周辺地図はコチラ
 
旅人 : 井門宗之

山手線命名100周年 東京一周ぶらり旅 
品川〜大崎間・品川宿編

〜『久々のロケに行ったら、都内でした!』の巻C〜
     
 

「あっ、天気悪いんだ…。」
今年最初のヤジさんロケ前日、天気予報をチェックすると予報は【雨】。
山手線一周ぶらりで雨は正直つらい。おっさん4人が2人1組で相合傘をしながら、
1人はマイクを向け、1人は機材を担ぎ、1人は資料片手に誘導し、1人は喋りまくっている。
傍から見れば何かの宗教かと訝しがられてもしょうがない光景である。雨のロケのつらい所だ。
しかも週間天気予報を見ると、この日だけ雨マーク。前後はお洗濯日和だと、キャスターが伝えている。
ロケは朝の品川から始まる。資料と台本をセットし、翌日の晴れを祈りながら枕元の灯りを消した。

ロケ当日の朝、曇天の東京。予想通りと予想外の事が起こった。
天気は予想通り、予想外の事とは【暖かい】という事。窓を開けると春の雨の日のような、
少し湿り気のある温い匂いが鼻を抜けていく。僕は荷物の中からカイロを抜き、外へ出た。

朝と夕方の東京は上空から見ると、まるで蟻の行列が餌場と巣を行き来している様に見える、と言う。
一定の方向に無数の人の群れが向かい、また一定の方向に群れは帰っていく。その規則性。
東京都の人口、およそ1300万人。
この1300万人のうち、一体どれだけの人が東京の大動脈山手線を利用しているのか。
最も乗降客数が少ないと言われる【JR鶯谷駅】でも1日およそ24000人と言うではないか…。
日本に初めて営業用の鉄道が出来てからおよそ140年。
この間に日本の鉄道技術は大いに発達し、人の居住地域は格段に広がった。
特急電車や新幹線はあっという間に遠くの街まで我々を運んで、そのお陰で物や人の流れが活発になった。
だからこそ、今の日本の発展はあるのだろう。しかし、我々はその間にある小さな町や村、
そしてそこに根付く文化や伝統、はたまた人に、しっかりと目を向けているのだろうか?
東京の人口1300万人のうち、一体どれだけの人が山手線の事をちゃんと知っているのだろうか?

【大都会東京を環状する山手線をしっかりと見つめる事により、新たな東京が見えてくる】

そんな想いから生まれたこの【山手線命名100周年 東京一周ぶらり旅シリーズ】も今回で4回目。
今回の旅は品川〜大崎間をぶらり旅である。
このロケで我々は、間違いなく東京の新たな一面を知る事が出来た、と最初に記しておこう。
そしてその一面は我々の気持ちをどこかほっとさせ、なおかつ温かくしてくれた、とも。
今回もチームYAJIKITAの面々は、それぞれがこの旅に思いを馳せ、朝の品川駅前に集合した…。

なんつってね、仰々しく始めてみましたけどね、今回の旅日記。
ヤジさんとしては、何でこの日だけ【雨】の予報なのさ! とかですね、
電車がこの日人身事故で物凄く遅れたりと、それはもうのっけから色んな事があったわけですよ(笑)
そんなこんなで激ラッシュの山手線をくぐり抜けてきたおっさん4人は、既に憔悴している…と。
でもそこはハプニングを笑いに変えるYAJIKITAでございますゆえ、前回のぶらりを思い出しながら、
あっという間にいつもの調子に戻るのです。まぁ、年齢のためエンジンかかるのに時間は多少必要ですが。
雪国の冬場の車だと思っていただければ…(ほらエンジンかけてから温まるまで時間かかるでしょ…)

