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旅人 : 井門宗之

「現在・過去・未来 TOKYOリバークルーズ」
〜水辺から楽しむ知られざる東京の世界〜
(隅田川・日本橋川編)

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〜そうだ、川、下ろう2。〜


皆さん、ご記憶だろうか?
前回のヤジキタはとんでもないコメントで締められた。

 

井門『これ1週に納めるの無理だよ〜!』

佐々木『確かに内容が濃い!』

久保『どうする? どうするのよ、井門P!』

ひそひそひそ…(もはやひそひそ話になってない)

……よし……!! 決めた!



井門『急遽2週に渡ってのOA決定!

SE【カメラシャッター音】C.I.-

記者A『井門さん、そんな事で大丈夫なんですか!?』
記者B『あまりにヤジキタ的…いやこれでは今までのヤジキタ以上に…』
井門『この件に関しましてはこれ以上のコメントは差し控えます。』

SE【記者のヤジ】〜F.O.

はい、皆さんこんにちは! ご機嫌いかがですか?
船上のひそひそ会議(だからひそひそ話になって無いって)の結果、
東京川下り・リバークルーズがめでたく2週渡ってのOAと言う事で、
この【井門のLONGLONG旅日記】も2週目と言うわけでございますね!
あっ…、もう1番上の【旅人:井門宗之】を見つけた段階でこのHPを閉じた方、いるでしょう?
知ってるんですよぅ、そこの貴方、そう! 貴方です(今回前フリがしつこい)。
気持ちは解りますが、読まないと勿体ないですよぅ。
ここには【貴方の知らない東京の姿】が沢山詰まってるんですから…。
いやね、そもそも何故2週に渡ってになったかと言うと、
我々YAJIKITA一行もこのリバークルーズで【目から鱗】の話ばかりだったんです。
川を下りながら、江戸から続く【東京の歴史】や、
高度成長時代が遺した【川の環境問題】を知っていく内に、
いかに自分達がこの街の【川を中心として考えた時の本当の姿】を知らなかったか、
そこに気付かされたわけなんです。しかも東京っ子の久保氏ですら知らない事も多かったんだから。
東京は人口の半数が地方出身者と言われていますが、
その事が一体この街の何に影響を与えているのか(与え続けてきたのか)、
今回は【隅田川】から【日本橋川】に戻り、環境面からこの街を見て行きます。



神田川で一番河口に近い「柳橋」をくぐると、
そこはT字路、隅田川!


隅田川に出て上流を見ると
建設中の「東京スカイツリー」が!

僕らが乗るエレクトリックボートは静かに川を下り続けます。
川幅がそんなに広くない【神田川】を下り、左右に屋形船を眺める【柳橋】を潜ると、
目の前には川のT字路が現れました。しかもその先に広がる川幅の広い事!
そうです【神田川】の行き着く先である【隅田川】がついにその姿を現したんです!
船は【隅田川】に合流するとゆっくり海の方に折れ、そのまま進んでいきました。
【隅田川】の景色は【神田川】とは全く違うんですね。
まず川を走る船の数が多い事。そしてそれを象徴するかの様な事を、キャプテンが話し始めます。

 

キャプ『皆さん火事が起きたらどこに電話します?』

一同『そりゃあ消防署ですよね。』

キャプ『そうですよね、ぢゃあ…川の上だったら?』

うん…確かに船の火事や事故があったらどうするんだろう。
パトカーも消防車もいない川の上だ…。
ここでのトラブルはヤジキタが旅先でトラブるような…(違う違う)。

キャプ『あちらを見て下さい。』

「へっ??」となりながら振り返ると、まず【神田川】と【隅田川】の合流地点に、
川の安全を守る派出所があるではありませんか!? これが【隅田川水上派出所】。
そしてしばらく川を進むと、今度は消防庁の船が二隻停泊してる。
ここあるのは消防署の出張所なんですね。
そうです、陸には陸の、川には川の治安を守る部署があると言うわけなんです。
そう言えばさっきも赤色灯を回して、物凄い速度で走って行った船がいたなぁ。

キャプ『さっきのは警察の船で、ここに泊まってるのが消防の船ですね。』



川の交番「隅田川水上派出所」


警視庁の船が隅田川を走り去る! 
まさにパトカーならぬパトボート!


