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旅人 : 井門宗之

山手線命名100周年 東京一周ぶらり旅 
品川〜大崎間・御殿山編

〜『久々のロケに行ったら、都内でした!』の巻D〜
     
 

よく言われるんです。

「井門さんの旅日記はどうしてこんなに長いんですか?」って。

そうですね、右側のスクロールバーが小さくなればなる程【してやったり】って気分になるし、
何よりも読んでくれた皆さんが、この旅の裏側を垣間見る事が出来る! そんな想いでございます。

「その割にまとまりに欠けてますよね?」

そうですね、本人にあまりまとめる気が無いからでしょうね。
「男は小さくまとまったらダメだ!!」と小さい頃何かの本で読んだ記憶もあるし…。
と、言うわけで今回のYAJIKITA旅日記も何となく始まったわけでございますが、
のっけから井門の言い訳から書き始めたのには訳がございまして。
実は今回の東京一周の放送、都合により2回に分けてのOAとなったんですね。
本来ならば『品川〜大崎間』山手線にしておよそ2キロという短いルートを、
機材を担いだおとっつぁん達がエンヤコラと歩いてあっと言う間に終了する所を、
欲張りな放送作家の久保氏の発案で『せっかくだから品川宿もちゃんと見たい』となり、
前回の放送では『品川-北品川-新馬場-青物横丁』と、山手線ぢゃなくて、京急線の旅に…。
そうこうしている途中で、ハタと気付いたんですね、我々。

「あっ、もう既に山手線ぢゃねえ…」

そら急げ、と言う事で品川宿から一路(ようやく)大崎へと歩き出したわけです。
そんな呑気な旅にお付き合いいただきながら、的確に町の魅力を教えてくれるのは、
『旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会』の佐山吉孝さん。
今回も品川〜大崎の間に潜む『一番最初の物』を探しながらの旅となりました!!



品川宿「魚仙」で購入した品川海苔の佃煮


手焼瓦せんべい「船橋屋織江」の品川巻

皆さん前回の放送を覚えていますか?
品川の辺りは『日本で一番最初の物』が沢山あるんだよ、ってお話し。
例えば、品川海苔(生海苔の佃煮が旨かったなぁ…)、その海苔を巻いたお煎餅:品川巻。
他にも沢山の『一番最初』があったわけですが、前回は割と小さな物が多かった気がします。
しかし今回の旅で佐山さんに教えてもらった『一番最初』はちょいとスケールが大きい。
例えば日本のハーレーと呼ばれたオートバイ『陸王』。
これは国産ハーレー第一号なんて呼ばれていますが(昭和11年発表)、これも品川で作られた。
名前の陸王は一般公募だったそうですが、陸王経営陣の中に慶応義塾大学出身者がいて、
慶応の校歌の歌詞にある『陸の王者』というフレーズにもマッチするからと、この名がついたとか。
そして当時、その陸王の親会社でもあった製薬会社の『三共(現:第一三共)』の工場も、
ここ品川にあるわけでございます。
言うなれば品川から国内初となる沢山のお薬も世の中に出ていったと。
佐山さんのお話しを聞きながらのんびり歩いていると、確かに第一三共の大きな工場が聳えている。

下町の風情と、町工場や大規模な工場、そして現在の品川に流れる都会の風情。
ありとあらゆる空気感を内包しているのが、この品川と言う町なんでしょうね。



目黒川にかかる「鎮守橋」


目黒川沿いにある「荏原神社」

佐山「井門さん、ここ品川はあの沢庵漬けの発祥でもあるんですよ!」

井門「???」


いつの間にか周りの景色は車通りの多い場所に変わっていました。
目黒川に沿うようにして通るここは、山手通り。
第一京浜と山手通りが交差する北品川二丁目の交差点。
信号待ちをしている目の前を車やトラックがひっきりなしに走り、
目線を上げると高層マンションが建設中だったりする。
佐山さんに案内されて山手通りを横切り、真横が線路の少し細い路地を抜けると、
そこにあったのは凛とした雰囲気の小さな森の様な場所でした。


佐山「東海寺大山墓地です。」


目の前には石段があり、その横には確かに『東海寺大山墓地』と書かれている。
でも真横には佐山さんとお話しをしている間も、新幹線だの東海道線だのが走っているのです。
随分とにぎやかな場所にお墓があるんだなぁ…。そんな事を想っていたら、佐山さんはニヤリと、
僕ら一行を石段の上へ上へと促してゆく。



沢庵和尚の墓

佐山「ほら、井門さん。あそこが沢庵和尚のお墓ですよ。」


促された方向に目をやると、確かに四方を石垣に囲まれた場所がある。
だけどしっかりとした墓碑らしき物もなく、ただ大きな扁平の石が積まれているだけだ。
本当に沢庵和尚の墓なのか…とそこで皆がある事に気づくのです。
「はっは〜ん、まさか沢庵和尚だけに、漬物石の様な墓石って事か!?」

