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旅人 : 中田美香

生誕100年。太宰が生きた町―三鷹を訪ねて

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「生れて、すみません」って、そんなぁあ〜。
「恥の多い生涯を送ってきました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」って、ネガティブじゃん。

そう、恐れ多くもこれが私のこれまでの太宰治のイメージだった。
「人間失格」に代表されるダークな面、死を追い求める破滅的な性分、
その一方では独りでは死ぬことも出来ない孤独な寂しがりやでもあり、
且つ女ったらしと、正直これまでダザイに関してはどちらかというとマイナスのイメージだったのだ。
でも今回ダザイが晩年を過ごした東京・三鷹の街の旅を通して、
美知子夫人との穏やな暮らしやユニークな一面などを 垣間見た。

そして、旅を進めるうちに、もしかしたらダザイは必死に生きようとしていたのかもしれないと感じた。旅が終わる頃には、
すっかりダザイの印象が「暗」から「明」へと変化していた。

じつは三鷹の地には、もはやダザイが暮らしていた頃の建物は殆ど残っていない。
でも散策していると確かにダザイの面影や幻影を感じることが出来るのだ。

まず最初に向かったのは、2008年3月にオープンしたばかりの「太宰治 文学サロン」だ。
ダザイが頻繁に酒を買っていたという「伊勢元酒店」の跡地に完成した。『ココにレジがあって、
ココに酒が並べられていたのかなぁ〜』『日本酒か焼酎か、はたまたウイスキーか、
やはり青森出身のダザイには日本酒が似合うな〜』なんてあれこれ思いを巡らせると、
今にも和装のダザイが酒を買いにやってくるような気がしてくる。
文学サロン内にはダザイの写真や直筆原稿の複製などが展示されている。

太宰治文学サロンの前の商店街を抜けると、山崎富栄の下宿先「野川家跡」がある。今はマンションになっている。
その斜め向かいには、ダザイが仕事部屋にしていた小料理屋「千草」跡もある。
驚いたのは、野川家跡から目と鼻の先に玉川上水があることだ。未だダザイのその死には謎が多い。
実際、深夜という時間帯どのように二人が玉川上水に向かったのだろうか・・・。様々な思いが脳裏をよぎる。

ダザイの人生の幕が自らひかれた玉川上水の入水地にも行った。自害についての謎は、ここを訪れてさらに深まった。
というのは、目の前に広がる玉川上水は非常におだやかで、水量も少ない。
旅をご案内して下さった、三鷹市芸術文化振興財団文芸課長でいらっしゃる矢野勝己さんによると、
当時の玉川上水は水量も豊富で、急流だったとのこと。「人喰い川」という別名もあったそうだ。
分かりにくい場所だが、道を挟んで玉鹿石があり、青森県金木町と書かれているので、それを頼りに探すとわかりやすい。

三鷹駅から歩いて15分ぐらいだろうか、下連雀という場所にはダザイが亡くなる昭和23年まで、
美知子夫人と子供たちとともに暮らした太宰治旧居跡がある。旧居跡といっても、今はすべて建て替えられていて、
はっきりした場所を確認することは出来ない。付近には、市の施設である「井心邸」がある。
矢野さんにダザイ宅の間取りを訊くと、6畳、4畳半、3畳の借家だった教えてくれた。
以前、青森県金木町にあるダザイの生家「斜陽館」を訪れたことがある。大地主の生まれだったダザイの生家は、
お城のように立派な建物だった。太宰治旧邸宅前に佇み、
ふと、ダザイはどこかこの裕福な故郷の家を疎んでいたのかもしれないと思った。

続いて豪華な洋館、山本有三記念館を訪れた。案内して頂く矢野さんは、実は山本有三記念館の館長を兼務されている。
矢野さんによると、ダザイと山本有三の交流はなかったということだが、
ダザイによる山本有三邸に関する記述は残っているそうだ。館内にはかつての三鷹の街並みを写した航空写真がある。
これがじつに興味深い!
いまでこそ三鷹駅までは快速があり、東京駅からの所要時間は約30分だが、
ダザイが暮らした時代には、東京の中心部からはかなり隔たった場所だったのだろう。
航空写真にはのどかな農村の風景が広がっており、牧歌的な印象だ。

ダザイゆかりの場所で唯一現存している場所は、電車庫通りにある陸橋、「跨線橋」だ。
私たちが取材をしているときにも、親子連れや犬を連れた方などが寛いでいて、まさに地元の憩いの場になっている。
ダザイは陸橋の上が大のお気に入りだったようで、編集者の方や友人をよくこの場所に案内していたそうだ。
打ちっぱなしのコンクリートで骨組は少し禿げかかっていたが、それがまた素朴で良い!
橋からは、 多くの電車を眺めることができ、
ここがお気に入りというダザイって、もしかしてテツ(鉄道好き)?なんて想像して思わずニヤリ。
実際ダザイが電車に興味を持っていたかどうかは定かではないが、
ここから見える夕陽や富士山の眺めはダザイにとっては格別だっただろう。あ〜ん。でも今日は霞がかっていて、
富士の雄大な姿は望めない。日没時間までは時間があり過ぎて待ってはいられないよぉ。ということで、次回にお預け。
私もデートにこの場所使ってみよっかなぁ。あ〜、でもテツコって思われても困るか(汗)。

井の頭公園に到着すると、矢野さんが「とっておきの場所ですよ」と万助橋付近の玉川上水のほとりを教えてくれた。
ここはうっそうと木が生い茂っている。ダザイの入水地あたりの道は綺麗に舗装されてはいたが、
ここからの風景は昔の雰囲気や面影を想像するのは容易い。
そして、私としては何よりも舗装されていない、土のままの道が嬉しい。裸足になりたい衝動を抑えつつ、
緑多き新鮮な空気をおもいっきり吸いながら公園を散歩した。
ダザイは自宅からこの公園を経由して井伏鱒二が住む吉祥寺に向かったり、呑みに行ったりしたのだろうな〜。

最後は、ダザイが永眠する禅林寺へ向かった。ダザイの墓は森鴎外の墓の斜め前にあった。
花吹雪には、こう記されている。
『・・・私の汚い骨も、こんな小奇麗な墓地の片隅に埋められた空想をした日も無いではなかったが、
今はもう、気持ちが畏縮してしまって、そんな空想など雲散霧消した。・・・』

没後60年経った今でも、幅広い世代に共感され支持され続ける太宰の魅力を再確認した今回の旅。
今回、ダザイゆかりの地でダザイの本を何度か音読してみた。 すると、文章や言葉のひとつひとつが、
まるで魂を注ぎ込まれたかのようにイキイキと飛び跳ねていくような不思議な感覚を覚えた。
ダザイの本には、コトバそのものが持つチカラがある。

改めてダザイの本を読み、ダザイをもっともっと知りたいと思った。
生きることに悩み、悪戦苦闘したダザイの人生だったからこそ、今の時代を生き抜くヒントも隠されているような気がした。

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