東京消防庁の船は、やっぱり赤いんだ!

消防署の船が二隻とも停泊してると言う事は、水難事故等は特にこの時起こっていないという事。
川の安全を守る人達の存在をリアルに感じたひと時でした。
川を下りながら、今回のリバークルーズもキャプテンの話は冴えわたります。



両国橋


「両国橋」をくぐると、この様な景色が!

目の前にあった両国橋を指し、
『ここは昔【下総の国】と【武蔵の国】を繋ぐ場所だったから【両国】と言うんですよ。』とか、
『隅田川に流れる小名木川の水門は水位調整も出来て、
船のエレベーターになっている場所もあるんですよ。』とか、
もう【隅田川】を下りながらもYAJIKITA一行、目がキラキラなのであります。



実際に水上バスで【隅田川クルーズ】を経験した方も多いと思いますが、
今回もお世話になっている【NPO法人あそんで学ぶ環境と科学倶楽部】のリバークルーズは、
環境問題をもっと身近に感じてもらおうと、その説明は本当に分かり易いんです。
実は隅田川も神田川同様、高度成長期には【死の川】と呼ばれて、
【生き物は棲めない川】とまで言われました。それもその筈、一時期は工場排水、生活排水、
ありとあらゆる「負」の物がこの隅田川に流されていたんです。今では信じられない。
しかし確かに昔の日本人はそれをやっていた。まさに『臭い物に蓋』なわけです。
隅田川の両岸には洪水防止の策として、高い防潮堤が作られ、人々は川の近くに行っても、
その姿をちゃんと見る事が出来ない…なんて時代が続きました。
結局の所、高い護岸が人々の目から隅田川を隠し、それが環境対策を遅らせる事にも繋がったんです。
現在は人と水辺を近付ける事に考慮し、隅田川の至る所に【親水テラス】が作られています。
しかし、地区によっては路上生活者の数も多く、まだまだ問題は山積みとか…。

水辺の遊歩道「親水テラス」

船を更に進めていくとキャプテンが『あそこに銅像があるの分かりますか?』ときた。

ほい? 何の銅像かとよ〜く見てみると…なんと俳聖:松尾芭蕉の銅像が!!
確か先日伊賀の里を訪れた時も「ここは松尾芭蕉生誕の地であります!」なんて旅日記で書いた。
いよいよYAJIKITAも、文学的な物と関わりを深くする時が来たのかもしれない(笑)



「芭蕉記念館」の庭には松雄芭蕉の銅像が!


清洲橋


「永代橋」とその奥に見える石川島のリバーシティ

実は深川の辺りは江戸で松尾芭蕉が暮らしていた場所で、【奥の細道】の旅立ちの地でもある。
陸で東京観光する方は、ここに芭蕉記念館もありますので、行ってみてはいかがでしょう?
芭蕉の様な【奥の細道】ならぬ【隅田の大川】を下っているYAJIKITA一行。
目の前には一見して新しく整備された、高層マンション群が見えてきました。
昔は石川島と呼ばれていたリバーシティ。江戸時代から続く川の傍には、
いまの東京を象徴するかの様な高層マンション群が建っているわけです。
と、言う事は、今も昔も人はやはり川の近くで暮らしたい願望があるのだろうか…?
この辺は海が近いからでしょうか、波によって随分と船体もユラユラと揺れてきました。

 

キャプ『江戸時代はこの辺、江戸湊って呼ばれていたんですよ!』

 

【江戸湊】とは現在の東京港の前身と言っても良いでしょう。
【隅田川】や【日本橋川】の下流域には、川を通じて物流のシステムが出来あがり、
更には細かな運河を伝って物や人の出入りが盛んに行われていました。
河岸が出来、市が立ち、江戸の町民の生活基盤を作り上げていったんです。
しかもこの辺は両替商なども並ぶ金融地域でもあったんです。

