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旅人 : 井門宗之

香川小豆島・自然のアートの旅:後篇〜

     
 

小豆島の旅は、



本当に、



心から、



楽しかったです!!



                                             -自然のアートの旅日記:後篇・完-





痛っっっ!
あ〜っ、痛い、痛いっ!ヤメて下さい、物を投げるのは!
もう、ちゃんと旅日記書きますから!ホラ、こんな大きなタンコブ出来ちゃったぢゃない。
でもですね、結果的に言うと小豆島の旅の総括って、この一言に尽きるんです(笑)
だから結局旅日記の最後に僕が何て書くか、って言うと恐らく…。
とは言え一部の『井門長日記ファン』の為に今回もしっかりと書いていかねば(苦笑)

前回は『前篇』として、確か【農村歌舞伎】や【棚田】の所で終わったんでしたね。
今回も自然いっぱいの小豆島を巡る後篇の始まり始まり〜!
もちろん今回も我々YAJIKITAの旅をコーディネートしてくれるのは、
小豆島で様々なツアーを企画する『NPO法人DREAM ISLAND』の立花律子さん。
後篇も太陽の様なピカピカの笑顔で、我々に小豆島の魅力を教えてくれるのであります。

さて、ここ小豆島にはいくつか島を代表する特産品があるんですが、
その中の一つに…オリーブ、という名前が出てきます。
「イタリアン等の食材には欠かす事が出来ないオリーブが、ここ小豆島の特産品の一つ!」
これは皆さんも聞いた事がある方、多いのかもしれません。
ぢゃあ、いつから小豆島にオリーブの木が植えられる様になったのか…。

立花さんの口からエラい言葉が飛び出すのであります。

立花「そうですね、この島のオリーブの歴史は【日露戦争】まで遡るんですよ!」

日露戦争は1904年-1905年にかけて当時の大日本帝国とロシア帝国の間で勃発したもので、
大日本帝国の勝利によりポーツマス条約を結び終結した戦争である。
セオドア・ルーズベルトがこの条約を斡旋して、ノーベル賞をもらっていたりしますね。
歴史の知識を少しだけ紐解いてみましたが、はたしてこれとオリーブと何の関係があるのか?

立花さんによるとこうだ。
日露戦争で勝利した大日本帝国は漁業権が拡大した。
すると今まで獲れなかった魚介を獲る事が出来るのだが、
時代は明治の話である。遠洋にまで出ると捕まえた魚の保存方法があまりない。
そこに欧州や米国への留学経験のある偉い人がこう言った。偉い人said!!

「向こうの国ではオリーブオイルに魚を漬けて保存していた様な気がする…」

おぉ〜!油で漬け込むときましたか。
多分今で言う所のオイルサーディンとか、ツナ缶とかの事を言うのでしょうけど。
…とは言っても当時の日本には、オリーブを栽培している場所なんて一つもない。
油を作る前にその元を栽培しなきゃいけない。

そこで時の明治政府・農商務省は日本中にリサーチをかけるんです。
『一体どこがオリーブを作るのに適した土地なのか!?』と。
その中で結局3つに絞られたのが、鹿児島・三重・香川県小豆島だった。
しかしオリーブはそう簡単には育たない。育つには条件があるんですね。


其の壱:水はけの良い土壌であるべし。


其の弐:日照時間は長くあるべし。


其の参:風が強い土地は不可である。



そしてこの3つをクリアした唯一の土地が小豆島だったわけです。
そこから本格的なオリーブ栽培が小豆島で始まった、と。
賢明な皆様ならお気づきですね!そうです、何を隠そうこのオリーブ栽培は、
仰々しく言えば、当時の我が国の一大事業=国策として始まったんです!
小豆島のオリーブ栽培にはそんな奥の深い事実が刻まれていたんですね。
でもこの3つの条件が揃うって、オリーブだけじゃなく人にとっても良さそうですよね。
旅をしたこの日も、オリーブ公園には緑の葉をつけたオリーブの木が元気に育ってました!
ちょうど僕らが旅をしたのが3月中旬、山にはミモザがもふもふっと満開で、
島の植物全体が「うんしょっ!」と本格的な春を前に元気を蓄えている雰囲気。
オリーブの実自体は秋から冬に収穫するものなのでこの時は付いていませんでしたが、
小豆島の穏やかな風に揺れるオリーブの木は、とても気持ち良さそうでした。

気持ちの良い風を受けながら小豆島を走るYAJIKITA一行。
ハンドルを握る立花さんは、窓を流れる景色のひとつひとつに丁寧な解説をつけてくれます。
本当にこの島を愛しているんだろうなぁ…。そのお話しの面白い事。
オリーブ公園を後にした我々が続いて向かったのは、小豆島八十八か所の2番札所。
だったのですが、そこに向かう最中にも面白い発見があったんです!

