周辺地図はコチラ
 
旅人 : 井門宗之

山手線命名100周年 東京一周ぶらり旅 
新橋〜浜松町編

〜『久々のロケに行ったら、都内でした!』の巻〜
     
 

突然ですがお父さんっ!! ちょっとインタビューに応えて戴けますか?
今の政治について、お父さんはどう思いますか!?

お父さん@「うぃ〜、ヒック…!! あんだ!? 酒は飲んでも、飲まれるなぁってんだ!」
お父さんA「なんだ!? マイクなら俺に向けやがれ! 歌うぞぉ〜!」

YAJIKITA ON THE ROAD、毎度お馴染みの井門宗之でございます。
さて上のやり取りを見て、そこが都内のどこの場所かおわかりになるでしょうか?
新宿? 池袋? 渋谷? いえいえ、そんな若者の街ではございません。
では正解はどこなのか? お答えいたしましょう!


新橋(シンバシ)!!!


バシッ!!!
何だか片仮名にすると勇ましいですが、この街はよく街頭インタビューなんかに登場します。
オフィスビル群が立ち並ぶかと思えば、お父さん達の聖地「呑み屋街」も負けじと並ぶ、 良い意味で“雑多”な街。この東京を象徴するかの様な街から、今回のYAJIKITAは始まったわけです。
と、なんとなく仰々しく書き始めてしまったものの、今回のヤジさんは【ぶらり】が基本です。
どこかの地方都市に行くわけでも、車をレンタルして移動するわけでも、 美味しい郷土料理に舌鼓を打つでも、地酒にへべれけになるでもありません。

今回は【純粋に東京を眺めてみようぢゃないか!?】という企画。
これはYAJIKITAと言う番組をもう一度考える上でも、意外と大事な企画になるかもしれない。
もちろん地方にあるお祭り、郷土に根付く文化、美しい自然、素晴らしき人々、etc.
数え上げたらキリがないこの日本の宝物をご紹介するのも、この番組の重要なポイントでしょう。
しかし、何気ない風景の中に、わたしたちが日々生活している日常の中にだって、 素晴らしい景色や歴史、人の温かさは詰まっているんです。そこに視点を持ってみようぢゃないか!?
「東京に住む我々が東京を再発見する行為」を通じて、 地方に暮らすみなさんが、もう一度地元の良さを見つめ直す機会になればとも思ったわけでございます。
そもそもYAJIKITAって、そんな番組だしね。
しかも今回、都内に目を向けた時にフックとなるキーワードと出会ってしまったのです。
おっと奥さん、決して<まずキーワードがありき>ではありませんよぉ!
お気楽な我らYAJIKITAさんだって、日々考えているのです!(お酒で顔を赤くしながら…)

そうだ、キーワードのお話しでした。 そのキーワードとは東京で生活する人々にとって欠かす事の出来ない、大事な動線にまつわる事! 何と今年は…、


山手線命名100周年!!


これは素敵な響き。
鉄ちゃんが多いYAJIKITA一行にとって、このキーワードは非常に魅力的!
もう数名の鼻息も荒い。と言う訳で、今回は日本の鉄道の発祥の地でもある新橋駅からスタートなのです!

さて皆さんはそもそも山手線がどんな路線か御存知でしょうか?
♪まぁるい緑の山手線〜真ん中通るは中央線〜♪
というヨドバシカメラの歌でもお馴染みの、東京をぐるりと回る環状線がJR山手線。
細かく言うと色んな分け方があるそうなのですが、ここではざっくりと御説明します。

1周は34.5km、駅の数は全部で29駅。山手線の駅から、
さまざまな場所へと放射状に他社も含め路線が伸びている為に、東京の心臓部とも言える路線だ。
しかし実は100年前の山手線は今の山手線とは少し様子が違っていたようである。
なんてったって環状していなかったと言うんですよぉ、奥さん。
番組内でもお伝えしたのだが、もう一度山手線が山手線と呼ばれるまでをおさらいしましょ!
*この部分は我がチームYAJIKITAの鉄ちゃん、構成作家K保氏の台本に明るいので抜粋。