で、その雪国の冬場の車ですが、いつものメンバーでございます。
ディレクター:横山氏、放送作家:久保氏、映像カメラマン:慶吾氏⇒途中交代で川畑氏。
そしてMCは井門宗之32歳でございます、あっ、今年の5月で33歳になります。
このメンバーで今回品川から目指すのが、大崎駅!! 大崎に向かってって何があるのか?
ぶらり徒歩で巡ると色んな東京が発見出来るんですよぉ、奥さん。
まぁ、旅の最初に久保氏から万歩計を渡されたので、寄り道する気満々なんですけど…。

今回の旅である品川〜大崎と言うのは、山手線で行くと2キロくらいです。
直線で1キロくらいになるのでしょうか。
まぁ、馬鹿正直に行っていたら大崎まで30分で終わっちゃいますから。
今回の旅は江戸時代に一大宿場町として栄えた品川宿にまずスポットを当てようぢゃないか、と。

品川宿は東海道の一番宿で、江戸の入り口でもあり出口でもあった宿場町です。
1600軒もの家が軒を連ね、7千人もの人がこの宿場町で暮らしていたそうな。
しかも当時は今の様な埋め立て地区はないわけで、品川と言えば目の前が海でしたから、
かなり密集して人が暮らしていた事になる。さらに言えば、ここは海運の要所でもあったので、
本当に様々な物も人も行き来していた、という大都市だったわけですね。
その品川宿の風情は現在の京浜急行【北品川駅】に残っていると言うぢゃありませんか。
そこで御登場いただいた今回のYAJIKITAに欠かす事の出来ない存在が、この方!!

「旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会」の佐山吉孝さんであります!
ダンディズム漂う方で、ブルースシンガーの大木トオルさんにちょいと似てる。
佐山さんにこの品川宿のあたりを案内していただきながら、品川宿の風情を探す旅が始まったのです。
あっ、ちなみに今回の旅のテーマの一つに【一番最初を探す】ってのもありますので、お楽しみに!




八ツ山橋で取材中!

早速の一番最初が【八ツ山橋】でございます。
まぁ、ここが佐山さんとの待ち合わせ場所だったので、我々が出会った一番最初…と、
そんなわけもなくですね(苦笑)この橋、実はあの映画ファンにはたまらない橋だったのです。
その映画というのが、あの伝説的特撮映画…


アバター!!


はいはい、違う違う。
今年最初の嘘八百が飛び出しましたね、失礼しました。
あっ、物は投げないで下さい! 座布団もダメですよ! ちゃんとするから。
では、気を取り直して。
その映画というのが…


HACHI〜約束の犬〜!!


うん、もう特撮ぢゃなくなっちゃったね…。
しかも微妙なセレクトだったなぁ。浮かんでこなくて…(真面目に書けって)
はいはい、もうちゃんとするよ!
その映画というのが…


ゴジラ!!


1954年に公開がスタートしたあの怪獣映画【ゴジラ】。
このゴジラが最初に上陸した土地がまさにこの品川宿あたりだったと。
そして何と上陸後、一番最初に破壊される橋がこの【八ツ山橋】だったわけですねぇ。
知らなかったなぁ、ゴジラの第一歩は品川だったんですね。
そう言えばJR品川駅のホームに【ゴジラらしきものが描かれたプレート】があったっけ。
権利の関係で、駅構内に【ゴジラ】とはっきり言える物がおけないらしいです。大人の事情ですね。
ゴジラの様に勇ましく…とはいかないものの、ヤジさん一行もこの橋からスタートです。



品川駅の山手線ホームにあるプレート。 ゴジラの様で…、T-REX?

