、代々木第一体育館がみえる!


さらに180度振り向くと、表参道が一直線に伸びている。
この先がラフォーレ原宿のある神宮前の交差点。
さらにその先が表参道の交差点。

62歳の新井さんは変貌する原宿の姿を、35歳の岩橋さんは変化と共に、
間近でその原宿の歴史を見てきた。まずお二人に薦められるまま向かったのは、JR原宿駅が見下ろせる歩道橋の上。
この原宿駅、表参道口の駅舎は1925年に竣工した木造建築で、都内に現存する木造駅舎で最も古いのだそうだ。
古い物が残っているのは当たり前なのだが、それが最も人が集まると言える「駅舎」だったなんて!? そう思ってから、
原宿駅を見下してみる・・・。なるほど、と思う。
ちなみにここからは代々木体育館、表参道、新宿のNTT本社ビルなども眺められ、なかなかの穴場絶景ポイントでしたよ! 
その後は坂を下りながら脇道へと移動。一本脇道に入ると、途端に住宅の姿がチラホラ出てくる。
「ラフォーレ原宿」の裏側なんて、なかなか閑静で良い雰囲気なのだ。
そんな中にぽっこり現れるのが【東京中央教会】。茶色のシックな外壁が閑静な路地の中にひっそりと佇んでいて、
思いがけずこの教会を見つけた若者は「ほ〜」っと溜め息をつきながら、
その脇を通っていく。この辺も岩橋さんの子供のころは遊び場だったようだ。




今はラフォーレ原宿の真後ろにある東京中央教会だが、
昔は、このラフォーレ原宿の場所全体が
教会だったらしい…。ちなみに、このラフォーレの前の
道の真下が副都心線「明治神宮前」駅

「あそこは○○さんの家だったんだっけ?」「そうそう、で□□に越してったんだよ。」

二人の会話は完全な地元―ク(苦笑)。すぐ近くにはその昔、川も流れていたんだとか。
普段何気なく歩いている原宿にも、そんな場所があったなんて・・・。
「そんな場所もあったなんてシリーズ」では無いが、明治通りを歩いている時に、ふと新井さんが、

「この明治通り沿いに、その昔“ルート5”って言う、ドライブ・インの元祖があったんです。
残念ながら、どんな資料を見ても当時の写真が無いんですよ・・・。見つけたい!」

原宿に「ドライブ・イン」の元祖かぁ・・・。何だか出来過ぎな位、雰囲気あるなぁ。
もしリスナーのどなたかで、そんな資料がある! という方は是非ご一報くださいね♪
昔の懐かしい話に華を咲かせながら、明治通りを進んでいると、
何とも静謐な空気感の漂う場所に出てきた。かの【東郷神社】である。
やはり威厳漂う神社だなぁ、なーんて感動していたら、何故か二人はリラックスした笑顔。
そう! ここは言うまでもなく、原宿っ子達の遊び場だったのだ。
緑が多く、池もあり、今では東郷記念館という結婚式場もあるこの場所は、
今も昔も原宿っ子達の格好の遊び場であり、新井さんと岩橋さんも、
「この辺から岩の上を飛んでいって、向こう側に行けるんだよな!?」
「そうそう、この池には1匹だけスッポンがいてさ〜!」まるで二人とも少年の様だ。
お二人に原宿の良いところを聴いてみる事にしよう。

「なんせこの辺りは住宅街。娘も僕と同じ保育園に通ってたり、夜は8時位には店も閉まって静かになるから、
治安がとっても良いんだよ。地元住民が多い街はなんてったって治安が良い。」
「原宿は山の手の様な“お高い街”ではない。ここも下町なんです。
だから、この辺の商店街が一緒になって盛り上がるお祭りなんかは凄い熱気ですよ。」

そう、あなたが竹下通りを歩いていて、店舗のある1階しか見ていなかったとしたら、
今度遊びに来る時には店舗の2階・3階部分を見上げてみてください。
そこには、この原宿を地元とする【原宿っ子達】のお家が、しっかり存在していますから。
もちろん言うまでもありませんが、地元の人達に迷惑をかけない様に、
しっかりとお洒落して出掛けて下さいね!!