『日本で最初に鉄道が開通したのが、明治5年・1872年の、新橋〜横浜間。
その後レールは、横浜から、名古屋、大阪、神戸へと伸びて行きました。
そして鉄道の歴史がスタートしてから11年後。
東京から北へもレールが延び始め、上野〜熊谷間が開通。
その頃、東京では、都電の前身・馬車鉄道が数多く走り始め、
横浜方面からやってきた人の流れは、
新橋で馬車鉄道に乗り換え、上野で更に乗り換えて熊谷方面へ移動していました。
でも、貨物列車の場合は、荷物を積み替えないといけません。
しかも小さな馬車鉄道に、大量の荷物を積み替える訳にもいきません。
そこで、まだ土地に余裕のあった東京の西側の地域に、 まっすぐレールを引こうという事になりました。
そして1885年、品川〜渋谷〜新宿〜赤羽と、東京を縦にほぼ直線に結ぶ「品川線」が開通。
横浜方面から、品川、赤羽を経由して、熊谷方面へレールが直結したのです。
その後、1903年に、池袋に駅が出来、大塚、巣鴨、駒込を抜けて、田端に至る、 「豊島線(としません)」が開通。
この段階で、新橋を起点に、品川〜渋谷〜新宿〜池袋〜巣鴨〜田端〜上野までの、
ローマ字の「C」の形の様な路線が出来ました。
そして明治42年・1909年に、 この路線の品川〜田端間を「山手線」と命名(改名)しました。
この1909年から、ちょうど100年目が、今年と言うわけです。』

と、言うわけです(笑) なので今年は山手線にまつわるイベントやグッズが盛り沢山。
ナレーション収録の時も山手線モデルのペットボトルをK保氏がスタジオに持ってきてたっけ。
他にも調べてみたら色々ありました! 山手線の立ち食い蕎麦のお店では、「記念そば」が100円。
コーヒーやらパンやらも100円で売り出していたり。(注:勿論期間限定で現在は終了しています。)

そして実は僕らも、偶然そのメモリアル的な物と出会ってしまったのです!
ちょうど新橋SL広場でオープニングの収録を終えた時、
目の前の山手線ホームには見た事の無い茶色の車両が止まっている!?
聞く所によるとこれも命名100周年にあたり昔の山手線の色を復元した車両だそうで、
この車両に出会えるのはかなりラッキーだと言うではありませんか!?



有楽町駅で撮影


新橋駅前SL広場にて

『こりゃ幸先も良いぞ、久々のYAJIKITA!!』

いつもの様に井門を含め男4人のむさくるしいYAJIKITA一行は、
朝陽もまぶしい新橋SL広場からぶら〜りと徒歩でスタートしたのでありました。

あっ、なぜにSL広場と言う名前か? と言うと、
その名の通りSLがどーんと鎮座しているからであります。
ここは昔レポーターを担当していた時代によく来たなぁ。
駅前の風情もSL広場側は何だか懐かしさを感じさせます。


この新橋というエリアは面白いんですよ。
おじさま達の聖地があるかと思えば、反対側、いわゆる東口には再開発地区の汐留シオサイトがある。
こちらは高層ビルがどんどん建っているお洒落なエリア。
日テレさんとかね、電通さんとか、それはそれは大きなビルで埋め尽くされているわけです。
必然的に首を上に向けて歩く事が多くなるんですが、
少〜し目線を下げた時、我々はちょいとレトロな建物を発見しました!

『旧新橋停車場』

パナソニック電工、汐留シティセンターに囲まれる様にして、静かに佇むレトロな建物がそれ。
明治の時代、そう鉄道の歴史が始まった当時、まさに旅の起点になった新橋停車場駅舎。
元々本当にこの場所に停車場はあったんですが、残念ながら関東大震災で焼失してしまいました。
その後しばらくして、発掘調査で何とプラットホームや構内施設の礎石が発掘され、それぢゃあ!と、
往時を偲ぶために駅舎を再現し建てられたのがこちらの建物なのであります。