みなさん御存知の日本の食卓に欠かせない『タクアン』。
このお漬物は沢庵宗彭和尚にちなんで名づけられたと伝えられています。

沢庵和尚は時の将軍3代家光の相談役として勤めていました。
親子ほども年の離れた沢庵を家光は大変に尊敬していたと言います。
当時沢庵和尚がいた東海寺に、合計で70回以上も家光が訪れたと言いますから、相当でしょう。
ある時、物凄い御馳走を用意して待っているという沢庵の招きを受けた家光。
いつもの様に江戸城から東海寺を訪ねます。しかし昼になっても何も出てくる気配はありません。
普段ならば帰ってしまう所でしょうが、この日は沢庵に『途中で帰らない』という約束をした。
これを破れば天下人の沽券に関わる、ってんで家光は黙って待っていたわけです。
昼を過ぎ、腹も減り、喉も渇き…そうこうしている内に2時間も過ぎて、
ようやく出てきたのが沢庵漬けのお茶漬けでした。
お腹も減っていた家光は美味しそうにそれをかっこむと「これは何と言う漬物ぢゃ?」と問う。
禅寺で作る貯え漬けですよ、と応えた沢庵に家光が一言。

「今日からこの名を“沢庵漬け”とせよ!」

こうして出来あがったのが我らが今食べている沢庵のルーツだっていうんですねぇ。
まさに鶴の一声だったわけですが、これ実は家光の美食ぶりを暗に戒めた、
沢庵和尚の教えだったとも言われています。沢庵和尚のお墓が簡素なのも、頷けますね。

こちらの大山墓地には沢庵和尚の他にも、国学者の賀茂真淵の墓や、暦を作った渋川春海の墓、
また日本の近代工業化に尽力した西川勝三の墓など、偉人のお墓が多い。
しかしその中で、我らがYAJIKITAに最も相応しい人物もここに眠っていたのです!
その人の名は…その生涯を鉄道に捧げた人物、井上勝、その人なのです。



「無事に山手線一周できますように」と鉄道の父・井上勝の墓前へお参り

明治時代にイギリスに密航した井上勝はそこで近代鉄道技術をその頭に叩き込み、
帰国後は鉄道頭、鉄道局長、鉄道庁長官を歴任、日本の鉄道史の礎を築きあげました。
井上がいなければ現在の我が国での鉄道の発展はあり得なかったと言っても過言ではありません。
まさに鉄道の父なのです!!
そんな鉄道の父のお墓もこの大山墓地にありました。
目の前をひっきりなしに列車が走る、ちょうど墓地の奥まった場所に眠る井上勝。
本人は今、この下で眠りながら何を想うのでしょうか…。

この品川に鉄道が敷かれた当時、周辺住民の反対運動もあり、その線路は海の上に作られました。
当時の浮世絵を見ると、海を少し埋め立て、その上の線路を走る汽車の姿があります。
佐山さんは言います。

佐山「よく僕らの先祖はそれを反対したよね。今の僕らだったら、線路?
    どんどん作って下さい! って言いそうだもんな(笑)
    でもその御先祖のお陰で、今のこの品川宿の姿が残ってるんだ。」

伝統を残す意義を考える時には、遥か先の未来を見つめる想像力が無いといけない。
いまの下町:品川の姿、残された古き良き品川の姿を見るにつけ、
昔の日本人の想像力に頭の下がる思いのYAJIKITA一行なのでありました。

佐山さんとここでお別れした我々は、久しぶりにスタッフとののんびり散歩タイム。
あっ、今回も作家:久保氏、D:横山氏、そしてカメラマンの…あれ? あれれ?
慶吾氏がいない!! あっ、アイツ別件でいなくなろうとしてやがる!!
おい、カメラどうすんの?…というわけで、ここでカメラマン川畑氏に交代なのです。
ちなみにこの川畑氏は結婚1年目の新婚さん、非常に物静かで穏やかな男である。
と言う訳で、再び4人で移動のやじさん一行ではあるが、目の前には山手線のガードが。
ここをくぐると久しぶりの山手線・内側へ! と言う事は、もう目と鼻の先が大崎駅!!
いやぁ、たっぷりと品川宿の取材もしたし、あとは居木橋を過ぎて大崎に向かうだけ。