我々の車が家や商店が建ち並ぶ地区に出てくると、同時に少しずつ醤油蔵が出てきました。
この辺は醤油蔵が多い地区なんですか??と立花さんに聞くと、
小豆島の中でも【馬木(うまき)地区】と【苗羽(のうま)地区】というのが醤油蔵のある地域。
いままさにその辺を走っているんですよ、と教えてくれる。
更に小豆島の醤油の歴史を紐解くと、太閤秀吉の時代にまで遡ると言うではないか!
(どうも小豆島の歴史は思わず唸ってしまうものが多い)

さてさてお立会い、お立会い!昔々のお話をここで一ついたしましょう。

瀬戸内の穏やかな気候に育まれ、小豆島では製塩業が盛んに行われていました。
安定した生産とその味の評判により、島にはどんどん塩の商家が増えていったそうな。
しかしその為に塩の値段がダブつき、塩だけでは儲からなくなってきた。
そこで、この塩を材料とし、その作り方が徐々に広まっていた醤油を作る島民が増えていったんです。
『塩作り』から『醤油作り』へと、所謂「事業転換」が島の中で行われたんですね。
時は太閤秀吉の時代です。
海を越えてすぐの所に商人の町・堺があり、更には天下の台所・大阪もそばにある。
海運が発達していた事もあって、結果的に小豆島の醤油造りはどんどん発展していったと言うのです。

そんな話を聞きながら車を進めていくと、ガードレールや屋根の一部が黒い地域に出てきた。

「井門さん、この辺り黒いでしょう?」と立花さん。

「井門君、かなり腹黒いでしょう…?キキキ。」とは吉武氏。

ちっ、『DEATH NOTE』があったら名前書いてやるのに…。
『幸せくぐり』がやっとだった吉武氏の発言はさておき。
いや、そう言われてみると確かに壁や屋根が黒い…と言うか煤けている様な地域に出てきた。
OAでも喋りましたが、宮崎アニメの【真っ黒くろすけ】の色って言ったら良いんでしょうか?
黒い綿毛でぽんぽん叩いて黒い色をつけた様な、この辺りの地域はそんな色をしているんです。
こ・これは…と頭をひねっていた井門、立花さんの次の一言で息を飲みました。

「これ、黒くなっている部分、全て醤油を作る菌の仕業なんですよ!」

なんですと!!!!これ全部だとすると、どんだけ醤油を作る菌が元気なんだ!

「だから、屋根が黒ければ黒いほど、その醤油の蔵の醤油は美味しいんですって。」

凄い、自然の菌がこれだけの影響力を持っているなんて。
立花さんは笑顔で話してくれたけど、皆さん安心して下さい。
この辺の蔵は全て屋根が真っ黒くろすけでしたので、美味しい醤油を作っているはず(笑)
蔵の取材はこの後だったので、まずはその蔵が並ぶ道を抜けながら山をどんどん登ります。

前回の札所は第72番「瀧湖寺」の奥之院・笠ヶ瀧でしたが、今回は第2番碁石山。
こちらはお寺なのだが、海の神様である金毘羅さんもお祀りしている。
なので参道入り口には鳥居と、その先にず〜っと続く石段があるわけです。
またここには大きな弘法大師像が安置され、お遍路さんを温かく見守ってくれているようだ。

どうも取材する札所を山の上に設定している所に構成作家・吉武氏の悪意を感じるのだが(笑)、
結局昇り切って一番疲れているのは吉武氏なのだからどうしようもない…。
むしろ高所恐怖症の横山Dの目は悟りを開きつつあるようで、これも札所巡りの醍醐味か…。

さて石段を一つ一つ昇ると、脇にはお地蔵様がいくつも安置されている。
これはここにお参りに来たお遍路さんが、「自分のお墓代わりに」と納めるのだそうです。
もちろん骨の納められた墓所は別にあるのでしょうけど、
「自分の死後、気持ちはここにもあるんですよ」とお地蔵様に気持ちを託しているのだ。
恐らくは自分が暮らす場所とは遠く離れた所に、魂の行き場を作る気持ちはどんなものなのか。
一体一体のお地蔵様の、しかし安らかなお顔を見ていると、きっと幸せなんだろうなとも思う。
手を合わせながら、我々も一段また一段と石段を登っていく。