石造りで、とても雰囲気の良いこの建物は、当時アメリカ人の設計で造られたんですって。
建てられたのが1872年ってんですから歴史も古い。しかも鉄道発祥の地、起点であり終点。
ここから旅立つ人も、ここに到着する人も、この駅舎を眺めながら色んな事を思ったんでしょうね。
そう思ってこの建物を眺めてみると、周りを高層ビルに囲まれているにも関わらず、
何だか誇らしげに見えたのは、気のせいだけぢゃないかもしれません。

だって、ちょっと考えてみてくださいよ。
「よぉ〜し、ここからオレ達の国も鉄道を作るんだ〜! よいしょっ!」
と言ったかどうかは分かりませんが、鉄道事業の一番最初の測量杭が打たれたのがこの場所なんですよ。
むむむ・・・そう考えるとテンションも上がってきます。
まぁ、相変わらず自由なうちのカメラマンK吾(赤ちゃんの様な笑顔でお馴染み)は、
K多Pと共に隣のポル○ェのショールームに釘付けでしたけど…(おいおい)。

もちろん建物自体は再建となったものなので、中はガラッと変わっています。
当時の駅長室や執務室なんてものはありません。いまこの中にあるのは、鉄道歴史展示室。
1F常設展示と2F企画展示に分かれた展示室は、日本の鉄道の歴史を語ってくれます。
驚いたのは1Fの床。一部がガラス張りになっていて、その下に何が見えるかというと…、
なんと開業当時の駅舎基礎石の遺構なんです。掘ったら出てきた例のアレです。
「鉄道の歴史はここから始まったのか」と思いを馳せながら、
こちらの学芸員:河野真理子さんに色々と貴重なお話を伺いました。



開業当時の新橋停車場も模型で展示されている


駅名と販売している会社名が書かれた汽車土瓶


発掘調査で出土した開業当時のレールや犬釘など


河野さんと一緒に!

中でも放送でもお伝えした、当時の駅弁に付けられた【汽車土瓶】のお話し覚えてますか??
あれは興味深かった。
いわゆる旅のお供、お茶を入れた汽車土瓶が、昔は磁器で出来ていたって言うんですもの!!
しかも飲み終わったら土瓶ごと外にぽいぽい捨てていたなんて…。そりゃ怪我もするよね…。
面白かったのは、【横浜崎陽軒】の土瓶。皆さんあそこのシウマイ弁当を思い出して下さい。
あのお弁当の中に、磁器の醤油差しが入っているんですが、何故わざわざ磁器なんでしょ?
勘の良い方はもうお分かりかな? そう! 鉄道初期の汽車土瓶が磁器で出来ていた名残だそうですよ!
う〜ん、何だか崎陽軒の『粋』を感じてしまった! これからシウマイ弁当買ってこよう(笑)
ちなみに横浜崎陽軒の土瓶が展示されていたのは、一番最初に「本開業」した鉄道が新橋〜横浜間だったからでしょう。
きっと横浜駅で崎陽軒のお弁当と汽車土瓶を携えて、多くの人がこの新橋駅でポイポイ捨てていたんでしょうね(笑)。
崎陽軒自体は明治41年に横浜(現:桜木町)駅構内で創業開始、
シウマイの販売はそこから進んで20年後の昭和3年だそうです。歴史だなぁ…。

1F展示室で河野さんに歴史についてのお話しを伺っている間も、実はこの展示室、
結構な数のお客さんが入ってくるんです。年齢層も男女もばらばらなんですが、
ここが鉄道ファンにとっても愛すべき場所である事の表れなんでしょうね。
ほら、展示室の隣にはビアホールの銀座ライオンさんもあるし(笑)
鉄道の話に花を咲かせながら飲むビールも、きっと美味しいはず!
明治の昔、この駅舎を利用した旅人達だってきっとお酒で喉の渇きを潤したに違いない!
ねぇ? その気持ちが分からないで、何のYAJIKITA ON THE ROADか!?
…と心では10万人の観衆の前で熱弁を振るうが如く思っていましたが、
そんな誘惑はスパっと断ち切り、先へ先へと進みます。
あっ、おおぃK吾、ショーケース見ててもお腹は一杯にならないよ〜。
医者から揚げ物止められてるんだろ〜?