渋谷駅前のバスターミナル。この真下が副都心線の渋谷駅。工事中なのは、2012年に副都心線と直結する予定の、
東急東横線の地下化工事が進行中だから。ちなみに、「千」「円。」看板の奥が現在の東横線ホーム

さぁ、副都心線を大フィーチャーした今回のYAJIKITA。
ついに終点の駅に到着なのであります。東京若者の巣窟(って言わないか)【渋谷】!
渋谷はこの副都心線の開通で、JR山手線・JR埼京線&湘南新宿ライン・東急田園都市線・東急東横線
・京王井の頭線・東京メトロ半蔵門線・東京メトロ銀座線・東京メトロ副都心線、
という8本の路線が交差する凄い駅になった。今もそうなんですけど、混雑と混乱解消の為に、
駅の至る所に係員を配置して対応してますけど、土日の渋谷になると100万人単位で人が集まるし、
一体ぜんたい、この街はどうなってしまうのか少しだけ不安になる。




ミルクエッグ、ミルクセーキ、ソーダも飲めるよ!

変化の速度が速い東京にあって、その速度がトップクラスの渋谷。
そんな街に、実は古くからの表情を変えずに残っているお店があります。
それが「名曲喫茶ライオン」。渋谷東急109がある道玄坂を上り暫く行くと、
何となく不思議な古さを残す『百軒店商店街』に伸びる道に出会う。
この場所にはストリップ劇場や風俗店も軒を連ねているのだが、古くからファンの多い老舗ラーメン店『喜楽』や、
昭和初期から創業のカレーの名店『ムルギー』なども存在する、井門もよく出没するエリアなのだ。
しかしこの店だけは「気になっていたんだけど、入れないお店」だった。
白壁に木枠の窓。昭和25年からこの地に存在する、その何とも言えない存在感。
外からは中の様子が窺い知る事は出来ない。名曲喫茶ライオン。
しかし一歩足を踏み出せば、ボルドーでベロア素材のソファ(背もたれには清潔な白シーツが掛っている)、
二人掛けのテーブルの全ては、向かい合うのではなく、正面を向いて配されている。
照明の落された店内のあちらこちらを注意深く眺めてみると、宮殿の様な柱、
中世ヨーロッパの貴族の城にある様なシャンデリア、壁のあちらこちらに掛けられた、クラッシックの巨匠達の肖像画。
そして何より、正面の中二階程の高さに設置された、巨大スピーカー!!
縦横2m-3m程度はあろうか!? 客席の配置も、実は全てこの巨大スピーカーに向かって並べられていたのだ。
スピーカーにだけ目を奪われていたらいけない。実はその下に、50年物のターンテーブル・・・。小物の全てに至るまで、
ここのオーナーのこだわりと心意気が伝わってくる様だ。
我々は現オーナーの石原圭子さんにお話を伺う事が出来た。

一度戦傷で焼けてしまったものの、1926年からこの地にあるライオン。
坂の上からの眺めが良いからと、道玄坂の上にこの店を構えたのだそうだ。
いまは坂の上にあっても建物が乱立して、何も見渡す事は出来ないが、当時の眺めは相当なものだったに違いない。
石原さんはライオンの2代目オーナーの奥様。内装のこだわり等は、
全て初代の山寺さんという方が作り上げたと言う。
石原さんが嫁いで、お店で働く様になった当時は、近くの駒場東大から学生が沢山きて、
それこそ「お店で出席とった方が良いんじゃないか?」という賑わいだったらしい。
お気に入りのレコードを家から風呂敷に入れて持ってきて、それをかけたり、
電話してきて「○○時に行くから、あの曲かけといて!」と言ってくる人がいたり、
マイタクトを持ってきて、なんと指揮をする人もいたそうです。
コーヒー一杯でいつまで居ても良かったから、当時の学生には有難かったでしょうね。
しかもそのコーヒーも英国仕込みの本物の味。
初代のいとこがロンドンの「ライオン・ベーカリー」と言うお店で修行したそうで、
店名を「ライオン」とするのも、その名残だとか。



スピーカーに向かって一方向を向く座席。喫茶店なのに…


一人用の席もあるよ!


石原さんと一緒に!

石原さんは、この店自慢のスピーカーで、本物の音を聴いて欲しいと言います。

「学生さんがコンサートホールでクラッシックを聴くには、入場料が高いでしょう?
だから同じ様な音質で、しかも格安で(コーヒー一杯の値段)、クラッシックの名曲を聴いて欲しいんですよ。
素晴らしい曲を沢山知って欲しいんですよ。この店で“クラッシックの音”を浴びて欲しいんです。」

取材が終わったあと、実際にこのスピーカーから流れるクラッシックを聴かせてもらった。
その音の迫力はしばし渋谷にいる事すら忘れ、取材に来ている事も忘れ、
ただただ音に身を委ねる事が出来た。ここにまた一つ、決して無くしてはならないものを見つけた気がした。
ちなみに初めてだろうが、クラッシック初心者だろうが、お店はいつでも、
誰でもウェルカムとの事。皆さんも渋谷に来た時は『名曲喫茶ライオン』に足を伸ばしてみては?