 

キャプ『この辺の地名や橋の名前には、当時を偲ばせる物も多いですから。』

 

笑うキャプテン。そうなのだ、【隅田川】を下っていた我々は、そこからぐ〜っと右手に入り、
スタート地点の【三崎橋】を目指して再び【日本橋川】へと戻ってきたのであります!
そしてこの辺りには、実は貝等の自然の生き物も数多く存在します。
キャプテンが岸辺の何やら緑の物を指差し、あれは何か分かるかと尋ねてくる。
パッと見は何やら人工芝の様でもあるのですが、それにしては何とも…色みもちょっと…。

『あれはね、海苔なんですよ。』…えっ!? 海苔があんな所に?



河口から日本橋川に入ると、まずは「豊海橋」が!

驚くなかれ、皆さん! この辺には海苔も勿論だが、牡蠣だって生息している!
牡蠣は水を浄化する作用を持つので、水も綺麗になり一石二鳥…と言うか、
水が綺麗ぢゃないと牡蠣も棲めないのだけど…。人も水生動物も一緒って事ですよね。
船を進めていくと、まさに日本橋蛎殻町と言う場所の近くにやってくるのだが、
この辺りは「キッコーマン」など醤油の会社が多い。これは江戸湊が栄えた名残で、
千葉の野田から持ってきた醤油をこの辺りで下していたらしいのだ。
川が齎した物流は、まさに江戸時代、この大都市の血流となって隅々まで流れていた。
そして現在、その血流は【高速道路】が大動脈となって、東京の街の隅々まで流している。
実はこの【日本橋川】の上には、川に沿う様にして【首都高速】が走っています。
【日本橋川】に入ってきて、
河口から空を眺められる場所は【湊橋】くらい(河口から入ってわずか300mくらい)まで。
あとは川の上を首都高が流れ、日差しもあまり入らず、圧迫感すら覚えるわけです。
前回の旅日記で書いた事を、皆さんは覚えているでしょうか?
僕はこの【日本橋川】を眺めながらこんな事を思ったのです。

『川の上に道路があるって、考え方としては効率的なのかも?
だって現代の道路は輸送や移動に欠かせない動線でしょ?
ぢゃあ、道路が整備されるもっと前、沢山の物を運ぶ役割を担ってたのは?…そう、船!
その船の走っていた川の上、同じラインで道路を作れば、時代は変わっても動線は変わらない!?』



湊橋


「湊橋」をくぐると首都高が!!

東京の都市計画の中で、恐らくは不要になっていったのは【川】でしょう。
東京オリンピックが開催される事が決まった時は、動線確保の為に躍起になって土地を探した。
しかし当時は既に東京に人が溢れ始め、余分な土地など無い状況。
そこで考え出されたのが、昔の動線の上に沿う様にして道路を作り、ラインを活用する事。
【日本橋川】の上に首都高を走らせれば、立派な動線として物流がスムーズに行くと考えたんです。

でもよく考えてみて下さい。
ただでさえ水位の上昇で護岸は高く作られ、川の水質が悪くなる事で人から疎まれる存在となった川、
そこに鉄柱を何本も打ち付けて上に高速道路を通してしまうと、どうなります?
それこそ【臭い物に蓋】と言う状態になってしまいますよね?
こうして誰に気にとめられる事もなく【日本橋川】の姿も変化していったのです。



茅場橋


鎧橋
首都高の交差点「江戸橋JCT」!


高速の下に「江戸橋」発見!