さて、その後YAJIKITA一行は河野さんと共に建物の外へ。
実はこの【旧新橋停車場】、2003年に再建された当時、建物の裏にまるで駅舎と連続する形で、
当時のプラットホームも再現しちゃった。これまた鉄道ファンにはたまらない仕掛け。
外に出て、ちょうどビアホールライオンさんの裏手に回ると、突き出したステージの様な物がある。
これが、長さ35メートルで再現されたホームなわけです。
実は僕ら取材に来た時、この裏側からお邪魔していたんですが、気が付かなかったなぁ。
それくらい周りに溶け込んでいるというか、風景の一部分というか。
でもね、そんな思いはホームの反対側を見た時に吹き飛びました。
何とここにも鉄道ファンにはたまらない仕掛けが!

そぉっと反対側ホームに回ってみると、その下にあったのは、
1873年英国製のレールが復元された軌道だったんです!
ここでは貴重な当時の面影と、明治時代の鉄道の歴史の第一歩を偲ぶ事も出来る。
だけど首を上に向けてみると、高層ビルが立ち並んでいる。何が不思議って、あまり違和感が無い。
ひょっとしたら今回の旅のポイントは、こんな印象の中に隠されているのかもしれない。
本当に数多くの物が雑多に立ち並びながら、でもそれはそれでちゃんと混ざり合っている。
不思議なんだけどあまり違和感は無い。それが東京という場所なのかもしれない。



測量の起点第一杭が打ち込まれた場所には、0哩標識が!


0哩標識前で記念撮影!
傘も山手線カラーでキメてみました!

そんな事を思いながら、河野さんと【旧新橋停車場】に別れを告げて、
おっさん4人のYAJIKITA一行は再びぶら〜りと歩き出したのであります。

さて今回のYAJIKITAには初めての試みがいくつかあるのですが、
その中の一つが「ぶらり散歩」でございます。
取材先も決めず、普段は一人でレポートをする僕がスタッフと雑談をしながら散歩している所を収録。
行き当たりばったりになっても良い! それもOAしていこうぢゃないか!?と。
我等がYAJIKITA ON THE ROAD構成作家のK保さんが良い事を言いましたよぉ。
「今までのYAJIKITAはポイントポイントで取材する【点】での旅だった!
でも今回はそれをやめて、ポイントを結ぶ【線】も収録していく旅にしよう!」
だから、リスナーの皆さんには、僕らYAJIKITA班の一員となっているかの様な錯覚を覚えて欲しい。



「汐留シオサイト」のビルの間を縫う様に走る「ゆりかもめ」

【旧新橋停車場】を離れ、なんせかんせ山手線の駅を巡る旅なので、
お隣の浜松町まで歩きましょうとなったYAJIKITA一行。
汐留シオサイトをぐぐ〜っと歩いているとJRA本社ビルのあたりが、少々雰囲気が違っている。
何というか、ボンジョルノな感じになっている。
ぶらり歩いている我々にとって突然な感も否めないのだが、
実はこの辺り汐留シオサイトの一角はイタリア街なのであります。

皆さんそれでは、ちょっと想像してみて下さい。
まず楕円形の少し広い石畳の広場があります。ありますね? 頭の中に広がってますね?
はい、その広場にはいくつものこげ茶色のベンチがございます。
あなたはそこに座って本なんか読んでるわけだ。
横には向かいのパン屋で買った、焼き立てのパンが入った紙袋を置いてたりして。
ではゆっくりと本から目線を外し、周りを見渡してみて下さい。
するとあなたの目に飛び込んできたのは、2階までを石造りで建てられた10階建てのアパルトマン。
外壁はクリーム色やピンク色、屋根は緑色に塗られている。
あなたがいる広場は、ぐるりとそんな建物で囲まれているわけです。
そう! これが汐留シオサイトに突如として現れた『イタリア街』。ね? ボンジョルノでしょ?
どうやらこの辺りは再開発していくにあたり、
「都内のどこにもないカラーを出そう!」という意気込みによりイタリア色が打ち出されたと言います。
参考にした実際の都市もあって、それがイタリア北部のレッジョ=エミリアという都市。
この都市を参考に、イタリア人建築家に監修を依頼。
厳しいデザインガイドラインを基に作られたのが、この『汐留シオサイト5区イタリア街』なのです。
ここまで徹底して造られているからかもしれません。
ここにはテーマパークとも違う、しっかりとした「街の機能の匂い」がしっかりとしていた。
観光地の匂いが全くしていなかったんです。(【COCO壱】だってアルファベット表記ですもの…。)



目を疑うようだがカレーのチェーン店「CoCo壱番屋」!