昭和47年、当時営団地下鉄で働く職員の頭の中でこの新線は既に走っていた。
埼玉から渋谷を地下で結ぶ一大事業。一体どんな煌めきを放ちながら走っていたんだろう。
多くの人を乗せた茶色ラインの新車両は、36年という長い線路を走ってきた。
ここからは36年分の想いを乗せて、未来へと走っていくんだろう。
ピカピカの車体が、今の時代を映しながら走っていく・・・。

【地下鉄副都心線 開業スナップ パート2】

開業記念式典が行われた6月13日の翌日、6月14日に東京メトロ副都心線が走り出しました!
注目は渋谷駅。地中にある宇宙船「地宙船」をテーマに、表参道ヒルズなども手掛けた建築家・安藤忠雄さんが設計しました。地下に埋められた楕円形の宇宙船の中にホームがあって、列車を降りるとい空間が広がっている。
まさに銀河鉄道999に乗って、どこかの星に降り立ったような、そんな感じなんです。
でも、この「副都心線」の渋谷駅は単に斬新なデザインというだけではなくて、とってもECOな駅だった。
地下は空気がたまりやすいので夏は暑いし冬は寒い。その為、冷暖房を入れて温度調節をするというのが普通で、
地下鉄、地下街、地下道路など地下を発展させる事はエネルギーのECO問題とは逆行する形になっていたんです。
その事に一石を投じたのが、この渋谷駅。この大きくて丸い「地宙船」の空間が1つの空気の流れを作り出して、
自然換気をしてくれる。ホームに進入してきた列車の風圧で、
たまった空気を外に押し出して新しい空気を取り込む「空気の道」を駅の中に作り出したのです。だから駅のある一角に行くと、地下にいるのにずっと上の方に空が見える。まさに世界中から注目されている駅なんです。
実際に、他の駅よりもずっと涼しかったです。



渋谷駅の案内図に楕円形が! これが地宙船のイメージ!


ホームには地宙船のイメージ模型も展示されている!


駅のコンコースには、こんなドーム型の入口も!


ドームの内側はホームに続くエスカレーター
定期券売り場やホームのベンチもまさにスペイシー!


自然の力による換気システム。地下から空が見える
副都心線の渋谷駅は2つのホームの両脇に4本の線路がある。
だけど真ん中2つの線路は東急東横線への乗り入れの時まで使わない。
その為2つのホームが所々で仮の通路でつながっていて、線路の真上を歩けるという珍空間が誕生している


この壁の先では東急東横線の地下化工事が進められている。
2012年にはこの壁が取り払われて、副都心線は横浜に向けて走り出す。

【ガンバレ! 「池86」!】

電車は、排ガスを垂れ流しする自動車に比べてECOな乗り物と言われている。中でも今回開業した副都心線は、
ECOや安全対策をとことん追求した21世紀型の地下鉄である。
渋谷駅の自然換気システムを筆頭に駅や車両で最新の技術と工夫がなされている。
明治通りの渋滞もかなり解消される事だろう。ただ1つ、気になっている事がある。
「池袋86系統の都バス」である。

このバスは、渋谷駅前から出発し明治通りを北に進む。原宿、新宿の伊勢丹前、大久保通りとの交差点と、
明治通りをひたすら走り、池袋駅に着く路線である。そう! つまり今回開業した「副都心線」のまさに真上を、
ず〜っと一緒に走っているバスなのだ。廃止こそ免れたが、
副都心線の開業に合わせて運転本数がかなり減らされ廃止されたバス停もある。
もちろんバスから地下鉄に変わりECO対策としては大成功なのは言うまでもない。
しかし、こまめに停留所のあるバスは、小さなお子さんやご年配の方の強い味方なのである。
15分、20分先の駅まで歩くのはちょっと難儀。地下のホームまで降りるのもしんどい。そんな弱者の為にも、
池袋86系統・通称「池86」のバスが副都心線と、ず〜っと共存し続けることを願っている。
我が国は、ECO対策や安全対策と共に、高齢者対策も重要なのだから…。

HOME副都心線1>副都心線2