息を切らせながらのぼっていった碁石山。
しかし僕らの目の前に広がった絶景を観た瞬間、息が止まってしまいました。
遥か彼方まで見渡せる雄大な小豆島の景色。
見下ろせば足が竦んでしまう程の高さから、春の緑のふかふかした山の稜線と、
遠くには太陽に輝く瀬戸内海の水平線。
眼下には集落が広がり、醤油の蔵の屋根は黒々と輝いている。

一瞬、感動で涙が溢れた。
初めて来る場所なのに、何故かここに来る事を「待たれて」いた様な錯覚に陥る。
そう思って視線を横に向けると、そこにはお不動様がいらっしゃった。
碁石山の上で、海に出る漁師の道を指し示す波切不動明王様。
弘法大師が唐からの帰路、嵐に見舞われた時に作られたと言われ、
右手の剣は寄せてくる波を断ち切り、左手の縄は最後の一人を救うまで動かず、という覚悟の表れ。
お不動様は危険を断ち切るだけでなく、人間の悪い部分も断ち切ってくださると言う。
吉武氏の事を悪く思ってごめんなさい…。そう思いながら横山Dは手を合わせたに違いない。

我々はその後、有難いことに特別にこちらの本堂で護摩焚きをして戴きました。
それぞれが護摩に願いを込めて、住職にお渡しし護摩焚きの行。
井門家は最近お子が欲しいなぁ…と願ってばかりなので、「子宝成就」と書いてみましたが、
これって男の僕が書いて成就するものなのかと、実は行の途中でそればっかり気になってました。
ちなみに吉武氏は「商売繁盛」と我欲●出しの行だったとさ。

ちなみにお参りを済ませて山を降りると待合所の方に呼び止められました。
聞けば地元のボランティアの方。こちらを訪れるお遍路さんに、
温かい甘酒とお茶を振舞っているんだそうです。こういう触れ合いも心地良い。

今回の旅で札所を2箇所(それもかなり険しい場所)巡り、
随分と心から悪いものが落ちた気がするYAJIKITA一行。
そうすると単純なもので、今度は『味覚で楽しみたい』となるわけです。
まるで小学生の様な感覚でいると、流石は立花さん。

「続いては伝統ある醤油蔵で、美味しい醤油とスイーツを戴きましょう!」

前述の通り小豆島は醤油で栄えた島、と言っても過言ではありません。
島にある蔵もそれぞれ歴史ある蔵元なのですが、僕らがお邪魔したのは『ヤマロク醤油』さん。
こちらは店の歴史が古過ぎて、どの位前からやっているか定かでは無いと…。
ただし聞き伝えによれば江戸の終わりか明治の初めに創業、との事で現在は5代目が守っている。
そもそも「もろみ」を販売していた店が醤油を作る様になったのは3代目の頃からとか。
それにしても昭和24年と言うから、今から60年以上前の事になる。
醤油蔵の前に着くと、風情のある黒い屋根・壁板、醤油の香ばしい匂い…。

極めつけは、醤油作りに欠かす事の出来ない大きな大きな杉樽が入口で迎えてくれるわけです。
敷地内に一歩足を踏み入れた瞬間から、ふわりと芳しい香り。
ぱっと見は大きな古民家の様な作りなんですが、明らかに開かれた入り口の奥には
何かしらの気配があり、恐らくはこの奥に表にあるのと同じ様な杉樽があるのだろうと。
『歴史の重みよ、我々に一体何を見せてくれるのだ〜っ!』なんて息巻いておりましたら、
奥から現れたのはまだお若いヤマロク醤油の5代目:山本康夫さん。

5代目は島を大学生の時に一度出て、更には社会人経験も島外でしているのですが、
社会人として10年程働いてから蔵を継ぐ事にしたという経歴の持ち主。
その辺の歴史については、是非ヤマロク醤油HPの五代目物語をご参照ください!

5代目に誘われるままに、もろみが息づく「命の蔵」の中へと足を踏み入れた我々の行く手には、
大きな扉がございまして、5代目が「キキィー」っと音を立てて開けると、
僕らの目の前には信じられない光景が広がっていたんです!