突如として都市の中にイタリアを作ってしまっても、何ら違和感のない東京。

この街は物凄く包容力があるのか?

それともただの放任主義なのか?

ぶらりと歩く僕らの目には、まだその判断がつきませんでした。

思い返すと大学生となって上京した僕は、いつの頃からか羽田空港に着いた時に、
「あぁ〜、帰ってきたなぁ。」と思う様になっていた。
それがいつだったのか、もう思い出す事も出来ません。
でもそう感じた時点で既に僕は「東京に包み込まれていた」わけです。
ぢゃあ東京という都市がそんなに優しいのかというと、これがまたそうでもない。
東京にいると常に【暮らすのも腐るのもあなた次第だよ】と言われている気がする。
包容力か、放任か。そんな事を考えながらイタリア街を後にしようとすると、


『Buon Viaggio!(よい旅を!)』


という声がどこからか聞こえた様な気がしました。

さてYAJIKITA一行、録音機回しっぱなし&カメラ回しっぱなしでいざ浜松町へ!
とは言っても、イタリア街からはほとんど一直線に路地を抜ければ駅前に到着する寸法です。
そしてこの「路地を抜ける」というのが実はポイントなんですね〜。
そう、道をたった一本渡っただけで、東京という街は表情をガラっと変えてくれる。



イタリア街のすぐ脇には昭和の雰囲気漂う日本家屋が!

すぐ後ろはイタリア街の綺麗な建物。
ところが道を隔てて、住所が【浜松町1丁目】になった途端、
あっという間に景色は下町に変貌するのです。
お惣菜屋さんや酒屋さんの店先では近所のお母さん達がお買い物をし、
床屋さんの中では地元のおじいちゃんが気持ち良さそうに顔剃りをしてる。
ここにはさっきの場所とはうって変って、人の生活が根付いた、力強い空気が流れている。
建物は、ほとんどが2階建てです。自然と目線も下がっていく。
低い目線は安心しますね、自然とぶらりのペースも上がっていきます。こうして一つずつ角を曲がり、
我々が最後の直線に出た時、真っ直ぐ拓けた路地の先に再び巨大な建物が姿を現しました。
いや、これは「巨大」ぢゃ済まないぞ…「超巨大」と言った方がしっくりくる。

『世界貿易センタービルディング』

JR山手線・京浜東北線の浜松町駅と、地下鉄都営大江戸線・都営浅草線の大門駅と直結するここは、
1970年(昭和45年)に完成した世界貿易振興を目的とした総合センタービル。
完成当初は何と東洋一の高さを誇るビルで、浜松町のみならず日本のシンボルでもあった。
確かに今の子供は、もっともっと高いビルを知っていると思うが、
僕らが子供の頃はここかサンシャイン60だったわけで…。
だから僕も初めて東京観光に来た時、母親にここに連れてこられたわけで…。
あの当時、40階という高さの展望台から眺めた東京の風景はまだ覚えてるもんなぁ。
確か目の前にどーんと聳える【東京タワー】が綺麗だったっけ。
あれから20年以上が経って、いま改めてこのビルの下に立っている。
うん、見上げるとやっぱり物凄く大きいや。早速中に入ってみましょう!

そうそう、さきほどJRや地下鉄との直結と書きましたが、忘れちゃいけないのがモノレール。
羽田空港へ向かうモノレールの駅もあるのが、この世界貿易センタービルディングです。
「あぁっ、あそこか!」と膝を打った方もいらっしゃるでしょうか?
来年40歳を迎えるこの高層ビル、でもビルの中には完成当初から入るテナントもいくつかあって、
このビルに一歩足を踏み入れると、甘酸っぱい懐かしさも感じさせてくれるんです。
なんと言いましょうや、特捜最前線的な…。『私だけの十字架』を口ずさみたくなる、みたいな。
現にこの時も構成作家のK保氏が少年時代に通った歯科医が、まだあったってんだから。
建物に歴史があると、各々の胸に色んな想いが去来する様ですね。
YAJIKITA一同ちょっとセンチメンタルな気持ちで、
この世界貿易センタービルディングに勤める渋沢恒男さんにお話を伺いました。