横山&久保「さっ、ちょっと道を逸れて、その坂道を登ろうか?」

井門「えっ、なんで、もう良いじゃないでつかー!!!」


井門、魂の叫びも空しく囚われた宇宙人の様に両脇を抱えられ、坂道の入り口に連れていかれる。
この坂道、実は御殿山という場所への入り口でありまして。
「御殿山」と名前が付くだけあって、非常に由緒正しい場所なのです。
そもそも江戸時代に歴代将軍の鷹狩の休息所があった山と言う事で、
その御殿は今はもう無いのですが、いまこの山の上にはある博物館がありました。












翡翠の持つ、温かいものは冷めにくく、冷たいものはさらに冷たく、という性質を利用して作ったという翡翠のぐい飲み、そして究極は糸魚川から持ってきた翡翠の原石をくり抜いて作った、 何と10トンの翡翠風呂…。

いやぁ、翡翠風呂ですよ、奥さん。
このスケールだもの、井門、そりゃ「入ります!」って言うよ。
でもね、入れてくれませんでした(笑) 勿論お湯をはっての翡翠風呂に入れなかったって意味ですよ。
浴槽の中には入っても良いよ、と言われたので、早速エア翡翠風呂体験。
皆さんには画像でお楽しみいただきましょうか(苦笑)



これが翡翠風呂!
僕の入浴シーンは一番最後のオフショットで!


帰り際に館長の好意で勾玉をいただき、それをしっかりと携帯に付けて、
これからの旅の無事を願うYAJIKITA一行。
さすがにそろそろ大崎に向かわないとまずいんぢゃないの?? と言う事で、
ここでようやく山手線ぶらりの今回の目的地:大崎駅へと向かいました。

大崎駅まで来ると、もう周辺はの様相はガラっと変わりますね。
もともと大崎は一大工場地帯だったのですが、1970年代を境に工場が転出、
跡地に続々とビルが建ち並ぶようになりました。
ところがこの土地、皮肉にも、街にビルが入りかける初期にバブルが崩壊して、
駅前の開発がなかなか進まずに空き地ばかりが目立つ様になっちゃったんですね。
「このままじゃいかん!」と行政が重い腰を上げまして、ようやく2002年に、
ここ大崎駅から五反田の一帯が『都市再生緊急整備地域』に指定され、整備が活発化!
確かに僕が上京した10年以上前の大崎って、本当に何にも無かったもんなぁ…。




こうして大崎ニューシティ、ゲートシティ大崎、アートヴィレッジ大崎etc.が、
この街に建ち並んだと言うわけなのです。(ラーメン好きには大崎と言えば六厘舎でしょうか)
鉄道好きにもこの街はたまらない魅力を放っていると思いますよ。
線路を上から覗いてみると、大崎駅を出て左にカーブする山手線、
右にカーブする湘南新宿ライン、その間を地下に入っていくりんかい線。
その先、向こうを見れば新幹線や横須賀線の高架が真横に横切っているわけです。


我らが鉄ちゃんの放送作家:久保氏もこの鉄道デルタ地帯(本人談)を見て興奮気味。
「おぉ、新しい成田エクスプレスだ!」などと鼻息も荒いわけです。
いやいや、久保さん、そんな事よりも、やっとゴールの大崎に着いたんですから、
僕の付けていた万歩計、そろそろはずして歩数確認しても良いですか?

さぁ、2週に渡ってお送りしてきた「山手線ぶらり」。
今回の歩数と消費カロリーはどのくらいだったのでしょうか??


総歩数:1万2132歩
消費カロリー:469.3キロカロリー
移動距離:4.97km

おぉ、これはなかなかいったんぢゃないですか?
すると久保氏「山手線はまだまだ先が長いからねぇ…」と不敵な笑みを。
そうだよ、この企画は山手線を1周する企画なのに、皆さんお気づきだと思うけど、まだ5駅(笑)

でも今回の品川〜大崎の旅は味わい深かったなぁ。
それはまるで沢庵和尚の沢庵漬けのように。

『江戸っ子』ではなくて『品川っ子』。
ここで暮らす人たちは自らをそんな風に呼んでました。
『俺達は生粋の品川の人間なんだ!』 そんな矜持もあるのでしょう。

その町の個性は、やっぱりそこに暮らす人たちの個性に比例するんだと、
今回のぶらりはそんな事に気づかせてくれた旅でもありました。
これから先のぶらりでは、一体どんな個性が待ち受けているのか?
そしてどんな濃厚な出会いと我々は遭遇するのか?

大崎駅のデッキ。
足元を走り抜けていく、山手線。
一駅一駅歩くごとに、確実にこの沿線の駅のイメージが変わっていく。

次は大崎から、五反田!
再び出会えるその日まで、皆さんお楽しみに!!



今回のオフショット。
「翡翠原石館」でエア翡翠風呂体験。贅沢だ〜。

※(注)使用している写真は、ロケ当日に撮影したものだけではなく、
事前のロケ下見時のものや、追加収録ロケ時のものも含まれます。