ボートは【豊海橋】【湊橋】【茅場橋】【鎧橋】と潜っていきます。
ちょうど【江戸橋】の辺りに来た時でしょうか、キャプテンが古い倉庫を教えてくれました。
それが三菱倉庫株式会社が昭和5年に建設した【江戸橋倉庫ビル】。
2007年に東京都選定歴史的建造物に選定もされた古い建物です。
【江戸橋】の辺りは首都高の【江戸橋JCT】があり、高速道路がまるで生き物の様に、
縦横無尽にうねっている場所でもあります。そんな首都高の下にこの倉庫ビルはあるんです。
元々は龍馬伝でも有名な三菱の創業者:岩崎彌太郎氏が倉庫業に力を入れ、
1880年に竣工した建物がそもそもの始まり。
その後関東大震災で焼失し、昭和5年に建て直されたのが【江戸橋倉庫ビル】なんです。
川が物流の要であった名残なんでしょうね、キャプテンはこう言います。




江戸橋倉庫ビル

キャプ『江戸橋を過ぎてから、もう一度あのビルの屋上を見てあげて下さい。』

 

すーっとボートが江戸橋を潜ります。
頭上には首都高の喧騒。ふとビルの屋上が見えるところまで出てきました。



「江戸橋」をくぐると…
一同「?…!!!」


「江戸橋倉庫ビル」の屋上は、なんと船の形!

何と…、実はこのビルの屋上、船の形をしているんです。
船と密接に関わってきた倉庫だから、そして【日本橋川】という動脈のすぐ隣にあるから、
恐らくこの【江戸橋倉庫ビル】の屋上は船の形なんでしょう。昔の日本人は粋だったんだ。
しかし、このビルも老朽化の影響で建て替えを余儀なくされているんだとか…。
ただ、後で調べてみたら、どうやら歴史的建造物として選定された部分は保存されるようで、安心。
新しい物を作り続けるという事と、歴史を守る事、バランス良くなくちゃ!

【江戸橋】を潜ると皆さんもご存じの【日本橋】へ到着しました。ロケ当日は山王祭の真っ只中。
祭り囃子が聴こえ、はっぴ姿の地元の方々で賑わっています!
これも東京の風景だよなぁ…なんて思いながら、でも日本橋を下から眺めるなんて貴重!
これもリバークルーズの見どころの一つなのかもしれませんね。

ついに出現! The「日本橋」!



「日本橋」をくぐるなんて、なかなか体験できませんよ〜。

この旅日記の冒頭で書いた事、ちょっと巻き戻して見て下さい。
ごめんね、旅日記が長くて…(苦笑)
『東京で暮らすおよそ半数は地方出身者』ってくだりです。
これが東京の街の姿をどう変えていったのか? けっこう重要な事なんですよね、これ。
大阪は【水の都】としてイベントを開催したり、街と川や堀が共生していると言っても良い。
本来リバークルーズが出来るくらいですから、東京も水の都として形成されるべき街だった。
なのにどうして川の水は汚れ、水の都として確立出来なかったのか?
地方から上京した人は東京の街に執着がありません。
よりこの街が便利になる様に、暮らし易くなる様に発展させ続けてきました。
高度経済成長は東京を世界でも有数の大都市にのし上げましたが、その結果、街から自然が消えました。
地方から上京した人達は働き盛りを東京で過ごし、第一線で活躍しながら街の姿を躊躇なく変え、
そうして定年退職の時になって「やっぱり田舎で暮らしたい。」と言って東京を離れるんです。
この街はその循環でここまできてしまったのです。
だから【水の都】として定着しなかったし、川をどんどん埋め立てて、自然の姿を変えてしまった。
僕も地方出身者なので、キャプテンの言葉が胸に刺さってしまいました。
地元と同じ様に、自分はこの東京を愛してやっているだろうか? って。
それが出来ずにここに暮らし続けるのは、まるっきり自分のエゴぢゃないか? って。

【常盤橋】と言う橋があります。ここは江戸城があった当時の正門にあたる場所。
もしも江戸城が残っていたら、世界遺産に認定されてもおかしくなかったでしょう。
今だって、しっかりと保存していれば(勿論保存はしてありますが)、もっと人の目に留まるはず。
でも何だかその姿は寂しそうに見えてしまいます。



今くぐろうとしているのが「常盤橋」で、
その奥に見えるのが「常磐橋」。


常磐橋


さらにその先には「新常盤橋」! ここには「常盤橋」「常磐橋」「新常盤橋」と、 3つの“ときわばし”が並んでいるのです。

そしてこの辺りからは昔の江戸城の名残も多々見られるんです。
何と言っても諸大名達が伊豆から運んだ石を積み上げて作った石垣の存在でしょう。
当時も諸大名にとって大変な作業であった事は間違い無く、
しかしその作業が自分の家の功績とは大声でも言えなかった。
だからでしょう、今でも残る石垣には各大名家の家紋が、石に刻まれているんです。
当時の大名家が残した意地…とでも言うのでしょうか。そこに遺した誇りが見えてくる様です。





分かりづらいけど、石には家紋が!