まだ他に大きな建物があまりない昭和時代の
「世界貿易センタービルディング」      
[世界貿易センタービルディング所蔵写真]


最近の写真と比べてみると一目瞭然!
[世界貿易センタービルディング所蔵写真]

聞く所によると(って言うか本人から聞いたのですが)、
渋沢さんは以前このビルのブライダルも担当されていたとの事で立ち振る舞いが素晴らしい。
流れる様に我々を展望台まで案内していただきましたが、この展望台からの眺めが…凄かった。
40階展望台『シーサイドトップ』の高さは地上152メートル。
展望台は一周200メートル、東京を360度見渡せて、しかも今年の3月にリニューアルしたばかり。
僕が幼い頃に来たイメージとは全く違う、お洒落で落ち着いた大人の雰囲気に大変身していたのだ!



オシャレな1階の展望台入り口


展望台は40階! エレベーターのボタンの数、すごっ!


展望台到着! ロビーもオシャレ!

「何て素晴らしい景色が広がっているんでしょうか!?」

と井門が興奮していると、渋沢さんが誇らしげに、
「当然です! 何てったって世界貿易センタービルディングの最上階展望台ですから!」と笑っていた。



東京タワーと六本木ヒルズ


真下を覗くとこのビルの大きな太陽光発電施設も見える!

この世界貿易センタービルディングでは、1日6500人弱の人々が働いている。
駅も含めてこの場所の流動人口は1日で10万人だそうだ。
いま僕らは物凄い場所から、東京という街を見下ろしている事になる。
ここからの眺めはどこを切り取っても素晴らしいのだが、何といっても東京タワー。
だってここから東京タワーのプロモーション撮影をしたり、
何と言っても東京タワーの社長が「ここから眺める東京タワーが一番美しい」と太鼓判を押したほど。
六本木ヒルズや東京タワーの展望台と比べて、本当に静かな展望台なので教えたくないんですが、
じっくりと東京という街を見下ろしたい時は、ここの展望台が本当にオススメです。



お台場方面


晴海ふ頭方面


新橋方面 汐留シオサイトの超高層ビル群とイタリア街

この旅の終わりに、展望台から我々が歩いてきた所を見下ろしてみた。
新橋から、ここ浜松町。ここまで我々はぶらり、てくてく歩いてきた。
見上げたり、見下ろしたりと、高層ビルも住居も、飲食店も学校も、めちゃくちゃ雑多に並んでいた。
極端に言うと、背の順に並んでいない全校集会みたいだった。
「うん、これが東京なんだよな」と、ある意味納得しながらの旅だったかも知れない。



渋沢さんと一緒に!

旅の途中で考えた。これは、何でも包み込んでしまう包容力なのか、それともただの放任なのか。

そして、旅の終わりに東京を一望出来る、40階の展望台に昇ってきた。
いきなり飛び込んできた大都会・東京の景色。
我々は全員、圧倒された。

そこにあったのは沢山の色と、沢山の物の動きと、沢山のエネルギー。
背の順には並んでいないけど、強く生きる雑草の様なパワーがそこに広がっていた。

目の前に広がる東京は、ただ、ひたすら、美しかった。
そしてそう思わせるのは、この街の包容力なのだ。

『山手線命名100周年 東京一周ぶらり旅』と名付けた我々の旅。

これを最後まで達成するのに、どれくらいの時間がかかるだろう?

ちゃんと最後まで行けるのだろうか?

考えると、不安は尽きる事が無い。

でももう大丈夫。ここからの景色が教えてくれた。

この街にいる限り、きっとどこまでも、誰の事も、東京は優しく包んでくれるはずだ。



今日のオフショット! 浜松町駅名物! 山手線ホームの小便小僧と…。

※(注)使用している写真は、ロケ当日に撮影したものだけではなく、
事前のロケ下見時のものや、追加収録ロケ時のものも含まれます。