容量三十二石の大きな杉の樽。
これが僕らの目の前に無数に並んでいる。その数、見えるだけで30本。
しかもここには総数で57本の樽があると5代目は仰います。
ちょっと想像し辛いかな、一つ一つが大きさで言うと、高さ2m、直径2m30。
一石の容量は一升瓶100本分なので、三十二石となると、5,760リットル。
ここの蔵にはおよそ6000リットルもの「もろみ樽」が発酵しながら、生きているのです!

5代目曰く、この「もろみ」の発酵を助けているのが蔵に付いている乳酸菌と酵母菌等の菌。
確かにどの樽にもボロボロの布切れの様な、トロロ昆布の様なものがくっついています。
この一つ一つが発酵を助ける為の菌であり、この菌でないとここの蔵の醤油は作れないのです。
と言う事は、蔵の増築もそう簡単には出来ない。移築なんてもっての他。

空気の混ぜ方で味が変わる。樽の一つ一つで味が全く違う。

夏は菌の発酵で蔵の温度は40度近くになり、冬は山からの風で身体が切れる様に冷たくなる。
しかし毎日毎日しっかりと見ていかないと、醤油は応えてくれない。

あの樽は旨味が出るけど香りが出ないとか、この樽の子は分解が早いとか、楽しそうに5代目は語る。
樽を上から見ると、表面には少し泡が立って、発酵が進んでいる。
空気を好むので、日によって混ぜ方が変わる。要は一日たりとも休む事が出来ない仕事なのだ。
5代目は「ただ混ぜるだけ、醤油を作るのはこの蔵の仕事なんです。」とあっけらかんと話す。
蔵の力を信じて、あくまでも自分をその一段低い所に置いて、謙虚に仕事をする姿。
うん、とても格好良いぞ。

その後僕らは、火入れをする前の生醤油を味見させていただいたんですが、これも旨い!!
樽にあった「もろみ」を布にくるんで毎日少しずつ重ねていく。
重ねる事により、もろみは自分の重みで搾られていく。
加熱をしていないので生の醤油という事になるのですが、
火入れをしていない醤油は旨味のまとまりが無いけど、甘味が強い。旨味の甘味が全然違うんです。

今まで味わった事の無い醤油を体感した後は、忘れちゃいけない『醤油スイーツ』の数々♪
『ワッフル』、『アイスクリーム』、『プリン』…。
しっかり仕事をした和の味と、吟味されたスイーツとの合わせ技。
でも5代目の研究熱心さだと、これはまだまだ醤油を使ったスイーツ、開発しそうだぞ…。

もちろん、【ヤマロク醤油】さんでは何種類かの醤油を購入する事が出来るので、皆さんも是非!
ちなみに僕は鶴醤(つるびしお)を土産に買って帰ってきたんですが、…いやぁ!!旨い!
井門家ではお豆腐にかけたり、納豆にかけたり、色んな食べ物にかけて楽しみました!
我が家の定番になりそうなので、そろそろお取り寄せで追加注文しなきゃ(笑)
若き職人のぎゅっと気の入った醤油、皆さんもお試し下さいね。

そして気の入った素晴らしい味を堪能させてくれたのは、
小豆島のもう一つ忘れちゃいけない特産品『素麺』の【平井製麺所】さん。
小豆島の素麺の歴史は古く16世紀後半には島に素麺作りが広まっていたと言います。
なので、島にある素麺のお店は大体3代目とか、4代目とかが普通なのだそうですが、
こちらの平井製麺所の御主人は「初代」と言うではありませんか!
およそ400年の素麺の歴史がある小豆島において、初代というのは珍しいと言います。

ご主人の平井さんは、そうは言ってもこの道30年の職人。
ところが作り始めの最初の一週間は、とてもじゃないけど食べられる代物では無かったそうな。
くじけて挫折しそうになって、それでも毎日素麺と向き合って、
ようやく食べられる物になった時には、腰が崩れる程に安堵したと。
以来30年、手述べ素麺を作っているが、数年前にようやく納得のいく素麺が出来たと言います。
それまではまだ『素麺に支配されていた感覚』だったそうですが、
その時にやっと『素麺を支配出来た感覚』が持てたのだとか。まさに継続は力なり!です。