旧品川宿の中を歩いていくと、この辺は本当に風情がある事が分かるんですね。
現在は旧東海道に商店街が形成されて、色んなお店が軒を連ねているわけですが、
例えば道路も石畳で統一(一部工事中)されていたり、電信柱を地下に埋めたり、
自動販売機の色や駐車場の入り口さえも、さながら時代劇のセットの様に様変わりしている。
どれもこれも地域住民の皆さんや佐山さん達協議会の努力の賜物なのですよ。
地元をこれだけ愛するってパワーは、街の景観そのものを大事にする所から始まる。
その心意気が品川っ子の【粋】であり、【生き方】なんです。なんと清々しい。
旧東海道沿いに下町:品川がずずいと伸びているわけですが、
ここも地図で上から見ると凄い事になっているのに気付きます。



駐車場の塀も江戸の宿場町風

「あっ、ここは奇跡の町だ。」と思ってしまう。(少々大袈裟かな)

JR品川駅周辺の開発、海側の埋め立て開発、この先にある大井や大森の開発、
第一京浜などの開発…etc.
要は旧東海道の周りは、全てが再開発されていると。
そして、再開発に囲まれながらもこの小さなエリアは、江戸の昔からその姿をあまり変える事なく、
例えば木が成長するようなごく自然な速度で、今にその姿を残しているんです!
そりゃ、車も走ればコンビニだってありますよぅ。
でもそういった外観的な事ばかりではなく、『魂が残っている』と言えば良いのでしょうか…。
もし江戸時代の人をタイムスリップさせて、六本木の交差点あたりにポイっと放り出したら、
恐らく驚きのあまり死んでしまうかもしれませんが、このあたりにポイって放り出したら、
1時間で慣れそう…みたいな。僕も佐山さんに連れられて、商店街の色んな方にお話しを聞いたんだけど、
皆さん口を揃えて言うのが『住み易い』だったんだよなぁ。


駄菓子屋のおばあちゃんは店の外で孫をあやし、
八百屋のおじちゃんは笑顔で地元の野菜の良さを教えてくれる。
商店街を歩けば、「おっ、こんにちは!!」と顔見知りがひっきりなしに声をかけてくる。
「おばあちゃんは元気? 下の子の○○は今度小学校だったよな?」と、
挨拶を交わした相手の家族構成までもすらすらと出てくる。



懐かしいラムネで一休み

良いですか、皆さん?
ここは東京都・品川なんですよ!
JR品川駅は新幹線も止まり、駅前は高層ビルやホテルが建ち並ぶ一大都市なんです。
それが数百メートルも歩けば、いきなり下町の顔をぬるりと出してくるんです。
ここで暮らす方々の、なんとしなやかで頑固な事か!!(褒め言葉ですからね、念の為)
佐山さんと歩きながら、我々一行は、最初のうちは信じられない思いでいっぱいでした。
どこかにワープするトンネルがあって、我々は知らずにそこを通ってきたんだと。
でもね、ここはやっぱり品川なんだと、実感する場所があるんです。

それが『北品川橋』なんだなぁ。



北品川橋の上で取材中!

ここは取材当日にも屋形船が停泊していた『品川浦舟だまり』の上に架けられた橋で、
東京湾へと伸びる運河が流れている場所。
橋の上から何艘もの屋形船が停泊した運河を見下ろし、その視線を向こうべりに伸ばすと石垣があって。
その石垣の上には昭和初期の文豪の家の様な風情の古民家が建っている。
そうかと思うとその奥には高度経済成長期の都営団地が建っていて、
その横にはバブル期に建てられたマンションがあって。
視線をさらにその奥にやると、高層ビル群の品川インターシティ、
さらにその隣には、21世紀に入ってから建てられた高層ビル群の品川グランドコモンズ…。

大正期に建てられた(建て替えられた)北品川橋からの景色は、
この街の絶妙なバランス感覚を見ているようで、鳥肌が立つ。橋を渡ると船宿もあるんですよ!
舟や船宿、そしてまぎれもない磯の香りを感じると、
「あぁ、ここは漁師町だったんだなぁ」と鮮烈にイメージが湧いてくる。
まだこの町には現役の漁師も2人ほどいらっしゃるそうです。心強い!



佐山さんと一緒に!