ところがボートを進めた先で、その誇りを踏み躙る場所に遭遇しました。
ちょうど首都高を渡してる場所の真下。竹橋JCTの辺りかなぁ。
高度経済成長の負の遺産でしょうね、これは。
高速道路を渡す為に、その下の石積みが邪魔だったんでしょう。
なんと…石を切って、そのまま川に捨てているんです…。



石垣の上に作られた首都高の柱


首都高の下には、崩した石垣の石がそっくりそのままに…。


「南堀留橋」の辺りは、空がほとんど見えなくてかなり暗い。

キャプテンはその状況をゆっくり話しながら、目は…少しだけ、潤んでいました。
僕らはそれを聞いて声も出ず…。【発展】は人の心を奪っていったんでしょうか?
静かに流れる【日本橋川】の流れに問いかけてみても、何も返ってはきません。
しかし今の僕らは、かつての日本人と違います。
【発展】が奪ってしまった川の環境を少しでも再生させる為に、
【EM活性液】という栄養分を多量に含んだ水を定期的に大量に川に投入し、
ヘドロの分解を促進、今では【日本橋川】の表面にヘドロを見る事は少なくなったと言います。



EM活性液製造プラント

キャプ『でもね、この綺麗になった川が、たった1時間で透明度10cmになる事があるんだ。』

 

再び悲しそうなキャプテン。
でも通常2mはあると言う川の透明度が、たった1時間で10cmになるなんて…!?



キャプ『それはね、雨の後なんだよ。』



雨の後、ゴミだらけになった日本橋川の写真。

雨が降ると大量の雨水が下水に流れ込みます。
下水にも水を通せるキャパシティーがあって、それを超えると下水管の破裂など、
危険な状態になってしまいます。ではどうするのか?
下水が危険水位に達した場合、処理していない生の下水は、
なんと付近の川に流されてしまうというのです。
散々綺麗にして皆で努力して元の姿に戻そうとしている川が、あっと言う間に汚れてしまう。
そして下水に流れる汚水の中で最も厄介なのが、家庭から出る【油汚れ】なんです。
どうでしょう?
我々が始められそうな環境への配慮、少しだけ見えてきた気がしませんか?


今回我々が体験した【都心の水辺でエコツアー】は環境省が実施する、
第5回の【エコツーリズム大賞・特別賞】を受賞しています。
きっと参加した方なら誰でも、東京の都心で大きなショックを受けると思います。
それくらいこのエコツアーにはインパクトがありました。
キャプテンや携わる方々の川への愛が半端な物では無いから、尚更そう感じる。
【水を大切にしよう】とか、【環境問題について考えよう】という意識、それは勿論素晴らしい事。

 

キャプ『南の海の素晴らしい自然に触れて、この自然を守りましょう! と言うのは簡単。
でも何をしたらいいか分からなくないですか?』

 

キャプテンは少し微笑みながら、そう言います。
僕らは一同に首を振ります。何をすればいいか、何から手をつければいいか分からないから。

 

キャプ『ぢゃあ東京の、変化し続けるこの川の姿を見て、この環境を守り改善していく為に、
何をしたら良いか分かりましたか? どうでしょう?』

 

生活排水を少しでも少なくする。水の循環を考えれば答えは簡単だ。
そして2時間のツアーを終えた今の我々には、川や水への愛もたっぷりとある。
悪い歴史は決して繰り返してはいけない。21世紀の我々が未来の日本人に何と言われているか?
僕らは【この先の為に】川と共に生きていかなくてはならないんです。

 

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