僕らが製麺所にお邪魔した時は、素麺を箸で延ばす、所謂【箸分け作業】の真っ最中!
なんと平井さん、この素人:井門に「どうぞ、やってみて下さい!」と言うではありませんか!
良いんでしょうか、私みじんも感じさせないとも思いますが、
生まれも育ちもほとんど札幌…、生粋の道産子と言っても過言ではございません。
「道産子の麺類」と言えば、勿論ラーメンでございます。
あぁ、私は心にラーメンを抱えたままで、この小豆島の特産麺類「素麺」と向き合うのですね。
邪念を抱かないように、平井さんから渡された箸を握り締めて、と。

え〜っと、これを麺の中に通して…少しずつ開いて延ばしながら下ろしていく…と。
おぉ、徐々に麺が延びていきましたよぉ!結構、力の要る作業なんですね!
えっと、次はこれを同じ要領で上に延ばしながら上げていく、と。
よいしょ、よいしょ、なるほど肘を開きながら上げていくんだ!!コツが分かったぞ!

よっ、よっ!!
ほっ!
おぉ〜!!

(井門が童心に帰って楽しんでいるので、しばしお待ちを。)

ppp〜♪
さぁ、これで出来あがりですね!あとは1日乾燥させれば、明日には食べられる様になると!

こうして【麺の箸分け作業】を体験した後は、おまちかねの素麺TIMEでございます!
しかしそもそもなぜ同じ香川県なのに、【うどん】ではなく【素麺】なのか。
勿論諸説あるのですが、本土に比べて島には高い山が聳えている。
これが島に心地よい風をもたらすんですね。そして素麺には乾燥させる為の風が必要不可欠。
また特産品として【ゴマ油】が作られていた為、乾燥防止で使われ、相乗効果で広がったとか。

立花さん曰く、美味しい素麺を食べさせてくれる小豆島でもピカ1に美味しい【平井製麺所】。
ここではどんな食べ方がおすすめなんですか?と立花さんに聞くと、
おもむろにYAJIKITA一行を外のテーブルに連れ出してくれました。
着席すると目の前には箸と、細かく小口切りにされた万能ネギと、すりおろした生姜がたっぷり。
何やら麺つゆの入った猪口がそれぞれ人数分置かれています。
「??」となっている僕らに立花さんは「土鍋でグラグラできます!来たらすぐ食べて!」
まだ何のこっちゃ分かっていない一行の目の前に、すぐに大きな土鍋が!
中ではたっぷりのお湯がグラグラと沸騰し、その中に綺麗な色の素麺がこちらもグラグラ踊っている。

立花「さぁ、早く!」

教えられた通り、猪口にこれでもかと薬味をたっぷり加え、
土鍋の中から麺をすくって熱々を麺つゆの中へ。
薬味をどっさり纏ったキラキラの麺からは湯気が立ち上り、良い香りが鼻をくすぐる。
間髪を入れず一気に口に運んで一息で!!ズルズルズル〜!!

なんじゃこりゃーっっっ!!
このコシは素麺のそれとは訳が違うぞ!!もはやこのコシはうどんではないか!!
しかも細麺なので、喉越しの良さったら無い!!
はっきり言いましょう、取材ぢゃなかったらエンドレスで食べ続けられます(笑)
しかも土鍋ですくいながら食べるので、麺の固さが徐々に変化していくのも良い。
素麺の触感が、少し時間が経つ事でまた面白さを増してくる。

これが素麺を支配した男の味…。

間違いなく人生でベスト1に輝いた素麺を小豆島で食し、
あっと言うまの小豆島の取材もこれにて幕を閉じたのでありました。

帰りの車中。 いつもYAJIKITAの旅の終わりは少し寂しさを湛えているのだけど、
今回の旅は何だかそれがいつもより大きい気がします。
立花さんのお話しを伺いながらも、チームYAJIKITAは寂しさを隠せない。
吉武氏に至っては、もはや抜けがらとなりつつあるのです(苦笑)

きっと小豆島の楽しさは、訪れた人の数だけ広がるのでしょう。
それは立花さんの話してくれた最後の言葉に集約されている気もするんです。

『小豆島に来た人は皆さん、【なんか気持ち良い!】って言って帰っていくんです!』

そう、風の音、波の音、動物の声、それを静かに聞くあなたの心の声。
この島は訪れた人の心を、自然と溶かしてくれるのかもしれません。
この旅を通じて感じた、井門宗之の旅の総括。
そろそろいきましょうか!!





小豆島の旅は、



本当に、



心から、



楽しかったです!!



                                             -自然のアートの旅日記:後篇・完-