そういや近くに不思議なものもあったなぁ…。

その名も『鯨塚』。

遡る事今からおよそ200年前の1798年、この品川に鯨が打ち上げられたんだそうです。
その鯨のまぁ、大きいこと。何と全長16メートル、高さ2メートルというから、
現代人よりも背の低かった江戸時代の人々にとってみれば、
『山が海に出来た』感覚だったかもしれないですね。
江戸の人々はこのニュースに大騒ぎして、鯨を曳いて将軍に見せるほどの加熱ぶりだったそうな。
その骨が眠るというのが、こちらの鯨塚というわけ。
ひょっとしたら当時の人は【海の神様】が打ち上がった! と、思ったかもしれませんね。


江戸の風情はあちこちに。
旧東海道には名所、名所に立て看板も置かれ、路地の一つ一つにも名前がついている。
どこに何があって誰がいるのか、これもここに暮らす方々の配慮と心意気なんだろうなぁ。
【内にも外にも優しい】品川っ子達のそんな姿勢も、細かい所に散りばめられている。
おおっぴらぢゃない所が控えめで良いじゃないですか!? 好きだなぁ…。



品川宿本陣跡で取材中!


今は公園になっている品川宿本陣跡

さてさて、実は今回の旅のスケジュールがきた時に、
僕の中で『あぁ、やっとあの悩みが解消される!』ってのがあったわけですよ、皆さん。
コアなリスナーさんならお分かりかと思いますが、品川駅のなぞなぞです。
『JR品川駅』と『京急北品川駅』を地図で見てみると、ある不思議な事に気付きます。
簡単な事ではあるんですが、北品川駅って、品川駅の『南側』にあるんですよね…。
となると本当の駅名は『南品川駅』ってなるのが普通じゃないの??


どうしてどうして?
こんな時こそ、教えて!! 佐山さん!!

佐「ははは(笑)それは単純な事です。北品川って駅名(地名も)は品川宿の北側だから、
北品川って呼んでるだけですから。JRの品川駅って名前は便宜上でしょうね。あそこ港区だし。」


ガーン…。

あそこ港区かよっ!!!


でも山手線の駅にはこんな事、日常茶飯事なんですよね。
目黒駅も品川区だし、地下鉄大江戸線の新宿駅は渋谷区だし。
ただしこれで、昨年から続いていた井門のモヤモヤ(略してイモヤ)も解消!
スッキリした所で皆さんには更に、この旅のテーマでもある『一番最初物』をずらりとご紹介!!
品川発祥の物って、物凄く沢山あるんですよ〜。
レンガ、ペンキ、段ボール、飛行船、鉛筆削り、粘着テープ、カメラ、トランジスタラジオ、ビール、
シクラメン、薬品、家具調テレビ、クリーム状の洗顔料、人工雪、玄米茶…etc.
ちなみに細長いお煎餅に海苔を巻いた『品川巻』は、お煎餅も海苔も発祥は品川、と。
いやぁ、アイデアマンと努力家と、そしてやはり水運の要ってのが、この町を発展させた理由でしょうか。
この町に暮らす方々が誇り高く外の物に寛容なのは、
こうした偉大なる先人達の背中を見ているからかもしれませんね。



路地にはまだ井戸が!

寺町や漁師町を形成し、宿場では当時多くの人々で賑わったであろう品川宿。
色町や賭博場なんかもそれはもう大変な活気だったようで、
品川の鉄火場で生まれたファーストフード鉄火巻なんかは、当時流行の最先端の食べ物だったんでしょう。

さぁ、品川宿をぶらりと散歩中、佐山さんが「面白い物があるよ」と、とある公園へ。
こちら「南品川2丁目児童遊園」はお手洗いも土蔵造りだったり、すべり台の昇る所が櫓になってたり、
思いっきり江戸趣味の公園で、入り口には他の宿場町から譲り受けたという、
それはそれは立派な松の木も植えてあるではありませんか!!
ここまででも十分面白い公園なんですけど、ちょうど公園の真ん中あたりに何やら大きな茶色い箱が。
井門の胸あたりの高さまであり、何やらボタンが10個ついていて、スピーカーらしきものも。
佐山さんいわく、この箱の中には地元の古老が語ってくれた、昔の品川の姿を語ってもらった、
いわゆる「昔話」が収録されているとの事。
祭りの話の後ろには祭囃子も聞こえたり、ボタンが10個あるので、10人の古老の話が聴けると。
子供達はここで遊びながら、時折古老が語る昔話に耳を傾けていると。
こういう取り組みも良いですね、その名も【むかしボックス】!!
もしこの辺りを旅する事があれば、皆さんも探してみてくださいね〜。

いやぁ、しかしですね、江戸時代の風情が町のあちこちに残る下町・品川に、
取材中ずっと圧倒されっぱなしの今回のヤジさん。そんなヤジさん一行を佐山さんがとある場所へ。
今回の取材は本当に佐山さんが一緒でよかった…としみじみ。だって楽しいんだもの(笑)
連れていかれた先は、旧東海道から路地を少〜しだけ入ったどこにでもある民家の前。
ちょっとだけここまで入ってくるのに、緩い傾斜だったので、
少し坂になっている所に降りてきたって感覚でしょうか。でもね、何もないんですよ。うん。
佐山さん、どうしてこんな場所に??



旧東海道からは、ちょっとだけ下がってる

佐「井門さん、目の前の建物、ある物の上にあるでしょう?」

?? 何だろう?…と目を下に向けると、なんと古ぼけた石垣の上に立っているではありませんか!
佐山さん、どうしてこんな石垣の上に民家が建っているのですか? 
ってかこの並びは全部そうだ・・・。

佐「この石垣はね、昔の海岸線なんですよ。その名残りなんです。
埋め立てられる前は、今ぼくらが立っている辺りまで海だったんですよ。」

僕はですね、ちょっとここにきて感動したんですよ。
観光名所であれば、きっと【ここが江戸時代の海岸線也】なんて看板の一つでも出してあるでしょう。
ところが、この石垣は江戸時代のままこの場所に残りながら、ひっそりと民家を支えている。
21世紀のいままで、ひっそりとこの場所にあり続けているんです。
この控えめな歴史の証人のあり方に、何だかちょっぴり感動しちゃったんだよなぁ。

品川宿交流館には浮世絵などが展示され当時の品川宿の姿が一目でわかるようになっている

って言うかですね、ここまで来て今週の旅は終了なんですよ(苦笑)
うん、おかしいよね…。だってまだ品川で、しかも品川宿ってことは大崎方面では無い所にいるわけで。
どちらかと言えば京急線沿線の旅をしている、今回のYAJIKITA。
山手線の1駅を歩く旅なのに、京急線で言うと品川⇒北品川⇒新馬場⇒青物横丁くらいまで来てる。
おいおい、最後は羽田空港ってか!? 万歩計もかなり良い歩数を稼いでいるぞ…。
大丈夫なのか!? 大崎までちゃんと今日のロケ中につけるんだろうなぁ…。
この叫びは喋り手の井門のみならず、カメラマン慶吾氏もDの横山氏も思っていたのでした。
ただ一人、このロケのスケジュールを決めた放送作家の久保氏を除いては。
一人不敵な笑みを浮かべる久保氏を横目に、この旅は次週も続くのでした。
はたして、この先、この旅には何が待ち受けているのか!?
次週のYAJIKITAも、聴き逃すな!! Don’t miss it!!(いつもと違う終わり方でした)



今回のオフショットは、鯨塚のある公園での1枚。
タイトル「クジラにのった少年」

※(注)使用している写真は、ロケ当日に撮影したものだけではなく、
事前のロケ下見時のものや、追加収録ロケ時のものも含まれます。